仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第252話
1923年(大正十二年)九月一日
オテル日本橋
「支配人、オテル日本橋では、このまま営業を続けられますが、水道が断水。ガスが停止。電気は、不通。ただし、自家発電に変更後、今夜を乗り越えるだけの電灯を賄うことができます」
「では、従業員にはこのまま勤務を続けてください。後は水に対する対策ですねえ。井戸を探して沸騰消毒をするしかないでしょう。その差配は出来ますか」
「問題ございません」
「では次に、ガスですねえ。これは代換えの策をたてるしかないでしょう。幸い季節は、初秋です。日本人が好む風呂もシャワーを用意しておけばよいでしょう」
「支配人、水も止まっているのですから節水を呼び掛けなければなりません。幸い、屋上のタンクに水はありますから、水に関してはこちらでなんとかなります」
「これは失礼しました。後は、炊事ですねえ。これは七輪の出番ですか」
「基本はそうなります。ただ、亜米利加では庭でお客様に炭火で焼いた肉を提供する料理法があるときいています。この際それを最大限利用させていただこうと思っています」
「炭火でなんとかなるならそれでいくとするか。で、最後の問題として電灯か。重油の残りでもつのは一晩か」
「はい、明日の夜以降の分がございません」
「支配人、ろうそくでは駄目でしょうか」
「できればやりたくない。このオテルは、日本橋の顔だ。このオテルに灯がともっていれば江戸八百八町で平常運転していることを示せる。どうにかして、江戸の灯をともしておくことは出来ないか」
「人海戦術に出るしかないでしょう。あてがあるとすれば、八王子が有力でしょう」
「なんとか、確保を頼む」
「しかたありませんな。浮世絵美術館本館が燃えましたから、これ以上皆をがっかりさせてはいけません」
「江戸を代表する美術館だったが。灯がまわってくればひとたまりはない。ただ、これに対処する策は最初からあったのだから、それを発動させるだけだな」
「分家による本家の乗っ取りですか」
「日本中を旅する浮世絵美術館分館を急遽、日本橋によぶ」
「となりますと、防災対策を施さねばなりませんね」
「紙の作品だから木製だった美術館だが、今度復旧させる本館は、コンクリート製だな」
「そうなるでしょう。日本橋駅も燃えてしまいましたし」
「というわけで、自己発電用重油の確保が最重要課題だな」
日本橋 浮世絵版元甕屋
「いいか、皆のもの良くきいてくれ。版元甕屋は、ここ日本橋を抜けだし八王子に新店舗を構えることになる」
「あのう、もう日本橋には戻ってこないのですか」
「戻ってこない。これは日本橋ある版元全てがそうなる」
「どうしてですか。ここ日本橋ならば交通の便もよく、海外への輸出も向いているはずです。地震が落ち着いたら、またここに戻ってくるのではないのですか」
「地震から立ち直った日本橋は再開発に取り掛かる。これは皆納得してくれると思う」
「はい、当然ですね。もしかして、百貨店が狙っているせいですか」
「それもあるが、もっと広い土地が必要ということで皆版元は一致している」
「それで八王子ですか」
「改めて皆にはいうが、ここになくて八王子にあるものがある。三色カラー印刷機だ」
「もしかして、手製の木版画がなくなるんですか」
「なくなるだろう。地震を機に印刷機を稼働させることになる」
「わてら、刷り師の仕事はなくなるんですか」
「残念ながら、欧州行きの輸出もかわる」
「どうかわるるんですか」
「仏蘭西に送るのは銅板だけになる。いわゆる原画だけになる」
「つまり、我々は印刷工になるのですか」
「三色のカラー化は難しいんだ。とりあえず、仏蘭西に送る原版は、白黒だな。ここにいる連中も数人が欠けている」
「はい。原作者も連絡を取れない人が多数います」
「とりあえず、目標を言う。次号の臨時休業は仕方がない。だがそれは一度きりにしたい。江戸っ子には地震はつきもの。ほら日常に戻りましたっていうところをみせてくれ」
「「「はい」」」
大奥
「今回の地震に際し、全ての版元は八王子への移転を承諾してくれました」
「ふむ。これで、劇場と出版がそろう。災い転じて福となればよいが」
「何度も誘っていたことですがやっと八王子への移転を承諾していただきました」
「長かったな」
「はい。半世紀以上勧誘はしていたのですが」
「八王子と横浜を直通列車ができて以降、長かったな」
「決め手は大地震と印刷機を八王子に配置していたことですねえ」
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