Book Review 柄刀 一編

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柄刀 一『マスグレイヴ館の島』
1) 原書房 / 四六判ハード / 2000年11月27日付初版 / 本体価格1800円 / 2000年12月16日読了

 鮎川哲也賞最終候補となった長篇『3000年の密室』でデビュー、以後コンスタントなペースで独創的な本格ミステリを上梓し続ける柄刀一が2000年11月に刊行した最新長篇。重量級のテーマを扱った従来の作品とはやや趣を違えた、真っ向勝負の本格ミステリである。

[粗筋]
 ベイカー街221Bに拠点を構えた住宅金融会社の一画には、ある世界的な著名人に纏わる組織が存在した。英国シャーロック・ホームズ・ソサエティ――彼を記念したミュージアムを始め、この住所に届いたホームズ宛の手紙に、公式認定されたサインを添えて丁寧な返信を送るといったサービスを行っている。この組織の重要な人物であるアガサ伯母を唯一の身寄りとしてここに身を寄せていた一乗寺慶子は、その縁で二人の仲間と共に、ホームズに纏わるあるイベントに招かれた。主催は“ゴールドバーグ・松坂”財団。彼らはある孤島に建てられた館を、ホームズ譚の一篇『マスグレイヴ家の儀式』に登場する館に見立て、作中に登場する暗号に存在するという矛盾を検証すると共に、作品に想を得たもう一つの暗号の解読を参加者に競わせる、というイベントを企画し、そこにソサエティからの参加を請うたのだ。
 慶子は自分の世話役でもある筧フミと、“女シャーロック・ホームズ”の異名を取るクリスチアーネ・サガンと共に暗号解読に勤しんでいたが、館の最初の検証を終え、滞在していた現地マカリスター家の邸宅で、思いがけず殺人事件に遭遇する。主催者である財団の権力者レジーナ・松坂が自室の窓の下で死んでいるのが発見され、同行していたゴールドバーグ・松坂家のホームドクターであるフェデル・ローが自身の犯行を仄めかすような書き置きとともに、崖の端に至る足跡を残して失踪した。当初ローの犯行を疑う者は少なかったが、間もなく発見されたローの検屍結果所見は、明らかに彼が誰かの手によって殺害されたことを示していた。
 一方、変事は“マスグレイヴ家”のある島でも発生していた。悪戯半分に独房のような一室に閉じこめられていたロジャー・ゴールドバーグがその中で、墜落死としか判断できないような痕跡を残して死亡。イベント運営担当者であったエイハブ・ギャラガーもまた、野外ではあったが近くに高所のない地点で墜落死していた。更に、イベントの回答を知る数少ない人物の一人でもあるアービン・ネルソン・クラークが、食料の豊潤に蓄えられていた地下室で、あろうことか餓死していたのである。
 フェデル・ローは、そしてレジーナ・松坂は誰に殺されたのか。不在の数日の間に“マスグレイヴ館の島”でいったい何が起きたのか。“ホームズ・ソサエティ”の面々が、暗号と一連の怪事に潜む謎に挑戦する。

[感想]
 困った。非常に困った。繁忙時でもないのに読むのに10日も費やしてしまった。“本格ミステリ”で、厚み以外の理由でここまで難渋させられたのは久し振りである。
 トリックはお見事だと思う。提示された謎も魅力的だ。なのになかなか読み進められなかったのは、兎に角文章に起因する。体言止めの文末にいちいち挿入される「……」によって文章の流れを立たれるのが肌に合わない。「時を止める少女」という主人公の徒名の依って出るところである珍妙な会話が、どう見ても日本語で話されている(英国が舞台であるにもかかわらず、だ)文脈になっている箇所があまりにも多く見えるのが気に食わない。そうした、物語やミステリとは別の部分で何度も何度も引っかかりを感じさせられたために、200ページ前後ぐらいまでは何度も本を脇に避けてしまった。
 これはしかし、前半のプロットや物語展開に無駄が多すぎるのもまた一因となっているように思う。無論その随所に伏線が秘められているのだが、登場人物の会話も『マスグレイヴ家の儀式』に登場する暗号の考察部分も、緊張感や牽引力を欠いていて積極的に読み進めたい、という気分にさせない。所々に挿入される、その時点の物語とはあまり関係しない文章もその都度流れを断っていて、不快感しか齎さなかった。関係者が島に戻り、そこで起きていた怪事が明らかになった辺りからは、文章の流れの悪さもさほど気にならなくなるのだが、そこに至るまで長すぎるのが兎に角辛かった。
 しかし、繰り返すがトリック自体は絶賛に値すると感じた。フェデル・ローの死に纏わる謎も、島で起きた怪事の謎解きも、久々に本格ミステリ――というより綾辻行人登場以来の本格ミステリにあった破天荒な驚きを齎すもので、もっとこの謎解きに至るまでをきちんと演出する書き方をしてくれれば、或いは文章的な不満を乗り越えて手放しで絶賛していたかも知れない、と思う――ここまでならば、だ。
 読了後、私が本書に不快感を抱いているのは、文章的なことより展開の不手際より、ラストに添えられたセンスのない蛇足による。以下、ネタバレを含むため背景と同色で記すので、読了後かネタバレを気にしない方のみ反転して御覧戴きたい。(ここから→)個人的には、ヒロインの恋愛について叙述を伏せることで意外性を演出していること自体余分ではなかったか、と感じているのだが、それ以上に問題があるのはエピローグ、特にラスト数行。慶子が松坂一臣と結婚して松坂慶子になり、生まれてきた息子に大輔とつけた、というオチは不必要、というより、作品にあった余韻の一切合切をぶちこわされた、という気分しかしなかった。こういう時間が経てば風化し、しかも芸能やスポーツになんの興味も抱かない向きに感慨の一つも齎さない洒落はどう考えてもラストには不適当だし、正直、松坂慶子が英国在住の人々にとって印象的な女優であるとも大女優であるとも思えない。(←ここまで)これらはお話の途中でちょっと提示される分にはさほど気にかけなかっただろうが(但し、間違いなく英国を舞台にしている、という雰囲気は台無しになるだろう)、エンディングに持ってくるのは明らかに配慮が足りない。
 柄刀氏の長篇を読むのはこれが初めてであり、一作で心証を固めてしまうのは問題があるとは思うが、大仕掛けを作る才能はあっても文章や作劇センスの面で大いに問題を抱えている書き手、という印象を強く持ってしまったことは否定できない。本書は柄刀氏のこれまでの作品とは趣を違えている、という話なので、或いは旧来のスタイルであれば感じなかった不満かも知れない、と思いつつ、今後の柄刀作品との対し方を悩まずにはいられなくなってしまった。
 読む場合は、文章に難を感じても、一晩なり一日なりですっと読み切ってしまった方がいいだろう。そうして純化された謎解きの面白みのみで楽しむのが、多分一番確実だと思う。……色々な意味で勿体ない、と感じた作品であった。

(2000/12/17)


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