Music Review 001


PONTA BOX  /  THE NEW FRONTIER
1999/9/8発売 / ビクターエンタテインメント

 申し上げたかどうか記憶がないが、深川が曲がりなりにもJazzというものを聴き始めた契機は、チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエバー『第七銀河の讃歌』と『浪漫の騎士』という二枚のアルバムだった(更にこれらの名前を島田荘司の某作品で知ったのだが、その話はまたいつか)。この出会いは或る意味では不幸とも言えた。私はチックやスタンリー・クラーク、アル・ディメオラ等の超絶技巧に心酔し、そしてJazzというものをかくもProgressiveでAggressiveなものだと誤解してしまったのだ。以降暫く、世間一般がJazzとして聴かせる音楽に対してさしたる感銘を抱くことが出来ず、苦悶する時期が続いた(大袈裟か?)。プログレ的なジャズへの渇はごく最近、ジャコ・バストリアスとの邂逅によってどうやら癒されたが(その節はご教授有り難う御座いました津原泰水様)、その間私の欲求を辛うじて満たしてくれていた国内唯一のジャズ・セッション、それがこの村上ポンタ秀一(Batteries)率いるPONTA BOXであったのだ。村上に佐山雅弘(Key)にバカボン鈴木(Bass)(注・バカボン鈴木はメンバーチェンジによる中途参加)、この三者の遊び心に溢れながらも常人離れした演奏は、ジャズに傾倒しきれない私をそれでも存分に痺れさせてくれた。色々な事情から暫く彼等のアルバムを購入する機会を逸していたのだが、今回事前に発売情報を得られ、久々にリアルタイムで聴いた。
 銀河をあしらったジャケットからも解るとおり、テーマは「宇宙」である。のっけから響くハモンドオルガンに『第七銀河の讃歌』を連想してしまった時点でこちらの敗北は確定した。常の如くサンプリングを利用し、村上等の茶目っ気たっぷりなヴォイスを挿入しながらも、あくまで三人編成、という基本は崩していない。時に攻撃的に時に叙情的に積み重ねられた楽曲は、The New Frontier(新境地)と言いながらやはりPONTA BOXらしく、その上で間違いなく彼等の頂点を究めている。この中でベストを、という考え方はちょっと出来ない。シャッフルなどせず、収録されたままの流れで堪能するべきだろう。どれがいいなどと言って先入観を与えては多分楽しめない。
 私と嗜好が似ていると感じている貴方、悪いことは言わないからお聴きなさい。まず後悔なんかしない筈だから。


 村下孝蔵 / 同窓會
 1999/9/8発売 / Sony Records

 村下孝蔵は6月20日にステージのリハーサル中に倒れ、24日に還らぬ人となった。本作は死の直前に録音作業を終えていたものに、何曲かをプラスして構成されているらしい。題名通り、もともとかつての仲間と和気藹々制作しようという意図があったようで、新曲は僅かに3曲と新制作のメドレーが一つ、他アルバム未収録曲が4曲にあとは旧作からの再収録という格好である。選曲には村下の遺志が尊重され、ライナーノーツで須藤晃氏(音楽プロデューサー・詳しくはここを参照)が死後に採用したことを明言しているのは「初恋(アルバムバージョン)」のみである。だが、その「初恋」を含めて浮いた楽曲が一つもないというのは――如何に村下孝蔵という人が確然たるスタイルを保有していたか、という証拠だろう。決して媚びずけれど突き放さず、日本的な「歌謡曲」を志向し続けていたから、いつの歌も等しく「村下孝蔵のうた」として聴けるのだ。こんな歌い手は、いそうであっても実際には希有である――ことにポピュラー・ポップス・ロックの分野には皆無と言い切ってもいいだろう。既にフォークが衰退した時期にフォークシンガーを標榜し、謗られながらも「初恋」という金字塔をうち立てて、曲がることなく己の音楽を追究した男は、その普遍性を遂に撓めることなくこの世を去った。賞賛せねばなるまい。どんなに儚んでも、彼はもう戻らないのだ。
 収録曲の大半は何かを暗示するように別れの歌が多い。けれどそれは村下孝蔵が生涯歌い続けたシチュエーションに過ぎず、決して死を予期させるものではない。この名盤にあっても、村下孝蔵はやっぱり村下孝蔵だった。深川のお気に入りは、16曲目「引き算」である。生前最期に歌入れの為された楽曲。だから、というわけではないが、「はかなきは生きること 愛しさは生きること」というフレーズは胸が潰れるくらいに沁みる。


 さだまさし / 季節の栖〜Twenty Five Reasons〜
 1999/6/23発売 / テイチク

 デビュー25周年を記念して制作された企画盤。きっかけはさだまさしが夢の中でニューアルバムを誉められた際、
「うん、みんなが半分手伝ってくれたからねぇ」
 と応えたことだったという。この荒唐な呟きにまず南こうせつと谷村新司が乗り、あれよあれよという間にこの素晴らしいメンバーが集まったらしい。夢のくだりの真偽はともあれ、これまで大半の作品を自ら作詞・作曲していたさだまさしが、作業の半分を他人に委ねた楽曲で構成された為に、今までとは違った面が浮かび上がってきた。以下、各楽曲のデータと深川の所感を列記する。

1,素晴らしき夢 (作詞:さだまさし 作曲:弾 厚作 編曲:服部克久)
 筆頭を飾るのはさだまさし自身が憧れて止まない加山雄三こと弾厚作の楽曲である。編曲はグレープ時代からピンポイントで関わってきた服部克久。鷹揚な旋律と児童合唱団の透き通ったコーラスとが相俟って古い唱歌の趣がある。些かメリハリに欠いているのが気に懸かるが、あの「加山雄三」の楽曲を気負いすぎず丁寧に歌い上げる様は歌い手さだまさしの実力を明確に示している。
2,空っぽの客席
 (作詞・作曲:財津和夫 編曲:倉田信雄)
 『サボテンの花』『心の旅』などのヒット曲で知られる財津和夫が作詞作曲を担当。編曲は近年のコンサートに於いてバンドリーダーを務める「悪妻に悩まされるソクラテス」的風貌の倉田信雄。不思議なムードである。淡々とした思いを雨粒のような音譜に乗せていく財津和夫独特のメロディをさだが完全に消化して、財津風味ともさだ風味ともつかない微妙な味わいを醸し出している。詩想は熟練された『さよならコンサート』とでも申しましょうか(ファンにしか解らないって)。
3,JONAH
 (原詩・作曲:Paul Simon 日本語作詞:さだまさし 編曲:吉田弥生)
 サイモン&ガーファンクルの名を知らずしてフォーク愛好家を騙るなかれ。その片割れであり、高い作曲センスを持つポール・サイモンが作曲を担当、これを『おもひで泥棒』以降のアルバムやステージでキーボードを弾く吉田弥生がアレンジした。曲想がそういう風になってしまった所為か、アレンジはムーディーなジャズの印象。メロディラインはまさしくポール・サイモンのそれだと解るが、日本語詞がちと浮いてしまっている……一個の音符に言葉を詰め込むポール・サイモンのスタイルが詞の自由度を奪ってしまったのかも。出来れば原詩で聞きたかった。
4,歌紡ぎの小夜曲
 (作詞:さだまさし 作曲:南こうせつ 編曲:渡辺俊幸)
 本アルバムに先駆けて発売されたシングルの二曲目に当たる。順序は寡聞にして知らないが、さだまさしの詞に南こうせつが曲を付けている。編曲は、ソロデビュー以降のほぼ大半のアルバムで編曲を担当し、ここ数年はプロデュースも務めるなどレコーディングで中心人物となっている渡辺俊幸。また如何にも南こうせつな流麗なメロディライン。こういうクラシックの小品的な組み立てはさだまさしの今の声が素直に生きてくる。悪く言うとまあ地味すぎるんですが。
5,星座の名前
 (作詞:三波春夫 作曲:さだまさし 編曲:山本直純)
 作詞は演歌歌手の三波春夫、作曲はさだまさしが担当した。編曲は、さだファンにとっては『親父の一番長い日』のタクトが印象深い巨匠・山本直純。三波春夫が合わせたのかそれとも元々二人の流儀が近しいのか、言われなければさだの詞だと捉えてしまいそうな違和感のなさ。今の日本にとって最早実感に乏しい郷愁を訥々と切々と歌い上げている。こういうのを聞くと、「売れにくいよなー」と一瞬考えてしまう自分の俗さを思い知らされる。
6,ふ
 (作詞:永 六輔 作曲:さだまさし 編曲:服部隆之)
 黎明期からテレビの制作に携わり、現在はラジオのパーソナリティーや本の執筆を行う傍ら精力的に講演活動をこなす永六輔。編曲は服部家の三代目(祖父が良一、父が克久)であり、実はさだまさしのアルバム『夢の吹く頃』全編曲でもって本格デビューしたという俊英服部隆之。永六輔と言えば『上を向いて歩こう』や『遠くへ行きたい』といった有名と言うすら烏滸がましい曲が数多あるが、こうした「言葉遊び」的な詞にこそ本領があるような気がする。使われる言葉数が少ない分率直に響いてくるのである。その素朴な良さをさだ・服部隆之が阻喪しないように軽く、けれど丁寧に聞かせてくれる。言葉遣いの下手な歌い手ではこうはいかない。
7,なんということもなく
 (作詞・作曲:小椋 佳 編曲:石川鷹彦)
 作詞作曲は『シクラメンのかおり』『泣かせて』などで知られ、なんだかんだで二足の草鞋履きっぱなしのフォークシンガー・小椋佳。編曲は、日本のフォーク史を語る上で決して欠かすことの出来ないギタリスト石川鷹彦である。シンセサイザーを除けば実質石川鷹彦と、長年さだのステージでマリンバ・パーカッションを担う宅間久善のセッションであり、アレンジも往年のフォークの香気(それも小椋佳の、だ)を漂わせる。ある歌番組で両者が競演した際にこの曲を歌ったのだが、小椋は「さださんに歌ってもらうまでは『大した曲じゃない』と思っていた」と語り、婉曲にさだの歌唱力を評価していた。双方共に表現巧者であればこそ、である。
8,空色の子守歌
 (作詞:さだまさし 作曲・編曲:山本直純)
 作曲・編曲を山本直純が担当。前述のようにさだ&山本直純と言えば『親父の一番長い日』なのだが、まさしくその裏側をつくような手堅い小品である。題名通り決して過剰に歌いこまず、聞き手をゆったりと揺るような穏やかな曲調。突出した部分がない故、ぼんやりしていると聞き逃してしまうがそれこそが狙いだろう。
9,遠い海
 (作詞:さだまさし 作曲:来生たかお 編曲:服部克久)
 作曲は、『セーラー服と機関銃』などで知られるシンガーソングライター来生たかお。編曲は再び服部克久が請け負う。冷静に聞くと確かに来生たかおの旋律なのだが、「海」に「初恋」の記憶を重ねる詩想に自然に溶け込んで完全にさだまさしの歌である。贅沢なカップリングだとか雑念を払って聞いた方が沁みるかも知れない……ってことはこの解説が邪魔やんか。
10,叛乱
 (作詞:さだまさし 作曲・編曲:服部克久)
 作曲・編曲を服部克久が務める。石川鷹彦と松原正樹がガットギターに持ち替えて、押さえ気味のリズムセッションと共にボサノバ風味の楽曲に仕上がっている。こういう一風違ったアレンジをするとさだという人の歌唱力が浮き彫りになって興味深い。あっさりと悪戯っぽく、歌詞に合わせて無理に女性を気取らないのが却って不思議な愛らしさを漂わせている……言っておくが深川はノーマルだ。処でこのさだ作詞・克久作曲という組み合わせ、結構あるように錯覚していたのだが、意外にもこれ以前では二曲しか存在しない。1981年『うつろひ』収録の『小夜曲』に、1996年の某アニメ主題歌『愛について』だけ。しかも本作とは双方とも異なった毛色である。記念盤に敢えて捻った楽曲を持ち込む辺り、流石と言おうか。
11,ムギ
 (作詞:来生えつこ 作曲:さだまさし 編曲:石川鷹彦)
 作詞担当は、来生たかおとのコンビで数々のヒット曲を物している来生えつこ。編曲は再びの石川鷹彦、しかもシンセサイザー以外は全て石川鷹彦の演奏である。来生えつこという作詞家の作品をあまり聞き込んでいないため、この一人の少女を遠目で追うような歌詞が果たして彼女本来の作風なのかは解らない。ただ、こうして一人の人物を誕生から死まで辿るような物語性のある歌詞は、さだが得意とする――多用する詩想の一つである(『みるくは風になった』とか『椎の実のママ』とか)。さだまさしとの違いはディテールを曖昧にしてほんのりと普遍性を付与している辺りぐらいか。聴きながら身の回りにいた誰かを思い浮かばせるのは、バックを殆ど単独で担った石川鷹彦の手腕が大きい。
12,佐世保
 (作詞:藤田恵美 作曲:さだまさし 編曲:倉田信雄)
 藤田恵美って誰や、と最初思ってしまった……Le coupleのヴォーカル担当でした、失礼。編曲は倉田信雄、そしてコーラスを小田和正が担当した点で発売前から話題になっていた。佐世保、とあるがそれらしい描写は「坂道」「異人」というフレーズに代表されるのみで、全編を覆う郷愁は決して特定の土地に縛られるものではなく、誰にでも覚えのあるものだろう。小田和正が癖を抑えた嫌味のないコーラスを添えて、澄んだ情感を醸し出している。多分本アルバムにおけるベストテイクだろう、と言おうと思ったら、好評を受けて9月にシングルカットされた。アルバムはちょっと、という向きはそちらをどうぞ。
13,桜月夜
 (作詞:谷村新司 作曲:さだまさし 編曲:渡辺俊幸)
 先行シングルの一曲目。さだまさしとは色んな意味で「盟友」的な関係にある谷村新司が手掛ける。編曲は渡辺俊幸、本作ではさだまさしのヴァイオリンも聴ける。これは間違いなく詞が先にあったという情報を得ているのだが、それが災いしたか曲想が極めて谷村新司的である。さだまさしの職人的な纏め上げもいいが、ここは谷村新司の勇壮な歌唱術も聴かせて欲しくなる。サビにおけるフレーズの反復は必聴。
14,夢の夢
 (作詞・作曲:さだまさし 編曲:渡辺俊幸)
 最後はさだまさし自身の楽曲で締め括られる。編曲は渡辺俊幸、そしてリードギターはグレープ時代の相方・吉田政美。『佐世保』のカップリングとしてシングルカットもされている。
 さだまさしは「夢」というフレーズを愛用している。今日日どいつもこいつもそうやんか、と言われるかも知れないが、こうまで「夢」という一語を深く掘り下げている作詞家は他に居るまい。実際、ファンにとっての代表曲にはずばり『夢』という題名の曲があるが、この曲の素晴らしさは聴いて戴くしかない(いやどんなものだって実体験に勝る手段なんか存在しないんだが)。で本作品。「夢」に「夢」を重ねている。苦し紛れに屋上屋を架したようにも見えるが、無論そんな浅薄な代物ではない。かつて何らかの由縁があって引き裂かれた恋へ、叶わぬものと知りながらもう一度思慕を寄せる、そんな歌である。女々しいとか未練がましいとかいう向きも、四の五の言う前に聴いてみなさい。それも、予習として『夢』を聴いておくことをお薦めする。さだまさしはかつて使用したテーマに数年を隔てて再挑戦し、その意義を深める、という業を時としてしでかしてくれる。その中でも斯くも深甚なものは初めてではなかろうか。有り体のテーマをここまで劇的なものに仕立ててしまう手腕には、改めて敬服、である。

 並べてみて実感するのは、さだまさしが如何に優れた歌唱力の持ち主であるか(要は言葉に対する神経の払い方が尋常ではないのだ)、そして如何に器用であるか、ということだ。実の処、器用さというのは商業世界では障りになることが多く、事実さだまさしには『関白宣言』以降目立ったヒットというものが存在しない。だが、そんなものはどうでもいいのかも知れない、とも思う。ヒット当時のような雑音に惑わされることなく、これ程洗練された楽曲を聴かせてくれるならファンとして文句などあろう筈もない。堅実に創作を続けているからこそファンはついていくものだし、求めればこうしてこれ程のスタッフが集まってくれる訳だ。このまま独占して置きたいと思う一方、それを出来るだけ多くの方に聴いて戴きたい、と考えるのも当たり前ではなかろうか――つまり、だからこんなにくどくどと記したのだけれど。

(1999/9/20)


 Jim Hall & Pat Metheny / Jim Hall & Pat Metheny
 1999/5/22発売 / ポリグラム

 ジャズギター界きっての二人の巨人が、互いのギターのみというシンプル且つスリリングなスタイルで競演したアルバム。先日購入した『Jazz Life』誌上でもやたら評価が高く、販売店での扱いも大きいので以前から触手を伸ばしていたのだが、とうとう購入。哀しいかな深川はジム・ホールというギタリストの演奏は今回が初体験であり、パット・メセニーの演奏スタイルも十分に理解していないという関係上、ステレオの左右から響くEGの何れがジムで何れがパットか咄嗟に理解できない。だが、それでも一枚通して聴いているうちに単純な事実に気付かされる。
 右がパットで左がジムなのだ。要はアルバムにクレジットされたとおりの位置関係を、両者は最後まで保持しているのだ。そうと気付けば、あとは純粋に二人のプレイに感嘆できる。活き活きとEGを奏でるジムを、数種のギターを持ち分け変幻自在にサポートするパット。取り分け全編がアドリブというImprovisationシリーズの、背筋が寒くなるほどの緊張感 といったら。高評価も宜なるかな、の名盤。(……しかしこれで位置関係勘違いしてたら恥だな俺)語りすぎては唇が寒くなるのでこの程度でご勘弁。

(1999/10/5日記記述を、1999/10/19加筆の上切り出し)


 Al DiMeola / Land of the Midnight Sun 白夜の大地
1997/2/1発売(原盤・1972/2/11) / Sony Records

 スーパーギタートリオの一人としても知られる、ジャズギター界屈指の巨人。Chick Coreaのプロジェクト"Return To Forever"第二期の中途から参加したことで俄然注目を浴び、その後初めて制作したリーダーアルバムが本作である。第二期RTFのメンバーが全員参加した(バラバラにだが)上にデビュー間もないJaco Pastriusも『組曲「黄金の夜明け」』のみだが参加している。デビュー作とは信じがたい豪華なセッションである。
 全体のカラーはRTF『第七銀河の讃歌』あたりに近いが、よりラテン的情熱に満ち溢れて、聴いているうちに何やら妙なエナジーが注ぎ込まれているような気分になる(……電波か?)。バークリー音楽院に入学しながら「もう学ぶべきことはない」と豪語したというだけあって、速弾きを含めたテクニックは圧倒的。ただ、その技術の前に表現力が埋没してしまっているのが難と云えば難。フレーズに滲む「熱さ」が、眩暈を感じさせるようなピッキングの前にどうも霞んでしまっているのだ。……というのは所詮屁理屈なんだが。Chick Coreaにも相通ずるスパニッシュカラーを帯びた情熱的な音色が、暫しの酔いと共に新たな活力をチャージしてくれます。個人的には劈頭『The Wizard』、ラストにおけるChickとの華麗なる競演『Short Tales of the Black Forest』がツボ。……あ、両方ともディメオラの作曲じゃない(笑)

(1999/10/19)