考察
『奇跡体験!アンビリーバボー 2時間恐怖スペシャル』
(2000/8/24放映)
のどこがアホだったか?1,『杉沢村』伝説の検証
『杉沢村』とは、インターネットで数多語られる恐怖の噂話の中でも、ディテールが確かであり信憑性のあるものだということで、スタッフが取材対象として選択したらしい。この村は昔、村民の一人が突如殺人鬼と化し、他の村人全員を虐殺したのちに自害したという経緯から崩壊したという。その廃墟の入り口には何故か神社もないのに朽ちた鳥居が立ち、その足許には髑髏のような形をした岩が置いてある。鳥居を潜り暫く進むと、「この先に進めば安全の保証はない」云々の立て看板があり、奥には崩れかけた建物がある。建物の中は当然ながら荒れ果てているが、血飛沫や血の付いた手で叩き這いずったような痕跡が四方に残っているという。
ある夜更け、ドライブの途中でたまたま鳥居を発見した三名の男女がこれらの不気味なオブジェを発見した。あまりのおぞましさに逃げようとしたところ、うち一人の姿が見えなくなった。彼はいつの間にか建物の表に出ていたのだが、声をかけると奇声を発して俄に襲いかかってきた――何かに憑かれたように。他の二人が逃げたり制したりしているうちに足を縺れさせて倒れ、そこで漸く正気に戻った。こんな処は早く出よう、ともう一人の男が彼の肩を担いで道を辿っていると、後ろに続いていた女性が「ここ、私たち以外にも誰かがいる」と叫んだ――彼らはその気配を全身に感じつつその場を離れた、というエピソードが伝えられている。
他にも幾つかの怪奇体験が語られているが、その辺はまあ後付けの潤色と思しい。また、あまりにも体験談を鵜呑みにしすぎている嫌いはあるものの怪奇特集の番組としてなかなかの迫力があった。問題はここからあとのこと。
この話で肝心なのは、以上のディテールが明確な上、大まかな所在地も示されている点である。新潟県に問題の『杉沢村』はあったらしい、と。そこでスタッフは現地取材を敢行し、その具体的な場所を探し当てようとした。――ここからスタッフは馬鹿さ加減を露呈する。
まず、地元の人々に「杉沢村を知っているか」と聞き込み調査を行った。実際にどの程度の人々にインタビューを行ったのかは謎だが、画面に現れる人々は皆「知っている」と応え、「鳥居」「髑髏の石」「廃墟」「惨劇」といったキーワードを並べる。ここで何故かスタッフは「噂は本当だった」と一足飛びに結論してしまう。――何がおかしいのかはすぐ解るだろう。インターネットで語られた出来事と彼らの証言が一致したから即噂が真実であるとは普通結論できない。寧ろ、オフラインで語られた噂話がネットワーク上で明確な文字となったために、ディテールを留めたまま流布したのだと捉える方が正解だろう。まだここでは、「細部に妙に信憑性のある」噂話の域を出ていないのだ。
次にスタッフは役場に赴き、いきなり「杉沢村」の地名が何処に存在するのかを訊ね、職員に調べて貰う。このとき、スタッフが「杉沢村」の噂に関するディテールを何処まで職員に明らかにしたのかは定かではない。何故かというと、私が職員だったら「ここで調べても何か出てくる可能性は低いですよ」と返したはずだからだ。ことが怪談絡みだから、ではない。噂における情報を単純に見当すれば、杉沢村という地名が現存する確率はゼロに等しいと解る筈なのだ――そもそも、滅ぼされ人の住まなくなった村域の地名、しかも殺人鬼が跳梁したような忌まわしい土地の地名を好んで残す役所があるか? またここまでの段階で、スタッフは問題の噂話と符合するような大量殺人に纏わる記事や記録を発見できず、たからこそ土地探しに苦慮していたのだ――その点から推測するに、問題の大量殺人は、仮に新潟近辺で発生したとするなら戦時中やその他、国家的な有事が生じていた時期に起きたと推測するべきだ。その場合、事後に町村の合併が行われたであろうことは想像に難くなく、ならば「杉沢村」の地名を求めるのなら郷土資料館や郷土史家の許を訪れて「杉沢村」のあった土地をピックアップし、その中から「都市から離れている」「ドライブ途中に迷い込むような山間にある」などの条件に符合する杉沢村を一つ一つ調査していく、というのが手順としては確実だった筈。それを彼らは安易に「現在残っている地名」から探そうとしたのだから――候補は二箇所挙がったが、案の定どちらも全くの的外れに終わった。この後彼らは郷土資料館も訪れていたようだったが大した調査報告もなく、この段階を通過してしまっている。
次にスタッフは再び聞き込みを行い、このとき「杉沢村に行ったことがある」という若者を発見、その場所を教えて貰い、勇んで現地に発った。――実際、聞き込みであっさり「行ったことがある」と語る人物――それも多分若者――がいるだろうことは想像がついていた。噂話に語られるような土地であれば、勇敢を気取って訪れる連中も多く、その数十%は条件に該当する「ような」場所に到達していても何ら不思議はない。若者の発言を格別に見当する様子もなく、手がかりを失っていた(当たり前だ)彼らは縋るように若者の教えてくれた土地を右往左往し――遂に、それらしき場所を発見する。
朽ちかけた鳥居、奥には神社らしき影もない。代わりに、確かに髑髏と見えなくもない石が置かれて(というより私には奉られているように見えた)いた。スタッフが奥へ向かうと、そこには真新しい墓碑が一竿建立されていた。横には地蔵。他には建物などの影もない。だが少し戻ったところに見つけにくい分岐があり、そこを進むと、立て看板だったと思しい木が地面に突き立てられ、更に奥には確かに廃墟のようなバラックがあった。中には怪しげな染みなども見出せる。ただ、それ以外にもまだ真新しい建物があり、窓から覗き込むと太鼓が見えた。入り口の前には「立入禁止」の立て看板。スタッフは「ここが杉沢村である可能性は高い」と踏んで、その場にデジタルビデオカメラを据え付け翌朝再訪することにした――
当然ながらビデオには何も映っていなかった。落胆しながらもスタッフは手懸かりを求め、墓碑に刻まれた名前から関係者の許に辿り着く。現地に姿を見せたその人物は、一帯の土地の所有者だった。彼はそこが杉沢村でないことを明言し、寧ろ噂話を聞きつけてその土地を訪れ荒らす人間が絶えず迷惑している、出来れば本当の所在地を見つけてくれることを願いたい――と語る。調査は振り出しに戻ってしまった――
――とナレーションは語るが、はっきり言ってこの段階で噂話のディテールの細やかさには説明が付いた筈なのだ。鳥居、髑髏のような石、廃墟――というか廃屋に見えるバラック、一連の条件の合致は即ちネット上で語られる杉沢村のディテールはこの土地をモデルにしたものだと考えてほぼ間違いはない。噂を頼りに訪れる者にとって必要なのは真実ではなく、それらしい土地を見つけ探検したという事実に過ぎない。彼らはそこが本当に杉沢村なのか検証したわけではないのだから。そこで見いだした数々の奇妙な佇まいをさもおどろおどろしく語ったものが、幸か不幸かさほど変容しないまま(多少大袈裟にはなっただろうが……髑髏のような石とか、血痕のような染みとか)伝わったのが、あの「杉沢村」の描写だったのだろう。
スタッフの迷走は尚も続く。手懸かりを失ったスタッフは、一冊の雑誌を目に留めた。そこには実際に杉沢村を訪れたというライターの記事が掲載されており、スタッフも訪れたあの土地と、そこから更に森深く入った処にある「真・杉沢村」と記事が謳う土地の写真が載っていた。スタッフは早速問題の記事を執筆した人物に接触し、発見の経緯とその場所に関する情報提供を求める。
ああした雑誌の取材は経費がないから一日で取材を終えた、と語るそのライターは、「真・杉沢村」の情報をある飲み屋に勤める男性から得たという。何度もそこを訪れたことがあるという男性に連れられ冬の雪深い山野部を進み、先述の某氏の土地を訪ね、更に先にある問題の場所に到達したそうだが、如何せん雪の降りしきる中の訪問であったため具体的な道筋は記憶していないという。ともあれ「更に奥にある」という曖昧な言葉を頼りに現地を探したが、結局発見できないまま取材のタイムリミットを迎えてしまった。「だが、どこかに実在する筈の杉沢村を、番組は今後も探し続ける」といった主旨の宣言をして、このコーナーは幕を降ろす――。
ここまで来ると突っつくのも馬鹿らしくなってくる。そもそもカメラや照明にディレクターなど頭数を揃えてある程度の期間も設けた上で取材に向かった彼らが、たった一日、単独で現地を訪れただけのライターに縋るという図式自体間が抜けているが、そもそもライターが案内をして貰ったという男性の素性もまともに調べず、ライターが訪れた土地が果たして本当に杉沢村なのか記事内容の検証も行わないまま闇雲に探しに行って見つかると信じていたんだろうか――信じていたんだろうな。
ここまでで既に延々と迷走を繰り返していた彼らに杉沢村とその真相が看破できるとは到底思われない。そもそも、スタッフは最後の宣言が根本的な矛盾を来していることに気付いていない。スタッフは「杉沢村」が「鳥居」「髑髏のような岩」「廃墟」といった具体的描写が存在することから実在を信じ取材に向かい、それらしい場所を発見したが、そこは既に多くの訪問者が存在し、尚かつ問題の杉沢村でないという証言を得ている。この段階で彼らが実在の根拠としたディテールは崩壊しているのに、何故尚も「何処かにある」と信じられるのだろう――?
と言いつつ、私も決して「大量虐殺の行われた杉沢村」の実在を完全に否定しているわけではない。あってもおかしくないと思う。ただ、その為には枝葉末節は切り捨てて、本質のみから追究するべきだと思うのだが。先述のように、「鳥居」や「髑髏のような岩」云々はスタッフが辿り着いたのと同じ土地を発見したおっちょこちょいが、そこを目的地と履き違えて流したディテールである、というのが真相だろう。従ってこれらは全て切り捨てて構わない。残るのは、「大量虐殺」と「杉沢村」、この二つのキーワードのみである。これらに該当する事件や土地を探せば、恐らくやがてはそれらしい土地が発見できるだろうし、望んでいたような因縁話、怪奇現象も見出せるに違いない、と思う。
だが、それがインターネットで流布していた噂話と合致するかは甚だ疑わしい――番組中彼らは頻りに「ただの都市伝説に過ぎなかったのか?」と疑問符を投げつつそうではないと訴え続けたが、結局はその通りなのだ。杉沢村で現実に起きた事件、或いは他の大量殺人が原典となって(実の処、私は『八つ墓村』『龍臥亭事件』の原型となったあの事件を思い浮かべている――土地こそ隔たっているが、事件の規模は恐らく一番近い)、それが人の口づたいに肉付けされるうちに、現実にあったそれらしい目撃談が入り込み、インターネットという文字情報を留められる媒体を得て、「都市伝説」としての一つの定型を生み出すに至った――それが本当のところではないかと思う。たとえその中に一筋の真実が混ざっていたとしても、あの程度の脳味噌しかないスタッフだけでは僥倖なくして辿り着くことは不可能だろう。……いいね、この程度の取材で番組が作れて。……ちょっと息が切れた……。俺も何故ここまで力を入れているのが自分で理解できん……が最後までやる。
2,海に潜む魔物、ならぬ、小池壮彦氏の決意
番組は二時間の枠のうち凡そ一時間十分ほどを先述の『杉沢村』のコーナーに割き(そこがまた情けない……)、残り時間で「怪奇探偵」を標榜する小池壮彦氏の最新のレポートを紹介している。こちらは科学的考察も行われ、『杉沢村』に較べれば遙かに立派なレポートではある……但し、あくまでも比較問題でしかない。
小池壮彦氏が目を付けたのは、昭和38年の七月末頃、九十九里浜で発生した奇妙な海難事故である。この日九十九里の海岸で、凡そ二時間の間に何と九人の遺体が打ち上げられるという異常事態が発生した。九人は五十代の男性を除いていずれも十代から二十代の若者ばかり、そして全員共通して、海中で絶命したのに水を飲んでいない、という検死結果が出たという。
――確かに奇妙な話である。そこで小池氏は付近の住人らに、この土地や海岸に纏わる因縁や怪奇談がないか聞き込みして廻るが、それらしい証言は得られない。ただ、近くにある銚子沖では、頻繁にボートや大型船舶の海難事故が発生しているという話が聞けた。小池氏はそこに何か原因があるのではないかと、調査の手を広げる――
この辺の論理展開は、正直に言って非常に不可解である。この方は確か、都市伝説や怪談を科学的に分析して、その奥に秘められた史実や悲劇を炙り出す、というのが信条だったと思うのだが、このレポートは冒頭から故意に怪談を作ろうとしているようにしか見えない。確かに、たった一日の間に、一つの海岸で九人もの死者が上がり、かつその全員が水も飲まずに海中で死んでいる、というのは奇妙な話である。だが、どうしてそれを一足飛びに「怪奇現象」に結びつける必要があるのだろう? 別に死霊や魔物に頼らなくとも、幾らでも科学的検証は加えることが出来るというのに。そもそも、現地の人間が事件を怪談や因縁話に結びつけていないというのに、何故余所から無理矢理話を持ってきて繋げようとするのかが理解できない。却って状況を無意味に紛糾させたがっている風にしか思えないのだけれど。
レポートはここから銚子沖で頻発する海難事故の原因に迫り始める。こちらは実に明快なもので、海流と海流が折り重なる海域で発生しやすい「三角波」が主な原因ではないか、という結論が語られていた。この件は怪奇談とは全く別の意味で興味深かったのだが、ここでも小池氏は海難事故に遭遇した人々の亡霊を目撃したことが、九十九里浜の惨劇の原因だったのではないかという発想に執着する。あくまで仮説、という台詞で逃げてはいるが、
ここで小池氏は、九十九里浜以上の惨劇について言及する。昭和30年の三重県津市・中川原海岸にて女子中学生が水泳の練習中に36人という死者を出す大事故が発生した。原因は先述した三角波や大型タンカーの蹴波が到達した所為ではないか、などの推測が様々為されたが、その中で一人だけ恐ろしいものを目撃した少女が複数いたという。他の子が溺れているのを見て咄嗟に助けをも止めに戻ろうとしたが、何かに足を取られて水を飲んだ――足許に手を延べ、自らの足を取ったものを引き上げてみると、それは青褪めた人間の腕。驚愕して逃げようとする彼女の足にまた幾つもの腕が掴みかかる。最後には、彼女は防空頭巾を被った少女に後ろから抱きつかれる――。ちょうど十年前のその日に、この海岸付近で空襲があり、少女達を含む多くの人間が焼死したという。その際、多すぎる遺体は中川原海岸に埋められた。昭和30年に女子中学生たちの命を奪ったのは、非業の死を遂げた彼女たちの霊だったのではないか、と小池氏は語る。
中川原での一件は、遺族が学校側の責任を問うて裁判沙汰になり、争点は少女達の死因に置かれた。様々な原因が検討されたものの、最終的に高裁は「この事件の原因を科学的に特定するのは不可能」と判断、遺族と学校側の間で和解が成立している。小池氏はその事実を、中川原海岸事件に霊的な遠因が存在する証拠とし、今後も同様の「科学的に解明できない事件」が発生することを確信、今後も「怪奇探偵」としての活動を続けることを宣言して、このコーナーは幕を降ろす。
銚子沖の一件から中川原の惨劇に至る道筋には格別文句はない。寧ろ、法廷という現場で遠回しながら「科学的に解明できない」原因の存在を認めたという事実そのものは驚愕に値するし、レポートとしては秀逸だと思う。――問題は、これが冒頭の九十九里浜の一件とどう絡んでいるのか全く説明がないまま終わっていることだ。番組の流れだけ見ると、九十九里浜の事件に霊的な要素をこじつけようとしているうちに中川原の事件に辿り着き、そちらに死霊の存在を示唆する証言があったことで勝手に納得して話を終わらせた、という風に見えてしまう。
だが、あとになって冷静に考えると、実際の推移は逆ではなかったか、と思えてきた。つまり、小池氏は最初に中川原海岸の一件と、そこからほど近い銚子沖に頻発する水難事故の事実を発見し、記録に残した。だが、実の処、ここまでは小池氏が関与するまでもなく判例という形で霊的な存在の関与が示唆されている。この事実をレポートしただけでは、「怪奇探偵」という看板の意味が失われてしまう――そこで、中川原の事件に酷似した別の海難事件を探し、発見したのが昭和38年の九十九里浜での出来事だった、とは考えられないか。しかしこちらの一件には、不可解な要素は付きまとうものの、どうしても地元の因縁なり怪奇談なりに結びつけられない。仕方なく、取材風景とそれらしい考察だけを差し挟み、さも中川原海岸の一件をも含んだ全ての事件を自分一人で取材したように見せかけた――と。その為に、冒頭の九十九里浜だけが説得力のある解釈が与えられず、不自然に取り残されてしまった、というのが真相ではなかったか。それを誤魔化すために取り入れたのが、最後の「怪奇探偵」としての宣言だった。
穿ちすぎた見方かも知れない。だが、そのくらいこのコーナーは冒頭の扱いが不自然だったのである。また、小池氏の括り方が『海に潜む魔物』のレポートを締めくくるものになっていなかったのも、全体の印象を曖昧なものにしている。「怪奇探偵」という枠に固執するあまり構成を誤ったレポートだったと解釈しても、間違いではないだろう――。素直に九十九里浜の怪異を徹底的に解明するか、銚子沖と中川原海岸で発生した怪事件とその顛末を語るかのどちらかに絞っていれば、まだまともなレポートになっただろうに。――どちらのコーナーにしても、この『アンビリーバボー』という番組スタッフの調査能力の乏しさと構成センスの欠如を示しただけの結果に終わった、と言えよう。では詰まらなかったか、と聞かれると、そんなことは全くない。少なくとも私は楽しかった――こんなに骨の髄までしゃぶり尽くせた番組も滅多にない。
……ここまで真面目に読んで下さった方、お疲れさまでした。(2000/8/25 記す)
約一年半後の追記:
このページに『奇跡体験アンビリーバボー』のキーワードで検索をかけて辿り着く方が毎日のようにある事実に驚いております。そこで、大変今更ではありますが、当該番組名が『奇跡体験アンビリーバボー』ではなく『奇跡体験アンビリバボー』であることを明言させていただきます。棒引き一本余計でした。(2002/03/14)