cinema / 『13/ザメッティ』

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13/ザメッティ
原題:“13 Tzameti” / 監督・脚本・製作:ゲラ・バブルアニ / 製作総指揮:ファニー・サアディ / 撮影監督:タリエル・メリアヴァ / 美術:ベルナール・ペオー / 編集:ノエミ・モロー / 録音:リュドヴィック・エリアス / 衣装:サビーヌ・ソラン / オリジナル音楽:イースト(TROUBLEMAKERS) / 出演:ギオルギ・バブルアニ、オーレアン・ルコワン、パスカル・ボンガール、フィリップ・パッソン、オルガ・ルグラン、オーギュスタン・ルグラン、ジョー・プレスティア、フレッド・ユリス、ヴァニア・ヴィレール、ディディエ・フェラーリ、ゲラ・バブルアニ / レ・フィルム・ドゥ・ラ・ストラダ製作 / 配給:avex entertainment+LONGRIDE
2005年フランス作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:寺尾次郎
2007年04月07日日本公開
公式サイト : http://www.13movie.jp/
シネセゾン渋谷にて初見(2007/04/07)

[粗筋]
 セバスチャン(ギオルギ・バブルアニ)の一家は貧困に喘いでいた。父親は働く能力がなく、稼ぎ手は自分と兄(ゲラ・バブルアニ)しかいない。しかも兄は足を悪くしているため、まともに稼げるのは実質的にセバスチャンただひとりだった。
 半月がかりの梁の補修工事を引き受けて、久々にまとまった金が稼げると思っていたが、働き先の主人ジャン=フランソワ(フィリップ・パッソン)が薬の打ちすぎで急逝し、仕事を失ってしまう。だがセバスチャンは、ふとしたきっかけで拾ったジャン=フランソワが受け取った手紙に光明を見出す――生前ジャン=フランソワは、大金が稼げる話として、ずっとこの手紙を待っていたのを、屋根の隙間から窺って知っていたのだ。偶然から手に入れた手紙をジャン=フランソワの妻クリスティーヌ(オルガ・ルグラン)に返さず、セバスチャンはそのチケットの導く先――パリへと赴いた。
 行く先々で奇妙な指示を受け、知らず知らずのうちに刑事(ディディエ・フェラーリ)たちの追っ手をかいくぐらされて、やがて辿り着いたのは森のなかの屋敷。そこでセバスチャンを迎えた男たちは、手配したジャン=フランソワでなかったことに驚愕する。ここで何が行われるかも知らず、ただ金が稼げるというそれだけでやって来たセバスチャンを、しかし男達もまた、もはやそのまま帰すわけにはいかない。参加するか、さもなくば――
 もともとセバスチャンに否やもなかった。しかし、13というナンバーの入った服を着せられ、他の12人とともにホールに連れ出され、円形に並ばされると、銃を渡され、一発だけ弾をこめて――という手順を踏まされるにつれ、後悔と不安、恐怖が彼を押し潰していく。そんな彼の様子など斟酌する様子もなく、進行役の男(パスカル・ボンガール)は冷酷に指示をする。
 拳銃を上に向けて、弾倉を廻せ。前にいる男の頭に狙いを定めろ。部屋の天井から吊された照明が点ったら――撃て。
 ――これは、13人の男達で同時にロシアンルーレットを行い、誰が生き残るかに賭けて大金を動かす、闇のゲームなのだ……。

[感想]
 予告編にて描かれているのは、まさに最後に紹介したひと幕だけ。だが、これだけで充分衝撃的であり、怪奇描写とは一線を画す恐怖、また内的葛藤や不安、第三者との相克によって醸成される緊張感を描いた作品を好む向きならば確実に惹きつけられる。そして、このアイディアだけで8割方成功は約束されている、と直感できるぐらいの代物である。期待するな、という方が無理だ。
 だが、いざ映画館に赴くと、微妙な戸惑いを覚える。何せ前半40分は、“ゲーム”の会場に辿り着くまでの紆余曲折を淡々と描いているだけなのである。本来、裏社会に無縁だった青年が何故、こんな邪悪なゲームの招待状を手にしたのか。そしてそんな怪しげな代物に何故惹かれたのか。そうした動機面を淡々と説明し、会場まで導いていく。
 しかし、よくよく眺めていると、この時点で既に表現の傑出した冴えが見出される。まず、決して説明的な台詞を用いていない。主人公セバスチャンの境遇についても、本人は決して自分を“貧しい”などと言ったりはしないし、周囲の人間も特に愚痴をこぼしたりはしない。だが、その言動、細かな表情によって彼の窮状は充分に察せられる。そして、もともとチケットを受け取るはずだった男ジャン=フランソワの描写も絶妙だ。彼もまた追い詰められているが、身を置く世界がセバスチャンと異なることを随所でちらつかせる。全篇を見終えたあとで振り返ると、ゲーム会場におけるセバスチャンの言動に少なからず彼が影響を与えているのが窺えるのだ。そもそもジャン=フランソワが死んだ理由からして、ゲーム会場での描写を踏まえると実に深いものがある。細部を疎かにしない精緻さと、しかし決してひけらかさずに鏤めていく品位とが、序盤から既に窺えるのだ。
 この丹念さはゲーム会場に舞台を移して以降も変わらない。開始直前に、参加者を手配した男達がそれぞれに励ます様子、また賭けに買った人間が握手を交わすときさりげなくひとりだけ避けて通る様などに、繊細なドラマを垣間見せる。この些細な描写が、本編を決してアイディア一辺倒の代物に留めない。
 そうした細部へのこだわりが、いよいよ始まるゲームの緊迫感をいっそう強烈なものにする。アイディアそのものが優れていることへの自負か、或いは付随する描写以外のものを盛り込みたくないという意思の表れか、本編には裏をかくような捻りはいっさい施されていない。このアイディアを与えられたらこう話を進めるだろう、と普通に推測される、そのままに展開していく。序盤から変わらずに、周囲を取り巻く人々の細かな行動を点綴して異様なムードを演出しつつ、筋には小細工を加えないことで、主人公の内的葛藤や不安、恐怖を重点的に描き出していく。
 その後の流れも概ね予定調和と言えるのだが、しかしそう感じさせないのは驚異的な緊張感の為せる技だ。揺れ動く視線、皮膚を伝う汗、手足の細かな震え。そんなセバスチャンたちを見届ける人々の不安と期待、興奮の入り乱れた眼差し。ここに至って余計な会話はほとんど用いず、そんな画で以て実に多くのことを物語る。色彩を廃した白黒の映像をベースとしているからこそ、その饒舌さはいや増し、作中の鮮烈な演出をいっそう力強いものにしている。計算され尽くした冷静さが、作品全体の熱気を高めているのだ。
 一見スタイリッシュだが内実は泥臭いリアリティを追求し、冷静を装いながら本質は灼熱を秘めている。言葉を最小限に絞りながら訴えかけるものは豊潤な、極めて優れた映画である。慣れない人にはその緊張感があまりに重く応えるだろうが、しかし色々な意味で“刺激的”な作品を求めるならば是非とも観ていただきたい。

 ちなみに題名の“ザメッティ”とは、監督の出身地であるグルジアの言葉で“13”を意味するという。

(2007/04/07)


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