cinema / 『あるいは裏切りという名の犬』

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あるいは裏切りという名の犬
原題:“36 Quai des Orfevres” / 監督・脚色・台詞・出演:オリヴィエ・マルシャル / 脚本:オリヴィエ・マルシャル、フランク・マンクーゾ、ジュリアン・ラプノー / 脚本協力:ドミニク・ロワゾー / 製作:シリル・コルボー=ジュスタン、ジャン=バティスト・デュポン、フランク・コロー / 製作総指揮:ユーグ・ダルモワ / 撮影:ドニ・ルダン / 美術:アンブル・フェルナンデーズ / 編集:アシュデ / 衣装:ナタリー・デュ・ロスコア / 音楽:エルワン・ケルモルヴァン、アクセル・ルノワール / 出演:ダニエル・オートゥイユ、ジェラール・ドパルデュー、アンドレ・デュソリエ、ロシュディ・ゼム、ヴァレリア・ゴリノ、ダニエル・デュヴァル、フランシス・ルノー、カトリーヌ・マルシャル、ミレーヌ・ドモンジョ / LGMシネマ、KLプロダクション、ゴーモン製作 / 配給:Asmik Ace
2004年フランス作品 / 上映時間:1時間50分 / 日本語字幕:松浦美奈
2006年12月16日日本公開
公式サイト : http://www.eiga.com/aruinu/
銀座テアトルシネマにて初見(2007/02/10)

[粗筋]
 いまパリを、凶悪な武装強盗集団が脅かしていた。現金輸送車を重装備で襲撃し、無数の犠牲者を出して現金を奪っていく。最初の事件から1年半、既に死者は9人に登っており、フランス警視庁に対する遺族やマスコミからのプレッシャーは激しさを増していた。現警視庁長官であるロベール・マンシーニ(アンドレ・デュソリエ)は国家警察総局長への就任が決まっており、それまでに重大な未解決事件を残しておきたくないという思いから、捜査官たちに24時間体制で事件にあたるよう発破をかける。
 BRB=強盗鎮圧班の指揮官であり、野心家のドニ・クラン警視(ジェラール・ドパルデュー)はこの捜査に熱意を燃やすが、連続強盗事件の捜査の責任者に任命されたのは彼と古い友人であり、BRBとはライバル意識の強いBRI=探索出動班の指揮官であるレオ・ヴリンクス(ダニエル・オートゥイユ)であった。長官はドニの強すぎる野心を危惧しており、そのせいもあって自らの後任にもレオを検討していたのである。
 一方のレオは極めて有能な刑事であるが、しかしそれ故に常に危険な橋も渡っている。古馴染みの元娼婦マヌー(ミレーヌ・ドモンジョ)の店が襲撃されたことを知ると、その犯人であるギャングを拉致し、二度と手出しをせぬよう約束させるような犯罪同様の行為にも手を染めている。多かれ少なかれ、現場に身を置く刑事ならば冒す危険であったが、その柔軟さが重大な局面で彼を窮地に追い込む。仮出所中だったレオの元情報屋シリアン(ロシュディ・ゼム)がレオを呼び出し車に乗ってきたかと思うと、かつてシリアンを密告したギャングを射殺したのである。シリアンはレオ自身と彼の家族の身の安全とを引換に、自らのアリバイを証言するよう要求する。そしてもう一つの代償として、シリアンは武装強盗のメンバーの名前を教えるのだった。
 微妙な状況に陥れられながらも、レオはシリアンの情報に頼った。武装強盗のアジトを洗い出し、綿密な計画を立て、犯行直前の言い逃れの利かない状態での摘発を狙う。だが、長年レオの相棒を務め、間もなく退官予定のエディ・ヴァランス警部(ダニエル・デュヴァル)の目は誤魔化せなかった。事件以外のことに意識を奪われているレオを気遣う彼に、だがレオは本当のことを話せない。
 やがて襲撃犯たちのアジトが判明すると、新たな計画のために動き出す瞬間を、レオたちはひたすら待つ。BRIだけがその場に居合わせることに異を唱えたドニは、レオの指揮下に入ることを条件に、一部の部下とともに計画の一端を担うことを許された。だが、待ちに待った、犯人たちが動いたその時、事態は悲劇的な展開を迎える……

[感想]
 本編は実話を下敷きにしている、という。1985年、ギャング団の一斉検挙を企図した作戦の途上、功名心に焦った人物が独断専行に及び、銃撃戦に発展した挙句警察・ギャング団双方に死者が出た。一覧に“脚本協力”として記したドミニク・ロワゾーもこの作戦に携わっていた人物のひとりだったが、事件の処罰と並行して行われた汚職の捜査で、ロワゾーは容疑者としてリストアップされ、有罪を宣告された。懲役12年を言い渡され、実際に収容された6年半のあいだに、彼は妻も友人も仕事も失った。ロワゾー含む一部の警官は、どうやらスケープ・ゴートとして過剰な刑を強いられた節がある。
 監督であるオリヴィエ・マルシャルは元警察官であり、この事件にも多くの友人・知人が絡んでいたという。そういう背景からすれば当然ながら、本編にはひとかたならぬリアリティが備わっている。リュック・ベッソンら近年のフランス娯楽映画の作り手たちが描く警察像にはどこかしら現実離れしていたり、間抜けさや滑稽な部分を強調しすぎているきらいがあるが、本編は意表を衝きながらも頷かされる描写が多い。
 その最たるものが冒頭である。幾つもの情景がモザイク状に鏤められるなか、ライダー姿の二人組がフランス警視庁の案内板を外して逃走する様子が描かれる。はて、これがいったいどんな事件と結びつくのかと息を凝らして観ていると――何とこのライダーはふたりとも警官であり、間もなく退官する同僚への餞別として、仲間全員で添え書きをした案内板を用意するつもりだったのである。この意外な流れにいったん心を鷲掴みにされたが最後、常に死角から繰り広げられてくる新展開に目が離せなくなる。テンポの良い描写とそこに保たれる緊張感とが、強烈な牽引力を生んでいるのだ。
 そこに登場する人々の、造型の巧みさも出色である。中心となるレオ警視は捜査のうえでしばしば乱暴な手段を執り、裏では犯罪に等しい行いに及ぶこともあるが、使命感に優れた凛々しい人物として描かれる。その友人であるドニ警視は、優秀な警官を志し理想は高いが、しかしそれ故に激しい野心を孕み、行き過ぎた言動や態度が目立つ。特に、警視庁長官への昇進を願いながらレオに先を越されそうだと知ったあたりから、その行動は極端になっていく。友人同士の対立を結果的に招くことになった当の長官は、ふたりの資質の確かさと問題点を知るが故に悲しく、もどかしげな表情を垣間見せる。他にも、レオとエディに心酔する部下のティティ、レオとドニ双方の実績と才能を理解しながらも、直接の上司であるドニのドラスティックさについていけないものを感じつつある女性刑事、またレオとドニ両者の家族の掘り下げも、シンプルながら深い。完成度の高いこうした人物像が、物語にいっそうの厚みを齎している。
 意表を衝きながらもプロットの構成は絶妙で、随所に伏線を張り巡らせており、その意味でも緊密な仕上がりに安定感がある。ただ惜しいのは、それ故にすれっからしの観客であれば、恐らく終盤の展開が薄々察せられてしまうことだ。しかしこれを欠点と感じる人もまたあまりいないだろう――何故なら、予測出来るのはそれだけ緊密に心理的、物理的な伏線を用意してあるからだ。予定調和でありながら決して単純なハッピーエンドではなく、鮮烈に轟きながら余韻は苦くも味わい深い。
 程良く凝ったカメラワークと、どこか鈍色がかった映像の組み立ても秀逸である。画面の広さを利用しながら、決して行き過ぎたアイディアを盛り込まずにテンポを優先している、そのバランス感覚も優れていて、観ながらストレスを感じさせる瞬間が皆無なのだ。言うほどこれは容易いことではない。
 脚本良し、映像良し、役者良し。およそ文句のつけようがない、正統派かつ現代的に仕立て上げた、出色のフィルム・ノワールである。もう既にかなりの好評を博しており、だからこそ上映作品が多く入れ替わりの激しいこの状況で公開から2ヶ月以上も保っているわけであり、いまさらではあるが私からも太鼓判を捺させていただきたい。

(2007/02/11)


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