cinema / 『A.I. [Artificial Intelligence]』

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A.I. [Artificial Intelligence]
製作・原案:スタンリー・キューブリック / 監督・脚本:スティーヴン・スピルバーグ / 出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、ジュード・ロウ / 配給:Warner Bros.、松竹
2001年6月30日日本公開
2002年03月08日DVD日本版発売 [amazon]
2003年12月06日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト: http://www.ai-jp.net/

[粗筋]
 未来、極地の氷が溶解したことによって沿岸にあった都市は全て水没、資源の枯渇によって貧困が悪化し、一方都市部では妊娠の許可制が用いられるようになり、労働力の大部分を高性能のロボットが担うようになった時代の物語。
 極度に発達した技術により、ロボットは外見上も行動も人間と見分けのつかないレベルにまで及んでいたが、依然として感情――例えば“愛”は、反応を情報化して擬似的に再現するのみに留まっていた。ロボットを製造する企業・サイバートロニクスの開発者達は、そのレベルへの挑戦を試みる――そして誕生した最新鋭のロボット・デイヴィッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、実験的にサイバートロニクスの従業員・ヘンリー・スウィントン(サム・ロバーズ)とその妻・モニカ(フランシス・オコーナー)の元に齎される。スウィントン夫妻の一人息子は難病に冒され、治療法が発見されるまでの間冷凍睡眠処置がされており、ことにモニカの失意は見るに忍びないほどだったから。最初こそ抵抗を示したモニカだったが、彼女に飾り気のない親愛を見せるデイヴィッドに少しずつ心を動かされ、やがて最後の手続を行う――その時から、デイヴィッドにとってモニカはただひとりの“ママ”となった。
 しかし、蜜月はあまりに短すぎた。モニカ達の本当の息子・マーティン(ジェイク・トーマス)の治療法が見出され、彼は奇跡的な生還を遂げた。無心にモニカを母として愛するデイヴィッドと、彼をあくまでクマのぬいぐるみのテディと同じ良くできた玩具――スーパートイズと捉えるマーティンとはうまく反りが合わず、マーティンに唆されてデイヴィッドはモニカを傷つけ、マーティンの友人の心無い悪戯から危うくマーティンを死なせそうになったデイヴィッドは、とうとうモニカの手によってテディ共々森に置き去りにされてしまう。その瞬間から、デイヴィッドの胸にはただ一つの望みが芽生えた。かつてマーティンと一緒にモニカに聴かせて貰った童話「ピノキオ」のように、青い妖精を見つけだして本当の人間の子供にして貰うこと。
 一方その頃、女性に一夜の悦楽を齎すことを使命として与えられたロボットのジゴロ・ジョー(ジュード・ロウ)は、呼ばれるままに訪れた常連客が殺害されていたために窮地に陥り、デイヴィッドと同じ森に逃げ込んでいた。だが折悪しく、ロボットを憎悪する人々の祭典「ジャンク・フェア」のために廃棄ロボットを狩る一団が森に出没し、ジョーもデイヴィッドもその網にかかってしまう。守って、と言ってその手を放さないデイヴィッドのために破壊の俎上に乗せられたジョーだったが、あまりに人間らしいデイヴィッドの立ち居振る舞いが観客の同情を呼び、ふたりは辛くも破壊の危機を免れる。自分を救ってくれたお礼にと、ジョーはデイヴィッドを彼が会いたいと願う青い妖精の元に導くことを約束した。女性、というデイヴィッドの表現を真に受けて、ジョーは彼を巨大な歓楽街へと導く――

[感想]
 ああ、また粗筋を最後まで書きそうになったじゃないか。
 色んな意味で、これほど期待を裏切られなかった作品も珍しい。はっきり言ってデイヴィッドと家族との葛藤、その後の冒険、ラストまで骨子はほぼ想像通りだった。だが、それで失望したということは全くなく、映像表現・音楽・そして細かな演技のひとつひとつに至るまで行き届いた気配りが目を逸らさせず、寧ろこのテーマ・このシナリオならばこうするしかない、という極限を見せており頷かせられる。反面、世界設定や背景を必要以上に語らせず、細かい場面は(例えば、マーティンの生死、スウィントン夫妻のその後、クライマックス手前での人々の動向など)観る者の想像に委ねているのも巧い。
 映像面での驚異的な先進性を敢えて脇に置くとすれば、本編の白眉はやはりハーレイ・ジョエル・オスメントの演技だろう。冒頭では人間の行動をスクエアに模倣し、動作に無駄がなかったものが話が進むに従って本当にごく普通の少年のように見えてくる(ただし、瞬きはしていない)この様が他の少年俳優に出来たとは思えない。一方で、ある意味地味なこの物語に文字通りの華を添えたジュード・ロウも素晴らしい。元々、『スターリングラード』で煤けていても汚されない驚異的な美貌の持ち主であり、だからこそ女性の性的快楽に奉仕するジゴロ・ロボットという役柄が嵌っているのだが、初登場時のコミカルさを保ち表面的に変化しないながらも確かに意識の成長を見せ、デイヴィッドとの別れのシーンに於ける最後の一言に圧倒的な説得力を齎した演技は高く評価されて然るべきだと思う。
 ――さて、本編で問題となるのはやはり終盤の、何処かぎこちなく映る展開だろう。これについては、ネタバレを忌避する方のために、そして観賞後にもうちょっと深い考察を試みてみたくなった方のために、別のページにて続けたいと思う。興味がおありの方は、↓の「深層」をクリックしてお進み下さい。

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(2001/7/20・2004/06/16追記)


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