cinema / 『めぐみ―引き裂かれた家族の30年』

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めぐみ―引き裂かれた家族の30年
原題:“ABDUCTION The Megumi Yokota Story” / 監督・製作・脚本:パティ・キム&クリス・シェリダン / 製作総指揮:ジェーン・カンピオン / 製作協力:ユウコ・カワベ / 撮影・編集:クリス・シェリダン / BBCスタッフ:ニック・フレイザー / ストーリー・コンサルタント:ローリー・マクレラン / 作曲:ショージ・カメダ / 出演:横田滋、横田早紀江、増元照明 / サファリ・メディア・プロダクション製作 / 協力:BBC社 / 配給:GAGA Communications
2006年アメリカ作品 / 上映時間:1時間30分
2006年11月25日日本公開
公式サイト : http://megumi.gyao.jp/
銀座テアトルシネマにて初見(2007/01/06)

[粗筋](敬称略)
 1977年11月15日、新潟県新潟市でごく平穏に暮らしていた横田一家の生活は、この日を境に激変する。ごく普通に学校に行った横田家の長女・めぐみは、そのまま戻ってこなかった。友達と別れたのち行方知れずとなり、警察犬は道のある時点から追うことが出来なくなり、車で拉致されたものと考えられた。身代金の要求があることも想定していた両親であったが、何の音沙汰もないまま、警察はやがて公開捜査に踏み切り、それでも何の痕跡も見いだせないまま――3年が瞬く間に経過した。
 誘拐とも家出とも判然としなかった彼女の失踪に新たな解釈を齎したのは、1980年、産経新聞が掲載した記事であった。日本海沿岸で繰り返される謎のアベック連続失踪事件に光を当て、一連の出来事が外国の諜報機関による犯行の可能性があることを示唆したのである。だがしかし、この時点ではあくまで“新たに浮かんだ可能性”に過ぎなかった。当時、この報道に携わった記者は、仮にこのとき問われたとしたら、一連のアベック失踪との関連はない、と推測しただろうと述懐する。
 そして、この報道は横田めぐみの失踪はおろか、消えたアベックたちの消息を完全に確かめることも出来ず、“深い闇”を窺わせるだけに留まった。国ぐるみの拉致事件、という側面が本格的に世間の注目を集めたのはそれから更に7年後、大韓航空機爆破事件が発生したときのことである。日本人名義で航空機に搭乗、爆弾を仕掛けたかどで逮捕された金賢姫が証言する、自らに日本語と日本人としての習慣を教えた人物の容貌が、拉致されたと見られる人々のひとり、田口八重子に酷似していたのだ――

[感想]
 関心が本格的に高まり、その疑惑が熟するまでにはだいぶ時間を費やしたものの、現在では日本人で知らぬ者のほとんどいない、北朝鮮による日本人拉致事件。そのなかでも、最年少で拉致され、ご両親が拉致被害者救出運動のなかで前面に立って活動していたことから、最も名前が知れ渡っていると思われるのが、本編の“主人公”である横田めぐみさんである。彼女に対して、日本人ではなく外国人の視点から注目し、事件を整理したのがこのドキュメンタリーである。
 北朝鮮との交渉があらゆる面から硬直している現在はともかく、小泉首相の訪朝を契機に劇的な進展があり、以降様々な情報が飛び交った2002年からしばらくは絶え間なく報道されたため、当時低学年だったというのでもない限り、詳細は知っているという人が日本ではほとんどだろう。それ故、本編に格別新しい情報はなく、その意味での目新しさはない。例外として、めぐみさんが拉致される前年に録音された、コーラスでの独唱テープが流れる場面があるが、これは現実にあった凄惨なドラマとしての側面を強調する素材にこそなれ、情報としての価値はさほど高くない。
 だが、そうして了解済みの事実ばかりが並んでいることを思うと、却ってこの作品がドキュメンタリーとして非常によく纏まっていることが解る。尺は1時間30分と短めだが、その短いなかでも終始観る側の関心を惹きつけ飽きさせることがない。もともと一連の経緯がフィクションにすら稀なほど劇的で、単純に羅列しただけであっても興味を呼ぶことは間違いないのだけれど、その点を差し引いても本編の製作者たちの技倆が窺われる。
 事実を扱い、表現するうえでのバランス感覚も優れている。全般におどろおどろしさを強調しがちな音楽がやや気に掛かるものの、過剰に使いすぎてはいないし、またやたらとエキゾチックを装った曲調にしても、海外で見せるためには寧ろ伝わりやすくする効果があると評価できる。拉致被害者家族の窮状を訴えるためにヒステリックになることもなく、あまりに距離を置いた見方にもならず、情緒過多や主観的になることを巧みに避けながら、感情表現も無視してはいないその距離感が終始絶妙だ。拉致の当事者である北朝鮮憎しという論調に陥ることもなく、また運動が加熱するあまり些か常軌を逸した部分も幾度か織り交ぜ、事件に関わる事物の種々の側面を極力盛り込んで、様々な理解の仕方が出来るような配慮も窺われる。結果として本編は社会問題としてではなく、未だ“戻らない”“少女”の面影を追って奔走し、苦悩しつづける家族の物語として事件を見つめ直すことが可能となった。そうさせる手管が実に巧みであり、ドキュメンタリー映画としての完成度の高さを示している。
 それにしても、こうして当時の報道映像や僅かな再現映像、そして新たに撮影されたインタビューを鏤めたものを見ていると、この事件の異様さが改めて実感される。なまじのフィクションでは描けない――というより荒唐無稽と評されそうな出来事の連続で、しかも事態は未だ納得のいく決着を見ていない。
 第三国の視点を得ることで、ナショナリズムに傾斜したりヒステリックな見方になるのを極力避けることに成功した本編は、あの事件を改めて理解するうえで非常に有用な仕上がりとなっている。一連の拉致事件に多少なりとも関心のある方なら一見の価値があり、そういう観点を抜きにしても優秀なドキュメンタリー映画である。

(2007/01/06)


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