cinema / 『アブノーマル・ビューティ』

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アブノーマル・ビューティ
英題:“Ab-Normal Beauty” / 監督:オキサイド・パン / 脚本:オキサイド・パン、パク・シン・パン / 製作:オキサイド&ダニー・パン / 製作総指揮:ダニエル・ラム、チウ・スー・ユン / 出演:レース・ウォン、ロザンヌ・ウォン、アンソン・リョン、ミシェル・ライ、イーキン・チェン / 提供:デックスエンタテインメント / 配給:Libero
2004年香港作品 / 上映時間:1時間38分 / 日本語字幕:仙野陽子
2006年02月25日日本公開
渋谷シアター・イメージフォーラムにて初見(2006/02/25)

[粗筋]
 大学で美術を専攻し、コンクールで最優秀賞を獲得するほどの実力を備えたジン(レース・ウォン)。だが彼女自身は、自分の才能に疑問を抱いていた。己の完成させた作品を見ても、何か足りないものがあるように感じる。
 ある日、親友であるジャスミン(ロザンヌ・ウォン)の家を訪ねようと出かけた矢先、ジンは交通事故を目撃する。大破した車の前に転がる息絶えた人間の姿――戦慄しながらも、ジンは携えていたカメラを構え、屍体に向かって幾度もシャッターを切った。
 この出来事を契機に、ジンは撮影の素材を静物から動物――いや、死ぬ瞬間の生物へと切り替える。肉屋で潰される、市場で捌かれる魚、町中に転がる犬の屍体……彼女は取り憑かれたようにシャッターを切り続けた。
 すっかり死に魅せられた親友に対し、ジャスミンは苦言を呈するが、ジンは自殺を仄めかして抵抗する。異様な態度に驚愕しながらも、ジャスミンはこのとき初めてジンの抱えたトラウマを知る――彼女は幼いころ、従兄弟たちによって性的なイタズラを受けた過去があったのだ。他人に才能を認められながら自分では許容できず、好意を寄せるアンソン(アンソン・リョン)を筆頭に男性に心を開かなかったのは、そのトラウマが原因だった。
 或いはそうした幼少時代の忌まわしい記憶が自分を死への憧憬に走らせている、と感じていたジンに、やがて決定的な出来事が訪れる。街中を歩いていた彼女が、にわかに視線を上げる人々につられて顔を上げると、そこにはビルの屋上に佇むひとりの女の姿。反射的にカメラを構えた彼女の目の前で、女は身を投じた――その姿を追って執拗にシャッターを切り、地面に全身を叩きつけ血を流す骸を様々な角度から捉えようとするジン。自宅地下の暗室で現像しながら、彼女はそのときの陶酔を反芻していた。
 その晩、家の外に人影を見つけ動揺するジンだったが、すぐにアンソンだと判明する。彼がジンを慕うあまり、物陰から自分の姿を撮影し続けていたことを知ったジンは、自分でも想像していなかった行動に出てしまう……

[感想]
 良くも悪くも、パン兄弟らしい作品である。率直に言えば、全体に悪い部分のほうが誇張されていたように思う。
 序盤は芸術を学ぶ女性ジンが死に魅せられていくさまを描いており、残酷な映像はあれどそれはジンの心が危険な傾向を帯びていくことを象徴するために用いているものであって、その不快感も不気味さを醸成する役割をきちんと果たしている。ジャスミンとの関係性が見えにくい、ストーカーまがいの好意を寄せるアンソンがいまひとつ活かされていないことを除けば、序盤の仕上がりは悪くない。
 が、問題は後半である。ジャスミンの友情によって感情の均衡を取り戻しかけたジンのもとに届けられた写真とビデオとが、彼女を恐怖に陥れていく。序盤の心理サスペンス的な描写から一転、後半はまったく外部からの、暴力的な脅威が齎す恐怖を主眼に話を進めていく。序盤の伏線があってこの展開に至っているのは間違いないが、物語の手触りがまったく違うので、衝撃よりも戸惑いをまず感じてしまう。
 何より、最も重要であるクライマックスの展開がかなり支離滅裂なのだ。何故そのあと犯人はあの人物を狙い、最後に彼女にまでああした形で魔手を伸ばしたのか。物語が最高潮となる場面で、そうした展開を裏打ちするものについてまったく伏線が用意されず、またろくすっぽ説明もされていないために、直接的な暴力の衝撃ばかりが強まって、序盤にあったような感覚的に追い込まれる緊迫感が一切失われてしまっている。言ってみれば、序盤で描いてきたものとはまるっきり矛盾するクライマックスなのである。
 犯人の設定に意外性らしきものは添えられてあるが、多少この手の作品に馴染んだ人間ならば「ああ、これが伏線だな」と一目で気づくぐらいに稚拙なものだし、何よりそこからああした行動に犯人が走った動機が仄めかされてもおらず、説明されてもいないのはいけない。真っ先に想像できる感情が動機であれば、犯人がラストであんな行為に及ぶはずがない。終盤の出来事にしても、あまりに不自然である。
 ストーリー周りについては斯様に幾らでも難点を挙げられるのだが、しかし一方で、そうした難点の多い物語を、さほど飽きさせることなく魅せてしまう表現の巧さは、それ故に折り紙付きと言うことも出来る。心理サスペンスを盛り上げる、という観点からするといささか音響は騒々しすぎるし、映像にも処理を加えすぎている感はあるが、その辺は好きずきだろう。悪趣味と上品との狭間を漂う独特の色遣いに無数のカットをテンポよく織りあげ、緩急をつけて物語を演出していく映像のセンスに、印象的な音楽を随所で用い、台詞や効果音と絡めてその場の異様な空気を強調していく音響の作り方は、自らの個性をよく弁えており、職人的なものを感じさせる。
 また、全体に破綻気味であるとはいえ、底に潜むテーマは悪くないし、その観点からすれば結末は実に衝撃的であり、惨くもほのかに甘美な余韻を齎す、いい選択であったと言える。実のところここで描かれる事実は誰しもが想像出来るもので、恐らくは製作者が意図していたであろう意外性は演出されておらず、やはりプロットの弱さをも露呈する結果になっているが、この結末を選んだセンスと演出の巧さは否定できない。
 何より秀逸なのは、ヒロインに選ばれたジン=レース・ウォンという女性の魅力を多面的に引き出している点だ。あるときは不気味に、あるときは愛らしく、また終盤においては鬼気迫るような表情を引き出し、服装についても普段着や寝間着など、何気ない装いがことごとく印象的に描かれているのが実に見事だ。
 結末に明瞭なカタルシスの用意されたサスペンスを期待すると、かなり失望するかも知れない。だが、細かな場面のセンスや音響の扱い、ヒロインの描き方など独自のセンスが横溢しており、娯楽らしいリズム感のある“映像”を堪能したいという向き、何よりこれまでのパン兄弟作品のそうした魅力に惹かれた観客であればまず楽しめるはず。――故に、冒頭の一文が結論となるわけだ。

(2006/02/25)


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