cinema / 『アバウト・シュミット』

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アバウト・シュミット
原題:“About Schmidt” / 原作:ルイス・ビグレー / 監督・脚本:アレクサンダー・ペイン / 脚本:ジム・テイラー / 撮影監督:ジェームズ・グレノン / 製作:ハリー・ギテス、マイケル・ベスマン / 美術:ジェーン・アン・スチュワート / 編集:ケヴィン・テント / 音楽:ロルフ・ケント / 出演:ジャック・ニコルソン、キャシー・ベイツ、ダーモット・マルロニー、ホープ・デイヴィス、ハワード・ヘッセマン、レン・キャリオー / 配給:GAGA-HUMAX
2002年アメリカ作品 / 上映時間:2時間5分 / 字幕:松浦美奈
2003年05月24日日本公開
公式サイト : http://www.about-s.jp/
日比谷みゆき座にて初見(2003/06/14)

[粗筋]
 ウォーレン・R・シュミット(ジャック・ニコルソン)。ネブラスカ州オマハで妻ヘレン(ジューン・スクイブ)とふたり暮らし。今年、66歳まで勤め上げた保険会社“ウッドメン”を定年退職した。レイ・ニコルス(レン・キャリオー)を中心とした友人たちの手で盛大な引退記念パーティーも開いてもらい、それなりに満足のいく老後を送る、つもりでいた。
 だが、引退した彼を待っていたのは、退屈で無為な日常だけだった。もうじき、デンバーで暮らす一人娘ジーニー(ホープ・デイヴィス)の結婚式があるが、ウォーレンは未だに相手のランドール・ハーツェル(ダーモット・マルロニー)という男に納得がいっていない。少々薹が立ったきらいはあるが聡明なジーニーに、しがないセールスマンで妙に坊ちゃん坊ちゃんしたような男が相応しいとは到底思えなかった。
 退職したあとも午前七時には目醒めてしまうウォーレンは、ある日会社で自分の後を引き継いだ若者を訪ねてみた。解らないことがあればいつでも連絡を、という約束になっていたが、後任はまるで問題なく精力的に仕事をこなしているようだった。帰り道、会社のガレージの片隅に、ウォーレンは自分が在籍時に作った書類が廃棄物よろしく置き去りにされているのを見てしまう。
 自宅のリビングで意味もなくチャンネルを替えていて、ふとひとつの番組にウォーレンは目を留めた。未開国の恵まれない子供達に月々たった22ドルの寄付を、彼らの養親となってください、と呼びかける、“チャイルド・リーチ”という慈善事業の広告番組だった。最後に表示された電話番号を、ウォーレンはほとんど反射的にプッシュした。
 間もなく“チャイルド・リーチ”からお礼の手紙と共に、ひとりの少年の写真と履歴が届いた。ンドゥグという少年の「養父」として、彼に手紙を書いてあげてください、という趣旨だった。個人的なことを、という注文に、ウォーレンは自分の現状をやや粉飾しながら、しかし妻や娘の結婚相手への不満を率直に綴った手紙を書き、寄付と共に郵便局に持って行った。自宅に戻った彼を待っていたのは、既に息絶えたヘレンの姿だった。
 脳内出血で急死した妻のために、友人は無論、娘と婚約者もはるばるオマハまで飛んできてくれた。みな悔やみの言葉を投げかけてくれるが、あまりに急な出来事でウォーレンは実感が湧かずにいる。そこへもってきて、ランドールは胡散臭い投資の話を持ちかけてくるし、娘は相変わらず説得に耳を貸さず、母の棺に安物を使ったことでウォーレンを罵りさえした。失意のなか、ウォーレンの一人っきりの生活が始まった……

[感想]
 30〜40年後に見たら本気で身に染みるかも知れません。
 めったやたらにBGMを使わず、ところどころに無音状態を配しての演出はのびやかながら、随所にユーモアを交えて飽きさせない。ニューヨークやロサンジェルスなど主要大都市中心のアメリカ映画にあって、オマハという馴染みの薄い土地から出発する物語で描かれる情景は新鮮。そして、沈黙と引き換えに要所要所で流れるBGMも、メロディが活きていて心地よい。
 だが何より特筆するべきは、偶像的なヒーローとは百八十度異なる、ごく普通の男性の老後を徹底的にリアルに描いていること。冒頭、荷造りも済んで閑散とした会社のオフィスで、数分も前から時計を睨んで、午後五時になるのを無為に待ち続ける姿がまず象徴的だが、そこから畳みかけるように露見する主人公の思惑違いがあまりに生々しく、妙にコミカルに描かれている分よけいに身を切られるような感覚に陥る。
 加えて、見ている方は、決してウォーレン・シュミットの周囲がおかしいのではなく、彼の持つ(人としてはごく自然な)エリート意識・成功願望そのものが現実と齟齬を来しているだけだ、と解る分、彼の言動は痛々しい。とりわけ、中盤から始まる旅の途中で、ちょっと同情を垣間見せた主婦に迫って拒まれるシーンなど、情けなくてもらい泣きしそうになる。有り体のメロドラマなら流されてそれだけ、という風にも持っていけるのに。
 そこを嫌らしさもなく、いっそ愛らしくさえ見せたジャック・ニコルソンの演技は絶品。引退直前、時計の針を見守っているときと引退パーティーのときは貫禄らしきものさえ窺わせながら、次第に生活に倦んで弛緩していく様、思うままにならない状況に翻弄される姿を自然に、しかし見苦しくならない範囲で表現している。
 彼を取り囲む登場人物も、必要以上にエキセントリックにならず、しかしきっちり個性を作り上げているから、余計にドラマが引き立っている。終盤でウォーレンを最も翻弄する花婿の母親を演じたキャシー・ベイツの、コミカルな「怖さ」が特に素晴らしい。
 様々な紆余曲折を経、観客をやきもきさせた挙句の決着は、だがシュミット氏を囲む困難の解決にはなっていないし、さほど意外なものでもない。それでも驚かされ、思わず感動するのは……まあ、流石にそれは映画を観て納得して欲しい。
 シュミット氏のキャラクターに感情移入できない、そのリアリティが実感できないと、なんだか放り出されたような気がして消化不良に陥ることも確実の作品である。私ぐらいの年代の人間が本気で実感するにはあと数十年を必要とする気もするが、それ故に長く愛される気配を湛えた、実に「いい」アメリカ映画。いま本編のシュミット氏と同年代、という人に限らず、社会に出たすべての人に感じるところのある作品ではなかろうか。
 ……ただ、プログラムでの扱いといい、一歩間違うとある種のキャンペーン映像に見えなくもないんだけど、それはご愛敬ということで。あくまで主題を強調するためのガジェットに過ぎないのだから。

 ジャック・ニコルソン主演作の感想をアップするのはこれで三度目だが、最初の『恋愛小説家』は孤独で偏屈な小説家、次の『プレッジ』は孤独で優秀な元刑事、この『アバウト・シュミット』は孤独で平凡なリタイア社会人……ことごとく「孤独」がつく役柄である。怪優には孤独が似合う、ということか。「孤高」ではないのがミソ。

(2003/06/14)


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