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『light as a feather』トップページに戻るAIKI
監督・脚本:天願大介 / 製作総指揮:中村雅哉 / 撮影:李 以須 / 照明:李 龍禹、石丸隆一 / 録音:矢野正人 / 美術:稲垣尚夫 / 音楽:めいなCo. / 編集:阿部瓦英 / 出演:加藤晴彦、ともさかりえ、石橋 凌、火野正平、原 千晶、木内晶子、桑名正博 / 配給:日活
2002年日本作品 / 上映時間:1時間59分
2002年11月30日公開
公式サイト : http://www.aiki.cc/
テアトル新宿にて初見(2003/01/04)[粗筋]
ボクシングの新人王決定戦準々決勝、劇的な勝利を収めたその帰途、芦原太一(加藤晴彦)を思いがけない悲運が見舞った。彼の運転していたバイクの横っ腹に普通乗用車が衝突、同乗していた恋人のチカ(木内晶子)は肋骨と片足の骨折で済んだが、太一は三日間人事不詳に陥り、目醒めた彼に通告されたのは大腿骨の複雑骨折と脊髄損傷――下半身麻痺だった。ボクサーとしての復帰はもとより、今後は車椅子での生活を余儀なくされる。
太一は人生の一切合切に絶望し、自暴自棄になった。恋人も友人も遠離け、事故直後に自殺してしまった加害者の家族に対しても暴言を吐いて追い返す。同じく脊髄損傷のため下半身麻痺となり、自宅の事情から家に帰ることを強硬に拒みつつ傍目には障害者としての暮らしを満喫しているようにも見える常滑(火野正平)は太一に現状を受け入れるよう諭すが、簡単に首肯できるはずもない。毎日支給される薬の中から睡眠薬だけを抜き出して、数が貯まったところで飲み干すつもりでいた。が、数を勘定しているところを常滑に見咎められ、押収されてしまう。常滑はあと1年だけ生きてみろ、それで面白いことが見つからなかったら自殺しても構わない、と言う。
だが、結局1年を費やしても何も見つからなかった。定職にも就かず障害者年金で食いつなぎ、加害者の家族から毎月送られてくる慰謝料をパチンコに注ぎ込んで、相変わらず自暴自棄の暮らしを続けていた。自分のために決まりかかっていた結婚を先送りにした姉に対しても、不遜な態度しか取ることが出来ない。女の子に乱暴を働こうとしていたゴロツキに絡んで、既に拳から往年の力が失われていることを知ると「殺してくれ」と懇願する――もう自分で自分を殺す気力も太一にはなかった。
そこへたまたま通りかかったテキ屋の元締め権水(桑名正博)に助けられ、何故か見込まれてしまった太一は露店の店番を任されることになった。最初の仕事で、慣れない客商売に苦戦していると、そこの神社で巫女のアルバイトをしながらギャンブルで生活しているという変わり者の娘が見かねて客引きの手管を指南してくれる。
どうにか就職の口も得、イカサマ師のサマ子(ともさかりえ)と名乗った彼女との交流を通して前向きな姿勢を取り戻しはじめると、太一の中に格闘技への意欲が甦った。早速かつて所属していたジムを訪れるが、車椅子からの打撃は腹筋が利かず思うようにならない。空手や柔道、様々な道場の門を叩くが車椅子に乗っているというだけで難色を示されるのがオチだった。
思い悩んでいたある日、サマ子の顔を見に行くつもりで訪れた古武術奉納の舞台で、太一はひとつの技に魅せられた――その男性は、ある時は直立不動で、ある時は蹲踞の姿勢で、ある時は寝そべった態勢から、襲いかかる男たちを僅かな身動きだけで容易く跳ね飛ばす。太一は早速、その演武の当事者――大東流合気柔術の師範・平石(石橋 凌)に弟子入りを願い出るが、「道場がないから」と即答はされなかった。今度も駄目だろう、と半ば諦めていた太一の自宅に、だが程なく平石から連絡が入る。平石はわざわざ自ら車椅子に乗って合気柔術が可能か検証したあとで、太一に弟子入りを認めたのだ。
合気柔術との出逢いを契機に、太一は次第に自らの障害と折り合いを付けていく……[感想]
爽快。
骨格はシンプルな青春ものであり、挫折からの再起という主題も有り体のものである。しかし、その細部の確かさが秀でている。
脊髄損傷による半身不随、というのも頻繁に取り扱われたテーマだが、リハビリに始まって快復後の日常生活をきっちりと、しかも排泄と性生活まで描いた例をあまり知らない。かといって過剰に描き込まず、さらりとしかし物語に根付いた形で見せているのも巧い。弟子入りを無碍に断った道場の看板に、屎尿バッグに入った尿を振りかけるあたりなど、かなりえげつないながら笑わされてしまった。
ごく一部に奇矯すぎるキャラクターが見受けられる(終盤で太一らと戦う流派の師範がその代表)が、主要な登場人物は設定こそ独創的だがそれぞれに地に足がついていて、不自然さが微塵もないあたりに安定感がある。とりわけ、本業はサラリーマンで、人気のない武道であるため特定の道場がもてず、市民会館でもスケジュールを削られがちな講座を持つ師範、という設定が実に生々しい。石橋凌がまたそれを自然に、飄々と演じているのが印象的だった。
しかしやはり評価するべきは加藤晴彦の好演である。失意から次第に立ち直っていく様をきっちりと表情で見せているのは当然として、素晴らしいのは車椅子の扱いだ。物語が進むに従ってすこしずつハンドル捌きが巧みになっていくその姿は、事前に練習を積み重ねたことが窺われる。そして何よりクライマックスでの立ち回り、殆ど自らの体と同様に車椅子を動かす様は、仮にスタッフの手助けがあったとしても感動的なレベルである。
主人公に幸福を齎すのではなく、生きる目的を与えるだけに留めたラストも秀逸。それに対する師範平石の語りかけと最後の立ち回りまで含めて、爽快な余韻がずっと胸に残る。新年早々、いいものを拝見しました。お薦め。本編の監督・脚本担当である天願大介氏といえば、濱マイクシリーズ(映画版)の共同脚本と、本編の先駆けとも言えるドキュメンタリー『無敵のハンディキャップ』で知られている。私も朧気にそういう知識だけは持っていたのだが――プログラムを買って驚いたのは、氏が『うなぎ』『赤い橋の下のぬるい水』で国際的に評価の高い今村昌平氏の子息であるということ。映画通には常識かも知れないが、元々外国映画寄りでしかも日本映画にはあまり馴染みのない私には結構衝撃だった。だからと言って作品を見るうえでそんなに影響はないのだけど。
もひとつ余談。元々ともさかりえを役者としてかなり高く評価していた私だったが、本編を見てますます惚れ込んだ気がする。特に巫女装束がいい。その格好で斜に構えて煙草を吸ってみたり、様子を見に来た太一(加藤晴彦)にピースサインを出してみせたりするのが何とも可愛いのだ。この辺、巫女萌えの某氏に見せて講評を賜りたいところだが別に強制はしません。だって作中では実質上この2箇所しか巫女姿見せてくれんし。
(2003/01/04)