cinema / 『AIR [劇場版]』

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AIR [劇場版]
原作・監修:Visual Art's/Key / 監督:出﨑 統 / 脚本:中村 誠 / 企画:東 伊里弥、横田 守 / キャラクター原案:樋上いたる / キャラクターデザイン:小林明美 / 編集:後藤正治 / CGディレクター:吉安 徹 / 美術監督:行 信三 / 作画監督:窪 秀巳 / オリジナル作曲:折戸伸治、戸越まごめ、麻枝 准 / 音楽:周防義和 / 声の出演:川上とも子、久川 綾、緑川 光、西村ちなみ、井上喜久子、神奈延年、三木眞一郎、冬馬由美、今野宏美、永島由子、潘 恵子、置鮎龍太郎 / 配給:東映
2004・5年日本作品 / 上映時間:約1時間30分
2005年02月05日公開
公式サイト : http://www.air2004.com/
池袋シネマサンシャイン(六番館)にて初見(2005/02/25)

[粗筋]
 夏が来る。潮騒と蝉の声、そして祭の準備に忙しさを増す夏が。
 一年間まともに登校していなかった神尾観鈴(川上とも子)が突然、夏休みのフィールドワークに参加したい、と担任教師に申し出た。“わたしの町”というテーマで、何かについて図書館の文献などを参考に調べていくもの。普通であればグループで行うべき内容だが、長い間教室から遠ざかっていた彼女に親しい友人はなく、既にグループも出来てしまっている。観鈴はひとりでやります、と担任に言葉だけは陽気に告げた。
 観鈴が約一週間後に祭を控えた神社に伝わる翼人伝説に興味を抱いたその頃、町をひとりの男が訪れた。彼――国崎往人(緑川 光)は人形程度なら手を触れずに動かすことが出来る能力を使って大道芸を行い、町から町へと渡り歩いている。祭を当て込んでやって来たはいいが、一週間後と聞いて彼は少々悄気た。野宿をし、子供相手に芸をして細々と稼ぐにも限界がある。思案していた矢先に、彼は観鈴と出逢った。
 観鈴は翼人伝説にまつわる土地を訪ねるために自転車を利用しようとしたのだが、生来の不器用で巧く漕げない。子供相手で多少は稼げると言っても限度のある往人をラーメンセット餃子付きで誘惑し、フィールドワークに付き合ってもらった。道々、観鈴は調査中の翼人伝説の経緯について、往人に語る。
 時は平安の頃、呪われた力の持ち主として翼のある人間――“翼人”を忌んだ時の帝は、既に子を孕んでいた翼人を捕らえ、生まれた子である神奈備命(西村ちなみ)もまた別の場所に幽閉してしまった。やがて美しい娘に成長した神奈姫は、京からやって来た若者・柳也(神奈延年)に恋をする。館から出ることを一切許されない彼女のために、柳也は諸国で見聞きした出来事を土産代わりに運び続けた。そうして、ふたりは次第に心を通わせていくが、それは神奈にとって危険な行為だったのだ……
 手伝うのは一日限り、一週間も祭を待って野宿は出来ないと、翌日には町を発つつもりでバス停にいた往人の前に、ふたたび観鈴は姿を見せた。フィールドワークを手伝ってもらう代わりに、食事と寝場所とを提供する、という条件で。
 その日の夜、迎え入れられた神尾家で、往人ははじめて観鈴の母・晴子(久川 綾)に引き合わされた。毎日沢山の仕事をこなし酒を喰らってバイクに跨り、関西弁で捲し立てる彼女は観鈴の母親にしては少々若く、パワフルすぎるような気がするが、互いを思いやっているのは部外者の往人にも解る。家に引きこもりがちだった娘がいきなり連れてきたどこの馬の骨とも知れない男をいともやすく受け入れて、「仲良くやってえな」と言い放つ彼女に驚かされながら、往人の短い居候生活が始まった。
 そのときはまだ気づかなかったのだ。観鈴と晴子の暮らしにある、大きな翳りの意味に。

[感想]
 ……粗筋ならほとんどプログラムを見返すこともなく書けるぐらいにアウトラインが頭のなかに収まっている、そのくらいに色々と因縁のある作品ゆえ、身贔屓と客観性、押さえるべきところと外してもいいところの匙加減が自分のなかで非常に難しいのですが、そのバランスを無視しても、概ね失敗していると言わざるを得ません。
 まず、原作との比較という観点から考えてみましょう。もともとの原作であるゲーム版は『DREAM』『SUMMER』『AIR』の三章構成を取っており、『DREAM』はヒロイン格が三人いるいわば恋愛テーマのアドヴェンチャー・ゲームの体裁になっていますが、残る二章は一本道で、あるテーマに基づいてこれでもかこれでもかとばかりにテキストを詰め込んだ、長大な作品です。そのテーマを僅か90分程度の尺に詰め込もうというのですから、もともと難事業であることは目に見えている。
 いちおう、基本的なテーマと出来事は敷衍しています。どちらも観た・遊んだことのない方のために詳述は控えますが、その点では原作に忠実であろうとしていることは認めたい。ただ、その描き方が案の定、非常に舌足らずになっている。主要なパーツを速やかに見せるためにイベントのパッチワークのような構成を採っているのですが、前後の出来事との脈絡が解りにくく、異常なくらいに話運びがギクシャクしています。フィールドワークを手伝っている理由をあとでちゃんと示したり、という風にきちんとフォローしている場面よりも、何の補足もなしにいきなり話が進んでしまう場面のほうが圧倒的に多い。無論たいていは終盤で押さえられるのですが、それでも場面場面の脈絡が乏しいことに違いはありません。パッチワーク風の構成がスピード感を生むことはあるのですが、本編ではそれが成功しているとはお世辞にも言い難い。
 テーマを圧縮するために原作にはない“フィールドワーク”に“自転車”、翼人伝承に基づいたと見られる祭の情景など新たな要素を挿入しているのですが、これについても評価できるアイディアよりも、踏み込み不足で却って物語を煩雑にしてしまった感のあるものが大半でした。
 特にいけないのが、翼人伝承とその舞台となる平安時代の描写です。原作の神奈は育ちの複雑さを反映して天の邪鬼かつ虚無的な言動が目立ち、それだけに時折覗かせる“女の子”の部分が際立つキャラクターであったのに、この映画ではただの凡庸な平安恋物語のヒロインに成り下がっている。柳也にしても、設定に大幅な改訂が加えられた結果、至極有り体な“貴族”になってしまっています。彼の背景がまったく殺されている。この平安時代の出来事と現代の出来事がシンクロしている点は原作通りながら、この平板な解釈に変えられてしまったことで、話は簡略化されたものの甚だ退屈なものになってしまったことも否定できません。平安時代の考証も充分になされているとは言い難い。
 そのうえ、翼人伝承を盛り込みながら意味もなく人魚の肉をはんで不老不死となった八百比丘尼伝説に突然触れてみたり、“翼”にまつわる解釈を大幅に弄りそれをプロットの軸にしながら途中までほとんど説明がなかったり、と原作ファンにとってもオリジナルを一切知らない観客にとっても不自然で雑な組み立て方をしている。原作は解釈に幅があることが確かに魅力になっていますが、それでも説明するべきところはすべて説明していたことをまるで見ていないのかも知れない、そんな風にさえ勘繰ってしまいます。
「ぴこぴこ」と鳴く謎の犬みたいな生き物・ポテトや観鈴の奇妙な口癖など、下手をすると作品のストーリー性に疵をつけかねない要素はなるべく減らしながらも随所に思いがけない形で挿入し(ポテトの登場の仕方はなかなか面白かった)、原作ファンに対する配慮は覗かせているのですが、しかし全般的にはあまり納得できる出来とは言い難い。単体で成立するものを創り上げようという意気込みはあるようですが、原作のテーマをまともに盛り込もうとしたあまり、極端に整理整頓の出来ていない仕上がりになっていると感じました。
 では、原作を知らず、この映画でいきなり『AIR』という世界観に触れた人なら受け入れられる内容か、と訊ねられると――やはり首を傾げざるを得ません。前述の通りのパッチワーク風の構成が拙いために、出来事と出来事の関連性が掴みにくくいまいち作品世界に入っていけない。
 世界観を省いて鑑賞すれば、本編は“愛する”ということにリスクを孕んだ少女の物語、ということになり、焦点は観鈴の想いと往人・晴子の懊悩に当てられます。そこまでテーマを絞り込んだことは評価できるのですが、いけないのはメインとなる観鈴・往人のモノローグが多すぎること。ほどほどに挿入されるのなら詩情と感じられもしますが、ここまで多すぎると独善的、自己陶酔としか感じられない。あまりに自らの想いを強烈に語りすぎるせいで、観客のほうが感情移入することが出来ず、本来盛りあがるべき場面で一歩引いてしまう。きつい言い方をすると、醒めてしまうのです。原作を切り離して単純にドラマとして鑑賞しても、未熟に過ぎます。
 仮にモノローグを削ったとしても、終盤の言動や心理描写についての伏線が序盤で充分に張られていないので、感情移入が難しいことに変わりはありません。根本的にシナリオの練り込み、刈り込みが不充分であると感じました。
 また、アニメ的な演出、無意味にアップや奇妙なアングル、凝った一枚絵をやたらと挿入した演出についても疑問が湧きます。適度であればメリハリにもなるのですが、やたらとキャラクターに近づきすぎるので、ふんだんすぎるモノローグと相俟ってやはり醒める原因となっている。適度に距離を置いて、必要なときだけ接近するぐらいのバランス感覚でないと、この作品の“拡がり”は表現できなかったのではないでしょうか。
 海をはじめとした映像の美しさ、止め絵の端然とした佇まいは大いに評価したいところですし、部分部分の台詞やシチュエーションには光るものもあり、フィールドワークに自転車、終盤の解釈など尺に制約のある映画向けの改竄としては悪くないと思える点も少なからずあるのは間違いないのだが、それを束ねる姿勢がまったく一貫していないためにほとんどを無駄にしています。原作のゲームに触れた人間のみ、評価するにせよしないにせよ楽しめる程度の出来です。個人的には認めたいところも無数にあるのですが、単体で成立するような作品を仕上げようとした志が感じられるわりにはその水準にはまったく達していない、と言わざるを得ません。ああ、勿体ない。

(2005/02/26)


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