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ALI
監督:マイケル・マン / 製作総指揮:ジョン・ピータース、ジェームズ・ラシター、ポール・アルダージ、マイケル・マン、A・キットマン・ホー / 脚本:スティーヴン・J・ライベル、クリストファー・ウィルキンソン、エリック・ロス、マイケル・マン / 原案:グレゴリー・アレン・ハワード / 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ、スティーヴン・リブキン、リンジー・クリングマン / 音楽:リサ・ジェラード、ピーター・バーク / 出演:ウィル・スミス、ジェイミー・フォックス、ジョン・ボイト、マリオ・ヴァン・ピーブルズ、ロン・シルバー、ジェフリー・ライト、ミケルティ・ウィリアムソン、ジェイダ・ピンケット・スミス、ノナ・ゲイ、マイケル・ミッシェル / 配給:松竹、日本ヘラルド
2001年アメリカ作品 / 上映時間:2時間37分 / 字幕:岡田莊平
2002年05月25日日本公開
2002年10月25日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.ali-movie.jp/
劇場にて初見(2002/05/25)

[粗筋]
 1964年、マイアミ。世界ヘビー級王座はソニー・リストンから22歳の若き天才カシアス・クレイ(ウィル・スミス)に移った。才能は確かだが大言壮語も多く、サービスを逸脱した言動で世間を賑わすことの多かったカシアスは、優勝した翌日に“ネイション・オブ・イスラム”への入信を発表する。若き指導者として精力的な活動を繰り広げていたマルコムX(マリオ・ヴァン・ピーブルズ)と信頼関係を築き、指導者イライジャ・モハメドからは、新たに“モハメド・アリ”(称賛に値する人物)という名前を戴き、その信仰を包み隠さない彼だったが、チャンピオンになっても変わらぬ天衣無縫な行動はたびたび世論の批判を浴びる。しかし、カシアス――アリは昂然と言い放つのだった。「俺は俺のなりたい自分になる。自分になることをこれっぽっちも怖れていない」
 しかし、世間は英雄であるアリを束縛した。その現実が明確になったのは、王座獲得の翌年、次第に黒人迫害に対する怒りを抑えきれなくなっていたマルコムXが凶弾に倒れた瞬間であった。5月に行われたアリにとって初めての防衛戦は、マルコム同様に“ネイション・オブ・イスラム”の英雄であった彼の安全を守る名目でFBIの厳重な監視下に置かれ閑散とし、対戦相手である前王者ソニー・リストンの呆気ない敗北もあってアリにとって不満の多いイベントとなった。私的な面でも、劇的な一目惚れから間もなく結婚したソンジー・ロイ(ジェイダ・ピンケット・スミス)との間に信仰の理由などから溝を生じ、僅か1年で破局を迎える。そして、折しもアメリカはベトナムとの本格戦争に突入し、アリもまた徴兵制度の網にかかっていた――信仰上の理由と、何より「自分よりも弱い人間を殺すための戦争になんか行けない」という意志から徴兵を拒んだ彼はその場で手錠をかけられ、1967年有罪判決を受ける。即刻上訴するが、アリは裁判を待つ間一切の試合を禁じられ、罪人としてタイトルさえ剥奪されてしまった。
 無実とタイトルの奪還――それはアリにとって、最も辛い戦いの始まりを意味していた……

[感想]
 ああっ、出演者の名前が三つしか出せなかったっ!
 つまりは、粗筋を書くのにひじょーに大変な思いをするほど入り組み身の詰まった作品なのである。「伝記にはしたくない」と語りながらも、初のタイトル獲得から完全復活までをほぼ事実に添って描いた作品故に、エピソードが複雑化してしまうのは致し方のないところだろう。アカデミーで主演男優賞を争った(獲ったのは全く別の作品だったが)『ビューティフル・マインド』と同様に、実在の人物に取材しながら物語として成立し、娯楽性を保とうとする試みだが、内面との戦いであった『ビューティフル〜』よりも話が拡散し解りづらくなってしまったのも、不可抗力とはいえ不満の残る部分となった。特に、ベトナム戦争や当時の日本人にとって想像を絶する黒人迫害の実態、そしてそれに抵抗する人々の物語についてある程度予備知識がないと、登場人物の思想背景も会話の内容も解りにくい点が少なからずあるのも、脚本を公平に評価する上ではマイナス材料となる。
 しかし、そういう不利や不備に目を瞑り、或いは資料などで補うことが出来るなら、これ程見事な英雄譚はない。自らの望むままに道を進み、壁に突き当たりながらも着実に勝利を積み重ねてきた男の姿は、感涙に噎ぶのとはまた違う感動を味わわせてくれる。実在のモハメド・アリの生き様を直接眼にする機会のなかった世代にも、その気概を感じさせる仕上がりとなっている。
 そして、ストーリーのことを脇に置いても、見事に不屈のボクサーを体現したウィル・スミスは間違いなく称賛に値する。日常の所作さえ如何にも拳の遣り取りで糊口を凌いでいる男の雰囲気を漂わせ、少なくとも彼が本来ミュージシャンであったことを思い出させる場面は一瞬もない。また、相手役に現役のボクサーを採用し、顔こそ当てなかったもののボディには本当のパンチの応酬があったという試合場面の迫力が凄い――それだけに、普段からボクシングに対して「野蛮」だとか「見ているだけで辛い」という感情を抱いている向きには少々合わない内容になっている、とも言えるのだが。
 ところどころミュージックビデオに見えるとか、無意味なモノローグやカットが多くこれで2時間半はちょっと冗長ではないか、とか嫌味も色々と思い浮かぶのだが、ここまで一人の男の「生き様」を見事に焼き付けた事実だけで仕事としては大成功だろう。個々人の評価とは別のレベルで意義を認めたい秀作。

 個人的には、ある意味凛々しく見えて当然のウィル・スミスよりも、とっても怪しげな頭髪をさんざアリに揶揄されカメラの前では皮肉の応酬を見せながら、裏に回ると理解者として影ながらアリを助け続けたスポーツ・ジャーナリスト−ハワード・コーセルを演じたジョン・ボイトの方が格好良く見えたのだった。しかしこのアンジェリーナ・ジョリーの父、観る映画観る映画で全く印象が違うためクレジットに名前が出るまで気づかないことが多いのだ。そう言えば、確か本編の演技でボイトはゴールデン・グローブか何かの助演男優賞候補に挙がっていた、とかなりあとになってから思い出し、心から納得する。

(2002/05/25・2004/06/22追記)


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