cinema / 『アマンドラ!希望の歌』

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アマンドラ!希望の歌
原題:“Amandla!:A Revolution in Four Part Harmony” / 監督:リー・ハーシュ / 製作:シェリー・シンプソン、リー・ハーシュ / 出演:ミリアム・マケーパ、ヒュー・マセケラ、アブドゥラ・イブラヒム、ヴーシー・マーラセラ、シボンギレ・クマロ / アルチザン・エンタテインメント提供 / 宣伝協力:SLOWLEARNER / 配給:KLOCKWORX
2002年南アフリカ・アメリカ作品 / 上映時間:1時間44分 / 日本語字幕:伊原奈津子、夏海佑実 / 日本語字幕監修:ピーター・バラカン
2004年08月07日日本公開
公式サイト : http://www.amandla.info/
ヴァージンシネマズ六本木ヒルズにて初見(2004/08/14)

[粗筋]
 1948年、南アフリカ共和国のフェルワールド大統領はアパルトヘイトの実施を宣言した。白人富裕層の暮らす都市部から黒人を指定された土地へと移住させる――有効な隣人関係のための政策、とおどけて語るその政策はまごうかたなき人種隔離政策であり、この宣言が同時に南アフリカ政府と黒人たちとの40年を越える戦いの始まりだった。
 黒人たちは早速激しい抵抗を示した。天才作曲家ヴィシレ・ミニはこの頃に頭角を顕し、毎週新しい歌を発表したという。だが彼は間もなく投獄され、拷問にも仲間の名を漏らさなかったという罪で絞首刑に処された。死ぬその一瞬前まで彼は歌い続けていたという。気をつけろフェルワールド、黒人たちが来るぞ、と。
 しかし50年代なかばに政策は事実上完成され、メドウランズなどの都市に隔離が確立された。60年代には当時を代表するミュージシャンたち――ジャズ・トランペット奏者のヒュー・マセケラ、歌手のミリアム・マケーパ、ジャズ・ピアニストのアブドゥラ・イブラヒムが相次いで国外追放となり、彼らの曲を聴いただけで処罰される、という情勢に陥る。けれど、それでも、人々は戦いと共に歌うことを決して止めようとしなかった――

[感想]
 アパルトヘイトという、近代に生まれたなかでは最も苛烈な人種隔離政策の存在を知らない人はあるまい。だが、それが交付と同時に徹底されたものではなかったこと、その抵抗運動に黒人たちの絶え間ない歌声が存在したことは知られていない。
 この映画は40年という長きに亘って、有名無名を問わず多くの被差別層が生み出した“歌”をもってその抵抗の歴史を綴っている。実際の出来事については多くを語らず、当時を知る人々にその頃の“歌”について語らせることで苦しめられた黒人たちのその時々の感情を代弁する手法は、固有名詞や出来事の概要が伝わりにくい代わりに、感情は生々しく伝わってくる。
 最初の頃は白人への敵意をあからさまに示しながらどこか洒脱さを留めていた歌の内容が、牽引力となった人々の処刑や国外追放、象徴であったネルソン・マンデラの投獄を境に諦念や哀感を帯びる。だが、自由への渇望はスティーヴ・ビコらの新たなる指導者を呼び、ふたたび攻撃性を帯びる。そして末期には、それ自体が軍や警察を恐怖させたという、歌と踊りが一体化した“トイトイ”を取り入れ、やがてマンデラの解放と大統領就任という黒人側の全面勝利に繋がっていく。原題が示すとおり、南アフリカの解放運動に伴う歌が四つの傾向に分類され、それと併せて情勢が変化していく様子も実に解り易く把握出来る。この革命がまさに、歴史上極めて稀な“歌によって成し遂げられた”革命である、という、額面だけでは俄に受け入れがたい事実も簡単に納得出来るのだ。
 本編はあくまでドキュメンタリーとしての基本に忠実に、複数の関係者からの証言を再構成し、アパルトヘイト浸透の過程と黒人たちの意識の変遷を段階的に追っていく。前述のように、焦点が“歌”に合わせられているので固有名詞が把握出来ず実際の出来事の全体像が掴みにくい嫌味はあるが、歌の内容の変化があるために流れは捉えやすい。また、決して黒人側のみから綴るのではなく、退役した元兵士や、死刑囚を収容する刑務所の看守だったという人物からのコメントを織り交ぜていくことで公平さも保っている。その彼らも一様に、黒人たちの折り重なる“歌声”を畏怖していたのがよく解るのだ。本編の構成が優れていることがいちばん良く解るのは、冒頭と結末に同じく墓を掘り返す場面があるのに、その意味合いがまるで異なっていることである。冒頭は悲劇の一端を示すものだが、結末で描かれるそれは、黒人たちの勝利を如実に代弁している。このコントラストが巧い。
 それにしても折々に混ぜられる歌のなんと力強いことか。随所でギター一本の弾き語りと美しい声、流れるような語り口でしかし壮絶な出来事を綴るヴーシー・マーラセラ、後年現地で催されたジャズ・フェスティバルにて、炭坑や金鉱での労働のために汽車で運ばれる人々の姿を迫力の歌声とトランペットで表現するヒュー・マセケラ、当時幾つも生まれては消えていったプロテスト・ソングを自らの経験と併せて口ずさむ女優や歌手たち、何より躰を揺らし大きく足踏みをしながら合唱する老若男女の姿。丁寧に作り込まれた音響のお陰でその心からの叫びは劇場いっぱいに響き渡り、骨身にまで浸透するような心地がする。
 最終的にネルソン・マンデラは解放され、初の選挙によって彼がリーダーを務めるアフリカ人民族会議(ANC)が政権を確保するに至って、黒人たちは勝利を得る。むろん、これで物語が終わったわけではない。民主化から10年を過ぎたいま、確実に貧富の差は埋められ、民主制の理念も浸透しているようだが、戦うべきものは依然として存在する。だが、それさえも彼らは歌いながら弾き飛ばしてしまいそうな心地がするのだ。
 作中、観ようによってはネルソン・マンデラ以上に大きく扱われているヒュー・マセケラは笑いながらこう言う。「過去に良き時代はない、いまこそが遠い将来に“良き時代”として語られる時代だ」この言葉にある確信の強さこそが、本編が語ろうとした民衆のエネルギーの到達した場所を如実に表している。いまの日本にはない圧倒的な力強さを体感したいなら、是非とも劇場で一見、もとい一聴あれ。確実に力が湧いてきます。

 実質的に“音楽映画”であるために、かなり先行して発売されたサウンドトラック[amazon]も充実の出来となっている。作中ほぼ途切れることなく引用された幾つもの楽曲の中から、CDの容量いっぱいの29曲を収録しており、ヴーシー・マーラセラの美しい弾き語りにヒュー・マセケラの渋みと力強さを併せ持った演奏から、伴奏なしのシュプレヒコールにも似た人々による合唱まで充実した内容となっている。
 だが、一部の楽曲はスタジオでの演奏であるせいか、ライブの模様を収録した映像版と比べるといささか丸く、力強さに欠ける感があるのがちょっと残念だった。無論、歌そのものに籠められたテーマの重みは失われたわけではないので、演奏の完成度も含めて聴き応えは充分。映画でその演奏に魅せられた方は当然のこと、劇場に行く時間はないけれどその雰囲気を味わってみたいという方はいちど聴いてみてください。

(2004/08/15)


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