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『light as a feather』トップページに戻るAPPLESEED
原作:士郎正宗(青心社・刊) / 監督・プロダクションデザイン:荒牧伸志 / プロデュース:曽利文彦 / 脚本:半田はるか、上代 務 / CGプロデューサー:豊嶋勇作 / CGディレクター:大塚康弘 / 絵コンテ:秋山勝仁、九 市、吉田英俊、荒牧伸志 / キャラクターデザイン:山田正樹 / メカニックデザイン:高倉武史 / 音楽:Boom Boom Satellites / 製作:アップルシード・パートナーズ(ミコット・アンド・バサラ、TBS、ジェネオン・エンタテインメント、やまと、東宝、TYO、デジタル・フロンティア、MBS) / 声の出演:小林 愛、小杉十郎太、松岡由貴、小山茉美、山田美穂、藤本 譲、子安武人、森川智之 / モーションアクター:三輪明日美、宮下敬夫、加藤ともみ。古田耕子 / 配給:東宝
2004年日本作品 / 上映時間:1時間43分
2004年04月17日公開
公式サイト : http://www.a-seed.jp/
シネ・リーブル池袋にて初見(2004/05/01)[粗筋]
非核大戦と呼ばれる、全世界を壊滅させた戦争のあと。廃墟と化した市街でレジスタンス活動を続けていたデュナン・ナッツ(声&フェイシャル=小林 愛、モーションアクター=三輪明日美&秋本つばさ)が、オリュンポスの行政院直属部隊ES.W.A.T.によって確保された。
麻酔から覚めたデュナンの目に、オリュンポスはまるで夢の世界のように映った。オリュンポスはヒトの遺伝子を受け継ぎつつ異なったスタンスで製造されたバイオロイドとヒトとが半々に存在する都市であり、その最終意志決定機関である立法院は“七賢老”と呼ばれる人々と自己増殖形ネットワーク“ガイア”との議論によって世界を統括している。彼らの庇護のもと、ヒトもバイオロイドも、それまでデュナンが戦っていた世界が嘘のように平穏な暮らしを送っているのだった……
デュナンを立法院の老人たちに引き合わせたのは、外界から優秀なヒトを迎え入れる使命を与えられたバイオロイド・ヒトミ(声&フェイシャル=松岡由貴、モーションアクター=加藤ともみ&吉沢季代)。生殖機能を封印され、感情も抑制されているというバイオロイドたちだったが、案内と称してデュナンを連れ回るヒトミの様子は人なつっこく、違いは分からない。
寧ろ、デュナンにはオリュンポスで再会したかつての恋人・ブリアレオス(声=小杉十郎太、モーションアクター=宮下敬夫&堀口達哉)の変化に困惑していた。戦闘中に肉体を失い、七賢老によって救われ全身サイボーグとなって蘇ったとは言え、デュナンとの再会を喜ぶ様子も見せない。ヒトミとともに街を散策中、何者かによって襲撃されたデュナンを身を挺して守ってくれるブリアレオスだったが、それさえも「任務だ」と言うだけだった。
非核大戦を生き抜いた類い希な戦闘能力を買われて、デュナンはすぐさまES.W.A.T.に配属された。スーツ状の兵器ランドメイトをメカニックのバイオロイド・義経(声=森川智之、フェイシャル&モーションアクター=村山健太とともに)調整していたさなか、発令された緊急警報に、デュナンは他のES.W.A.T.隊員とともに出動する。正体不明のランドメイトたちによるこのテロが、やがてデュナンに大きな選択を迫ることになる……[感想]
人間が咳をする理由ってご存知でしょうか。肺に影響する何らかの病気の兆候として現れる身体反応、という説明が出来ますが、同時に人間の肉体が本来あるべき状態に回復するために体が行う防衛反応のひとつなわけです。原因は多々あれど、その本質に変わりはなく、肺と気道を持った生物の多くは備えている機能と考えられる。
では質問です。完全に肉体を消失して機械化された人間が、どうして瀕死のときに咳をするんですか?
……とまあ、これが本編の弱点をいちばんよく象徴する事実だと思われる。原罪を背負った人間と、彼らによって創造されながら感情や肉体能力を制限されているバイオロイドが共存し、生物とは異なるロジックに管理を委ねている理想的なはずの社会に潜む矛盾と相克――という魅力的なテーマや大部分のガジェットはよく出来ているものの、ところどころ踏み込みが浅く矛盾や半端な描写がある。感情を抑制されているとしながらバイオロイドの代表として登場するヒトミは表情が乏しくも発言は実に感情豊かで、どこがヒトと呼ばれるものと異なるのか判別できないし、またそうした存在とは無縁に戦場で生きて来たはずのデュナンが、完全に肉体を損ない記憶以外はまるっきり別のものとなってしまったブリアレオスを簡単に受け入れてしまうくだりはどーにも理解に苦しむ。その合間に様々なやり取りがあったことは想像できるが、それにしても端折りすぎで戸惑わされる。
この点に限らず、脚本や演出に稚拙な箇所が多い。人間の顔の動きをキャプチャーすることにより、アニメーションとしては極めて自然な表情を作っているはずなのに、その表情が全般に単純すぎてあまり効果を成していないし、カメラワークや演出が安易でしばしば物語が単調に陥っている。アクションシーンでのスローモーションなどより、何気ない場面での静寂やタメをもう少し意識して欲しいところ。
技術力は確かに従来より底上げされているようで、普通に想像する3DCGアニメーションと比較して映像の自然さがより増している――のは解るのだが、それでも、というよりだからこそ、と言うべきか、不出来な場面を見つけると特に意識させられてしまうのが問題だ。終盤で描かれる雨や波の動きは秀麗のひとことに尽きるが、序盤から中盤にかけて登場するハイウェイの背景はまるで3Dレースゲームの背景で、正直失笑させられた。その一方で、作中最も力が入っていたように見受けられる冒頭の格闘シーンは、暗闇が基調になっているせいでキャラクターの動きが把握しづらく、折角の迫力が大半損なわれていた――尤もこれは、わたしが鑑賞した劇場のスクリーン或いはフィルムのコンディションが万全でなかった可能性もある。このあと訪れた劇場で偶然にも本編の予告編がかかったのだが、そちらは同じシーンを扱っても見難いと感じることはなかった。
難ばかりを上げたが、しかし基本的にはさほど問題なく楽しめる。同じ士郎正宗作品に基づく『イノセンス』と比べるとストーリーはずっと単純明快になっているし、結末のカタルシスも大きい。静かでほとんど動じることのないバトーと比べると、感情が剥き出しに近いデュナンは年齢を問わず入り込みやすいキャラクターだろう。モーションキャプチャーの技術はこと彼女については奏功していて、一挙手一投足が(乱暴者にも拘わらず)愛らしく見えるのは実にお見事。
新技術を導入した作品ということとを割り引いても、その不徹底ぶりや脚本・演出の拙さはどーしても引っかかるところがあるものの、それは温かい目で見てあげることとしましょう。少なくとも、人物の動きにはほとんど違和感を抱かせなかったというだけでも大したもの。既に決定しているという噂の続編ではそうした問題点をクリアして、より高みに達してくれることを願うばかり。(2004/05/01)