cinema / 『アビエイター』

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アビエイター
原題:“The Aviator” / 監督:マーティン・スコセッシ / 製作総指揮:レオナルド・ディカプリオ、クリス・ブリガム、リック・ヨーン、ハーヴェイ・ワインスタイン、ボブ・ワインスタイン、リック・シュワルツ、コリン・コッター / 製作:マイケル・マン、サンディ・クライマン、グラハム・キング、チャールズ・エヴァンスJr. / 脚本:ジョン・ローガン / 共同製作:ジョセフ・P・ライディ / 撮影監督:ロバート・リチャードソン,A.S.C. / 美術:ダンテ・フェレッティ / 編集:セルマ・スクーンメーカー,A.C.E. / 視覚効果スーパーヴァイザー:ロブ・レガート / 衣装デザイン:サンディ・パウエル / 音楽:ハワード・ショア / 音楽スーパーヴァイザー:ランダル・ポスター / キャスティング:エレン・ルイス / 出演:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ブランシェット、ケイト・ベッキンセール、ジョン・C・ライリー、アレック・ボールドウィン、アラン・アルダ、イアン・ホルム、ダニー・ヒューストン、グウェン・ステファニー、ジュード・ロウ、アダム・スコット、マット・ロス、ケリー・ガーナー、ウィレム・デフォー / 配給:松竹×日本ヘラルド
2004年アメリカ作品 / 上映時間:2時間49分 / 日本語字幕:古田由紀子
2005年03月26日日本公開
公式サイト : http://www.aviator-movie.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2005/04/12)

[粗筋]
 1927年、『地獄の天使』撮影クルーはリハーサルに挑みながら、苛立ちを隠せずにいた。若干21歳にして両親の遺産を継ぎ、石油掘削機の開発によって巨万の富を成したハワード・ヒューズ(レオナルド・ディカプリオ)の製作・監督によるこの映画は本物志向を謳い、実機を用いた戦闘シーンの撮影を目論んでいたが、飛行機に搭載するカメラが二台不足している、という理由で中断していた。ヒューズは映画関係者の大挙するパーティーに乗り込み、MGMの幹部ジョニー・メイヤー(アダム・スコット)にカメラの貸し出しを頼むが、成り上がりの映画製作者に対するハリウッドの冷たさを思い知らされただけだった。
 しかし、ハワードの奔放な行動は外部の者ばかりでなく、身辺のスタッフにも苦い顔をさせていた。会社の幹部でありながら経営には直接手を出さず、映画のために資金を湯水のように使いまくり、新たに会計士に就任したノア・ディートリッヒ(ジョン・C・ライリー)を苦悩させた。また、折角撮影した戦闘シーンは実物を使用したにも拘わらず満足のいく迫力が得られなかったために、UCLAの気象学者フィッツ教授(イアン・ホルム)を急遽雇い入れ、“理想的”な雲の位置を推測させようとするが、誰もが想像できるとおり雲の動きが思い通りになるはずもなく、八ヶ月に亘って撮影は中断する。トーキーの時代が訪れることを予見して急遽音声を追加し、更に撮影を終了した数十キロに及ぶフィルムの編集に長い時間を費やし、払底しかけた資金調達のため、ノアに会社を抵当に入れるよう指示した。
 こうして周辺を懊悩せしめた映画『地獄の天使』が遂に完成した。ヒロイン役に大抜擢したジーン・ハーロウ(グウェン・ステファニー)をエスコートして訪れた試写会場でふたりを囲んだ記者たちの態度は興味本位であったが、試写終了と共に評価は一転する。上映終了と同時に万雷の拍手が響きわたり、会場をあとにしようとしたヒューズをふたたび大勢の記者たちが取り囲む。ヒューズの完璧主義を、マスコミが認めた瞬間であった。
 並行してヒューズはもうひとつの大望にも着手していった。飛行機の製造会社ヒューズ・エアクラフトを設立、映画で使用する飛行機制作のために雇用したエンジニアのグレン・オデカーク(マット・ロス)を中心に世界最速の飛行機の完成を目指し、その傍らで航空会社TWAを買収、航空事業へ本格的に乗り出していく。
 恐らくこの頃が、ヒューズにとって最も心身共に充実していた時期であっただろう。撮影現場に飛行機で乗り付けゴルフに誘い出した女優キャサリン・ヘップバーン(ケイト・ブランシェット)と意気投合し、瞬く間に恋に落ちた。ハリウッドのあまりに俗な慣習に馴染めず、冒険心旺盛な点で共通するキャサリンはハワードの良き理解者となり、ハワードもまた自らの操縦する飛行機で世界最速に到達したとき、いの一番にその喜びを彼女に伝えるのだった。
 しかし、あまりに似すぎていることは同時に不幸でもあった。ハワードは敢えて各所に様々な女優や有名人をエスコートして現れ話題を振りまいたが、キャサリンの自尊心はその意図を理解しながらも快しとはしなかった。喧嘩の真っ最中でも電話に出、ビジネスの話に熱中する彼の姿にキャサリンは、理解者であるが故にどうしようもない距離を感じつつあった。
 ハワードの情熱は止むところを知らない。次第に高まる軍需に備え、グレンとともに史上最大規模の輸送機“ハーキュリーズ”の構想を練りはじめ、またロッキード社と契約を結んで購入したコンステレーション機をTWA社の主戦力に抜擢、映画産業においても航空事業においても気を吐き続ける。その代償に、ハワードは最大の理解者であったキャサリンを遂に失うこととなる。
 だが、そればかりではなかった。ハワード・ヒューズ自身が抱えていた大きな問題――潔癖性が、少しずつこの“革命家”を苛みはじめていたのだ……

[感想]
 なんとなく、“不幸な作品”という印象が付きまとっている。批評家筋からも高い評価を得、各種ランキングで上位に上がりながら念願であったはずのアカデミー賞は最多部門ノミネート、実際の戴冠も最多五部門ながら主要部門は助演女優賞のみという結果に終わり、興収的にも評価と規模からすると少々物足りない。
 スコセッシ監督に対しても主演のディカプリオに対しても、『ギャング・オブ・ニューヨーク』製作の経緯や同じ監督・主演の続投という状況(ちなみに次回作『The Departed』も同じコンビの予定)からどうしても歪んだ見方をしてしまう私が、実物を観て率直に「面白い」と感じたのだから、作品の完成度は疑うべくもない。しかし同時に、なにゆえこうも不運な成り行きを辿ったのかも、理解できたように思うのだ。
 最大の原因は、テーマそのものが持つ“空虚さ”だろう。本作の主人公であるハワード・ヒューズについてはよくご存知の方も多いだろうが、20世紀のアメリカ経済界で圧倒的な存在感を発揮した実業家である。上記粗筋ののち、自らの操縦する実験機の墜落や公聴会への召喚といった出来事を経たもののそうした窮地を脱し、終生ビジネス面で成功を続けてきた。だがその一方で潔癖性から端を発した強迫神経症による奇行が目立ちはじめ、晩年には他者との交流を一切断って孤独な生活を送っていたという。1976年、旅の途上で生涯を閉じるが、誰もハワード・ヒューズ本人と確認できなかったため、検死官は証拠として指紋を残すことを指示したそうだ。およそ幸福な死に様とは言えまい。
 そうした晩年の不運を、本編で描かれる出来事は既に予見させている。序盤からその潔癖性が悪化していくさまをじわじわと描き、ヒューズが成功者となっていくに従って強まる周囲の反発や、あまりに自由奔放すぎる彼の発想と周辺の人々との乖離により深まる孤独感が物語の底に黒々と覗く。その暗澹としたイメージが、作品の齎す余韻にも濃い影を落としているのだ。
 そもそも、ヒューズの見せるショウ・ビジネスや飛行機に対する執着に明確な目的が窺えないことも、作品全体の空虚な印象を強める一因となっている。ショウ・ビジネスというものは根本的に空虚さを孕んでいるものだが、『地獄の天使』という大望を成し遂げたあとも映画製作に邁進しながらその先にあるヴィジョンは不明瞭なままであり、物語の終盤では影を薄くしている。またもう一方の宿願である航空業においても、当初の目的は世界最速の飛行機であり、ひいては“空”を支配することにあったと見えるが、最終的にその限界が定めにくくなり、客観的に目標が曖昧になっている。その曖昧さが、ひいてはビジネスというもの全般の孕む“空虚さ”を助長し、作品にも影響を及ぼしている。結果として、作品としての評価の高さにも拘わらずいま一歩伸び悩む原因となっている、と感じた。
 しかし、翻って考えれば、それ故にハワード・ヒューズという実業家の実像によく迫った作品と言える。彼の型破りな人間性と表裏一体にある大いなる欠陥、驚異的な成功を築きながらも喪うものの多かった生涯を、わずか二十年ほどに絞り込みながら見事に表現している。
 娯楽映画としての完成度も極めて高い。『飛行家(アビエイター)』という題名通り、ハワード・ヒューズという人物は実業家である以上に操縦士である己に自負があったと見え、後半に入って大事故に遭遇した際、助けてくれた人物に向かって己の肩書きを“飛行家”と説いている。そのくらいに飛行機に執着のあった人物だけあって、人生の重大な局面では例外なく飛行機が絡んでくるのだが、その映像の迫力がとにかく素晴らしい。冒頭の映画撮影の場面における、無数に乱舞する飛行機の間を自らも縦横に飛び回り、翼に固定したカメラを壊されてもハンディカメラで撮影を続ける姿。飛行機での最高速度への挑戦中、燃料切れギリギリまで粘った末に記録を叩き出しながら不時着する様。そして軍用飛行機の実験中にビバリーヒルズのただ中へ墜落していく映像の衝撃的な迫力。映画とはこういうものだ、と高らかに叫ぶような映像の数々は見応えに溢れている。
 そうした場面を踏まえながら、次第に社会的にも精神的にも追い込まれていく姿を容赦なく描き、ドラマ性も確立している。唐突に狂気へと踏み込んでいくのではなく、序盤からじわじわと伏線を鏤め、終盤で映像的な見せどころと併せて怒濤のように畳みかけることで物語全体にダイナミズムを添えている。二時間四十分を超える長尺ながら殆どと言っていいほどそれを意識させない所以である。
 テーマそのものが孕む空虚さと、また若干ながら残る人物処理の散漫さが疵となっているが、しかしそこまで要求するのは酷というものだろう。如何にも“映画らしい”見せ場をふんだんに用意した本編は、正しく“名画”と呼ぶに相応しい大作だと思う。観るつもりがおありならば是非とも劇場を訪れていただきたい。

 名声の割にいま一歩のところで不遇を託っているきらいのあるレオナルド・ディカプリオは、自ら立ち上げた製作会社初の作品として自らも製作総指揮に名を連ねた本編でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされながら、結局受賞を逃している。とは言えこの年のアカデミー賞主演男優賞は極めてレベルの高い戦いであり、なかでも文字通りの神憑りな演技を披露し、時流にも味方されていたジェイミー・フォックスと名前を連ねてしまったのが不運だった。ほかのノミネート俳優同様に、別の回であれば受賞に至っても不思議ではない名演だった。
 しかし、それでも本編における最大の功労者は、アカデミー助演女優賞を獲得したケイト・ブランシェットだったと思う。もともと出演作ごとにまったく印象を変えて現れるカメレオン的な名優だったが、本編では容姿においてさほど似ていたわけではない実在の名優キャサリン・ヘップバーンを、個性を際立たせることで見事に演じきっている。かなり早い段階でヒューズの人生から姿を消すキャラクターではあるが、それ故に物語後半で覗かせるヒューズの虚無的な側面に深い影響を齎す人物でもあり、その造型に説得力を与えた彼女の貢献は多大だ。
 観るたびに印象の一変するこの女優には前々から注目していたが、こういう形で明確に評価されたことが素直に喜ばしい。その意味では、本編の実現に全力を注いでいたというディカプリオに感謝せねばなるまい。

(2005/04/13)


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