cinema / 『ビューティフル・デイズ』

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ビューティフル・デイズ
原題:“Ada apa dengan Cinta?”(チンタに何が起こったか?) / 監督:ルディ・スジャルウォ / プロデューサー:リリ・リザ、ミラ・レスマナ / 原案:ミラ・レスマナ、リリ・リザ、プリマ・ラスディ / 脚本:ジュジュル・プラナント / 撮影:ロイ・ロラング / 編集:デウィ・S・アリバサ / 音楽:メリー・グスロウ&アント・フッド / 出演:ディアン・サストロワルドヨ、ニコラス・サプトラ、ラディア・シェリル、シシー・プリシラ、ティティ・カマル、アディニア・ウィラスティ、デニス・アディスワラ、フェビアン・リカルド、マン・ディマン / マイルス・プロダクション製作 / 配給:EDEN
2002年インドネシア作品 / 上映時間:1時間52分 / 日本語字幕:松浦美奈
2005年03月05日日本公開
公式サイト : http://www.beautifuldays.jp/
恵比寿ガーデンシネマにて初見(2005/03/05)

[粗筋]
 どこの国でも若者がしてることは大して変わらない。インドネシアはジャカルタの高校に通うチンタ(ディアン・サストロワルドヨ)は詩を書くのが好きな17歳の女の子。学校の壁新聞を一緒に作っている四人の少女とは大の親友で、“ひとりの敵はみんなの敵”“どんな悩みも打ち明け合う”という誓いを立てている。五人は何をするにも一緒だった。
 学校では毎年、詩のコンクールが開催されている。チンタは連続で優勝しており、今年もほとんどの生徒は彼女の優勝を疑っていなかった。だが、朝礼の壇上で教師が挙げた名前は、ランガ(ニコラス・サプトラ)――場は静まり、チンタの表情は強ばった。
 当のランガは朝礼の場にはいない。徒党を組むのを嫌う彼は倉庫の片隅でじっと本を読んでいた。気を許した数少ない人間のひとりである用務員のワルディマン(マン・ディマン)から、彼にあげた詩をコンクールに投じたところ優勝してしまった、と告げられても興味を示さない。やがて、新聞部の取材という名目で図書室にいるところを訪ねてきたチンタに対しても「審査員に訊いてくれ」とすげなく扱う。
 ランガの事情と本心など知るよしもないチンタはこの対応に傷つき腹を立てた。部室に戻るや仲間たちに「優勝したからってスター気取りなのよ!」と言い募り、これ以上図に乗らせるのは癪だから二度とインタビューなんかしない、と言う。
 だが、そう言いながら、自分を負かした詩と、いままで巡りあったことのないタイプの人間性が妙に気に掛かった。ランガの詩を繰り返し読み、彼が落とした本『AKU(僕)』という本を読み耽り、惹かれるあまりにこっそりとコピーしたあとでランガに返した。すぐにお礼にやってきたランガは思いの外素直で、内容について語り合ったあと、ランガは彼女を行きつけの古本屋に誘う。考える素振りをしたあと、ランガは誘いを受けた。
 折角いい雰囲気だったところなのに、立ち寄ったあとで友達との約束を思い出し頭を抱えたチンタにランガは「何をするにも一緒なんだな。主体性がない」と批判的なことを口にしてしまい、チンタはまた腹を立てて友達のところへ向かっていった。自分の言葉が間違っているとは思っていないまでも、無思慮に言い過ぎたことを反省したランガは明くる日、バスケットボールに参加する友達カルメン(アディニア・ウィラスティ)の応援をしていたチンタのもとを訪ねて詫びるが、またしても売り言葉に買い言葉で口論になってしまう。加えて、その様子をチンタに想いを寄せるボルネ(フェビアン・リカルド)に目撃され、物置にいたランガは「チンタに近づくな」と脅される。つきまとっているのはお前のほうだろ、と抵抗したランガだったが、多勢に無勢でボルネと仲間たちに袋叩きにされてしまった。
 それから二日間、ランガは学校に姿を見せなかった。マウラ(ティティ・カマル)ら友達を介して、「ランガの父親は危険人物らしい」という噂を耳にするといよいよ心配になってきて、思いあまった彼女は彼の家を訪ねる。顔についた傷を気遣うチンタに、ランガは「喧嘩を止めようとして失敗した」と弁解する。ランガの父親は危険人物どころか、チンタという若い客人に手ずからお茶を入れてくれるような極めて良識のある学者だった。真摯な訴えを疎まれて学校を放逐され、チンタがいるあいだにも火炎瓶を投げ込まれる騒動が生じるような状況に置かれている。その状況に耐えきれず、ランガの幼い弟ふたりを連れて母は家を出て行った。母を無責任な人間だと思われたくない、このことを告白したのはワルディマンと君だけだ――率直にそう告げる彼に、チンタは本気で恋をしている自分を知る。
 初めての、本物の恋心に浮かれていた彼女は、迂闊にも失念していたのだ。親友のひとりアリヤ(ラディア・シェリル)が置かれている境遇の危うさを――

[感想]
 粗筋冒頭に記した前提をのっけから崩してしまうが、どこの国の若者もやっていることは似たようなもの、とは限らない。本編を例に取っていちばんそれを顕著に感じるのは、学生達が通学に乗用車を用いて、しかも自ら運転していることである。前にピッタリと駐められてしまい出せなくなって往生する、といった描写もあり、高校生の大半は運転免許を取れる年齢ではなく、ましてや学校付近に駐車するスペースなどない日本からするとなかなか理解しづらい情景だ。他にも屋台やライブ風景、街の様子など、見慣れぬ要素は意識せずとも目に付く。
 だが、そうした文化的なギャップはあまり作品の流入しない異国から届いた映画を鑑賞するときの確実な楽しみ方のひとつであるし、本編に関して言えば、違いを意識するよりも共通点の多さに感心させられることのほうがずっと多い。女の子ばかりの新聞部室の壁やコルクボードに貼られた写真やカラフルなメモの類にアニメのポスター、友人の色恋を気にしたり、気になる男の子との外出を前にワードローブと鏡を前にあれでもないこれでもないと悩む姿、バンドのライブに赴く姿などなど、話している言葉や背景の差違を拭ってしまえば、日本でもその辺に見られるような平均的な女の子の姿だけが残る。
 物語全体で描かれている出来事も、文化的な差違をあまり感じさせないものだ。ひょんなことで出逢った、他の男の子とは一風変わった価値観を持つ異性に、反感を抱きながらも惹かれていくが、最初の行き違いから友達にその本心を打ち明けることが出来ず、恋心と友情の板挟みにあって悩む――どこででも聞くような話である。舞台がインドネシアであり、そこに暮らす女の子と男の子の生活様式が随所に反映されていることをなるべく視野から外せば、目に見えるのはどこにでもあるような若者像と、昨今の日本では滅多にお目にかかれなくなったオーソドックスな純愛物語だけだ。
 こういう作品が支持され大ヒットとなるのは、長い冬の時代を抜け出しつつあるインドネシア映画界ならでは――と言いたいところだが、実際にはそればっかりではない。オーソドックスななかにも、本編は光る箇所が無数にある。基本的に奇を衒うことなく、ヒロインであるチンタと彼女が惹かれていくランガ、そしてチンタの親友たちとの交流と、意に反して次第にすれ違っていくさまを堅実に描いていることもそうだが、すれ違い方の匙加減が絶妙なのである。まずチンタが取材と称してランガの元を訪れ、素っ気なく断られて仲間たちのところへ戻る。スター気取りだと誤解した彼女は憶測のままに悪口を並べ立てるが、このことが中盤以降、ランガに恋心を抱くようになりながら仲間たちには打ち明けにくい、というジレンマを生じさせる。恐らくそのチンタの揺れ動く心境をいちばん理解していたと思われるのが、後半で最も大きく物語を動かすアリヤだったというのがまた巧い。
 一方で、チンタやその親友たちに比べると遥かに苦労人で成熟しているように映るランガのほうも、同時にチンタに対して率直すぎる言葉をいきなり並べ立ててしまったり、ボルネの挑発に乗って手を出してしまったりと子供っぽい側面を覗かせ、その無神経さと不思議に共存する思慮深さが物語をもどかしく動かし、まさに青春物語の王道へと導く要素となっている。このキャラクターの肉付けと物語のバランス感覚が秀逸なのだ。
 このバランス感覚は細部でも活きている。バスケットコートにランガが訪ねてきたとき、売り言葉に買い言葉で口論となってしまったチンタの、当人は無自覚ながら傍目には「わたしはあなたが気になって気になって仕方ありません」と告白しているような台詞。ランガに誘われたライブに赴くかどうか電話と机のあいだで右往左往し、いったん受けるとワードローブと鏡の前を繰り返し往復して服装を決める仕種。そして終盤、胸の内を吐露して涙するさまなどなど、有り体であることは間違いないが、その煌めきを最良の形で描き出そうという誠意が漲っている。そうしてきちんとツボを押さえて描いているからこそ、若者らしくどこか身勝手で思慮に欠けるチンタという少女に感情移入出来、いつしか応援したい気分になってくる。理屈が先行させず、リアリティを標榜するあまり話を複雑化させたりしなかったからこそシンプルにそういう気分に浸れるのだろう。
 敢えて難を述べるなら、紆余曲折が丁寧に描かれているわりには終盤があまりにスッキリと決着して、苦さがだいぶ薄れてしまったことだが、重大な瑕疵ではあるまい。無理のない感情描写の積み重ねが作りだしたラストシーンの齎す爽快な余韻だけでも充分に味わいがある。
 オーソドックスななかにいかにも現代的で洗練された描写を組み入れながらもトータルでは未整理の荒っぽい魅力があり、そのちぐはぐさがより鮮烈な印象を齎す佳作。こういう作品が生まれ、大いに受け入れられるインドネシア映画界の素地がちょっと羨ましくさえ思えます。

 本編を観ていてもうひとつ興味深かったのは、ところどころに登場する見慣れた要素である――ガジェットやプロットの問題ではない。例えば、新聞部の部室に貼られたポスターや、バスケットコートでチンタが手にしている団扇にあしらわれているのは、パワー・パフ・ガールズというアニメの図柄だった。新聞部の女の子たちに揶揄われている、眼鏡をかけたひょろっとした体格の男の子は、字幕では“のび太”と呼ばれている(発音を聞き逃してしまったので、そのままだったのか、或いは現地の言葉で類する表現か、ドラえもんに登場するのび太を現地流に言い換えた名前だったのかなど詳細は不明)。更に、チンタの部屋に貼られているポスターはアメリカのCG映画『バグズ・ライフ』に、こちらでは大きなお友達にも知名度の高い『カードキャプターさくら』だった。
 日本でもよく知られた作品があちらでも受け入れられている、という証左だろうが、同時に本編の監督がプログラムに掲載されたインタビューで語っている、自国で生産される娯楽作品が極めて少なかった、という現実をも証明しているように思う。そんな状況だからこそ、これほど誠実で清新な作品が生まれたのかも知れない。

(2005/03/07)


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