cinema / 『ルーヴルの怪人』

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ルーヴルの怪人
原題:“BELPHEGOR Le Fantome Du Louvre” / 監督:ジャン=ポール・サロメ / 脚本:ジェローム・トネール、ダニエル・トンプソン / 製作:アラン・サルド / VFXディレクター:アラン・カルス / 美術:ミッシェル・アベ / 音楽:ブリュノ・クレ / 出演:ソフィー・マルソー、ミシェル・セロー、フレデリック・ディフェンタール、ジュリー・クリスティ / 配給:日活
2001年フランス作品 / 上映時間:1時間37分 / 字幕:丸山垂穂
2002年06月15日日本公開
2002年11月22日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.L-KAIJIN.com/
劇場にて初見(2002/06/29)

[粗筋]
 1935年、デフォンテーヌ教授ら調査団はひとつの指輪を契機にエジプトの地で3000年前のミイラを発掘した。フランスのルーヴル美術館に移送するため、長い船旅に乗り出したが、その途上で調査団員も乗組員も何らかの幻覚に取り憑かれ、ひとり、またひとりと自殺し、ついには教授も謎めいた死を遂げるのだった……
 時は流れ、現代。ルーヴル美術館で改装のために収蔵品の整理を行っていたところ、地下から棺と、その中に収められた一体のミイラが発見された。デフォンテーヌ教授らが発見したその棺には銘記してあるべき埋葬者の名前が削り取られており、館長はグレンダ・スペンサー博士(ジュリー・クリスティ)をイギリスから招いて調査を依頼する。
 話は変わって、ルーヴルの真正面にあるアパートメント。その一室で祖母とふたり暮らしをしていたリザ(ソフィー・マルソー)だったが、ルーヴル地下で行われている工事の影響で停電が起きた夜に祖母を亡くし、採算の成り立たない香水店も手放さねばならなくなるなど不幸が続く。だが、停電の時に修理を依頼したサービス業者の若者・マルタン(フレデリック・ディフェンタール)がその後も彼女を気に懸けて何かと相談に乗ってくれ、孤独は少しずつ癒されつつあった。
 ある日、工事の影響でアパートメント内部の壁が崩落し、穴を通して地下の工事現場まで繋がってしまった。リザは悪戯心を起こし、マルタンを従えて工事現場を探検し、そこから深夜のルーヴル美術館に侵入する。警備員に発見され、散り散りに逃げ回っている最中に、リザはあのミイラを調査中の研究室に辿り着く。ふと、その顔にかかっていたヴェールを剥いだ瞬間、リザの中に何かが取り憑いた――。

[感想]
 ……久々に、見終わってから消化不良の気分を味わいました。
 登場人物たちは一様に、「小さい頃に聞いた“伝説”」として“ルーヴルの怪人”を語る。過去にはテレビドラマとして、『ベルフェゴール』という怪人の物語が放映され、その記憶もフランスの人々の中に刷り込まれている。彼らは実際に夜中、何処からともなく侵入してルーヴルを徘徊しているらしい仮面の人物にそうした“怪人”の像を重ね合わせて恐怖しているようだ。そして、怪人と出会った者が何か常識で考えられないものを見ているらしく、その事実に怯えを募らせていく。
 という過程を、私は映画を見終えてのち、パンフレットを眺めながら分析して気づいた。つまり、観ている間はそういう感覚がこちらに生まれない。何故なら、ルーヴルを徘徊する怪人に、自分たちが幼少の頃に聞いた怪物などの伝説を重ね合わせてみることが出来ず、憧憬を抱くことも原体験的な恐怖を覚えることもないからだ。従って――暗い印象ながらもスタイリッシュでリズム感に富んだ映像演出に、日本人の私たちが恐怖や高揚感を味わうことが出来ず、画面上の彼らが右往左往している事実にやや戸惑いながらただただ傍観するしかないのである。フランス人の原風景に訴えかけるような前段階があるために、全く異なる土壌に育った人々はを置いてきぼりにしてしまった、この点がまず海外で配給される作品としての大きな失敗点である。
 加えて、主要登場人物たちの心理の動きが理解しがたい、というより不自然な部分が多い。特に中盤から登場する、昔にいちど“怪人”と対峙した捜査官、もとい刑事の現実的、思想的立場が破綻しているのだ。腕利きを、という要請にどうして警視総監がリタイアしたこの元刑事を派遣したのか(過去の因縁があるにしても、実際に被害が生じているのだから現職の捜査官を起用するのが普通ではなかろうか)。昔の事件で犯人と目される守衛を射殺したのに――そのとき守衛の死に顔が見る見る痩せ細っていくという怪奇現象を目の当たりにしたとしても――どうして犯人が“ベルフェゴール”という悪魔であり「事件は未解決だ」という認識を抱くに至ったのか。そして、そういう認識があるのに何故他人に対しては実際的な対応を求めてみたり、かと思うとまともな警備策を練ることもなく、オカルト的解釈に拠った捜査をすることもなかったのか。確かに終盤ではそれなりの活躍をするのだが、それ以前の彼は警備員たちを翻弄しわけもなくスペンサー博士を口説く変わり者の役立たずにしか見えない。
 最も如実な例としてこの刑事について詳細に述べてきたが、他の登場人物についてもストーリー展開についても、こと前半は奇異な点が多く、飽きはしないけれど特に興味を惹かれもしない(まして恐怖を抱くことなど微塵もない)。終盤のある展開だけが最初に頭にあって、そこに向けて無理矢理纏めたのが前半、という印象を受ける。
 ゆえに、後半は結構見ていて面白い。相変わらずホラーというより『怪奇大作戦』や『ウルトラQ』のようないわゆる怪物・怪異譚のようなもので根元的な恐怖を呼び覚ます要素は殆どないのだけれど、怪奇を扱ったドラマとしてはそれなりの仕上がりになっている。こと、前半のロマンスがきちんとラストで伏線として活かされているのは、娯楽作品の組み立てをよく理解している証拠だろう。
 また、『アメリ』『エイリアン4』などに携わったというスタッフのVFX技術はお見事――なのだが、全体にイメージが凡庸でちゃちだったのは、仕掛けが古典的すぎた所為があるのだろう。その辺も含めて、やはりフランスにおける古典的怪奇談への憧れの匂いを強く嗅ぐことが出来るが、作品に感情移入できるか否かもそうした背景を理解できるかどうかにかかってしまい、明らかに観る者を選んでいる。
 ルーヴルを舞台とし、ゴシックの雰囲気を随所に漂わせた静かな恐怖物語、を期待していたために、余計当てが外れたような気分になったものの、つまり『怪人』をテーマとしたジュヴナイルの延長上にある冒険物語、として観ればそれなりに楽しめる。ただし、前述したような“ルーヴルの怪人”に関するものをはじめ、フランスにおける娯楽としての怪奇談にある程度精通している、或いはそういう約束を知らないまでも前提としてあっさり受け入れられる寛容さを備えた人ならば、という条件を添えねばならないが。――いずれにしても、フランス国外での“ロードショー”という形式に長く耐え得るような作品ではなかった、というわけだ。三週間で終わってしまうのも納得。

 これだけ書いてから、つまりは『ヴィドック』と同じ趣向で製作された映画だったのだ、とふと気づいたが、しかしそうと解った上でも評価はあまり変わらない。同じ趣向としたら監督の美学が随所に感じられる『ヴィドック』のほうが遥かに上出来です。

(2002/06/29・2004/06/22追記)


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