cinema / 『ブラックホーク・ダウン』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


ブラックホーク・ダウン
原題:“BLACKHAWK DOWN” / 原作:マーク・ボウデン / 監督・製作:リドリー・スコット / 製作:ジェリー・ブラッカイマー / 脚本:ケン・ノーラン / 製作総指揮:サイモン・ウエスト、マイク・ステンソン、チャド・オーマン、ブランコ・ラスティグ / 撮影:スワボミール・イジャック / プロダクション・デザイン:アーサー・マックス / 音楽:ハンス・ジマー / 出演:ジョシュ・ハートネット、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア、エリック・バナ、ウィリアム・フィシュナー、ユエン・ブレンナー、サム・シェパード、ジェイソン・アイザック、オーランド・ブルーム / 配給:東宝東和
2001年アメリカ作品 / 上映時間:2時間25分 / 字幕:松浦美奈 / 字幕監修:伏見威蕃
2002年03月30日日本公開
2002年10月17日DVD日本版発売 [amazon]
2004年03月03日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://bhd.eigafan.com
劇場にて初見(2002/04/13)

[粗筋]
 1993年、東アフリカ、部族抗争による内紛状態が続くソマリア。首都モガディシオを制圧するアイディード将軍は4月、国連軍に対して宣戦布告を行った。昨年から将軍が戦略として飢餓を利用し、世論を敵に回し始めていた矢先の出来事である。6月には国連のパキスタン兵を虐殺、アメリカに対する敵意をも露わにした。これに応じるように8月、アメリカはデルタ・フォース、レンジャー部隊によるアイディード排除と秩序回復とを目的とした作戦を展開するが、3週間で終わるはずの作戦は6週間に亘る膠着状態を引き起こし、政府と軍上層部とに苛立ちを齎した。
 10月3日、午後3時32分。ウィリアム・F・ガリソン少将(サム・シェパード)の指令により、モガディシオ市内の繁華街にてアイディード勢力の指導者らが集結した建物を襲撃、1時間以内に確保する密命を帯び、マット・エヴァーズマン軍曹(ジョシュ・ハートネット)が率いるチョーク4のメンバーらを載せたブラックホーク機をはじめとする12機のヘリがモガディシオ上空から戦闘員を市内に降下させた。最初のイレギュラーはこの瞬間に発生する。機知に派遣されてきたばかりの新兵トッド・ブラックバーン(オーランド・ブルーム)が降下途中にヘリをRPGが掠め、生じた振動で約18メートルを落下したのだ。エヴァーズマンは追って地上に降下、衛星兵らに指示し、意識不明のブラックバーンを担架に乗せ、遅れて到着する予定の車輌隊のもとまで運ばせた。
 その間にも任務は遂行され、デルタ・フォースらによって多数の捕虜を確保、建物から移送する作業を始めていた。到着した車輌隊はブラックバーンの容態を配慮して、ストルーカー軍曹指揮下のジープ三台が捕虜と共にブラックバーンを載せ、銃弾飛び交う最前線をいち早く脱し基地に帰還した。
 一件スムーズに進んでいた作戦行動は、だが次の瞬間破綻を来す。午後4時20分、クリフ・ウォルコット准尉が操縦するブラックホーク機の尾翼に敵方の放ったRPGが命中、機は戦場のど真ん中に墜落した。アメリカ兵の屍体と物資を求めてソマリ族の群衆が蝟集しつつあるなか、現地のレンジャー、デルタ・フォースらも生存者救出のため墜落地点を目指して移動を開始する。この時点で既に各隊員の位置関係はタイムラグを以て指揮系統に伝わるようになり、秩序だった作戦行動は不可能となっていた。加えて墜落地点までのルートには悉く民衆によるバリケードが立ちはだかり、救出作業は死傷者を多数出す壮絶な有様を呈する。
 そんな矢先の午後4時40分、マイク・デュラント(ロン・エルダート)准尉が操縦する別のブラックホーク機もまたRPGの砲撃を浴び墜落、最初のブラックホーク機同様熱狂する群衆に次第次第に囲まれ始める。更なる砲撃の危険から、上層部は救助隊の派遣にも二の足を踏む――もはや戦場で行われているのは秩序だった作戦行動ではなく、生きるか死ぬかの二者択一を絶え間なく突き付けられる、容赦のないサバイバルであった……
 一時間で集結するはずだった作戦。出撃前には和やかに談笑もした。自慢のコーヒーを入れて仲間と共に堪能もした。アメリカに残してきた家族に向けて「愛している」と留守番電話にメッセージを入れた。誰もが簡単に帰れると思っていた――

[感想]
 凄まじい、の一言に尽きる。
 簡単に言ってしまえば、この作品の手法はただひとつ、映画撮影用のカメラを多数、本物の戦場に投じて、得られた映像をそのまま繋いで見せているかのように観客に感じさせる、それだけ。アメリカ本国の指揮系統や敵方の本隊など、戦場の外側にある会話や意識を排除し、戦場のなかで起きることだけを丹念に、ただ極めてリアルに描写することだけを狙って作られている。――それ故に、戦場で起きている無秩序な惨劇が、ストーリーによって雁字搦めになった一般のドラマでは成し得ないほど直接的に突き刺さってくる。
 ほぼ剥き出しの現実であり、クリエイターたちはそこに無意味な解釈や答を添えてはいないから、勢い作品は万華鏡のような試金石のような役割を果たすことにもなった。リドリー・スコット監督自らは反戦映画と語るのに、時の国防長官は「いまこそ観て欲しい映画だ」と論じる、という具合の相違が生じる。戦場さながらの熱気に震えるか、あまりの悽愴さに恐怖し悲しみを覚えるか――ありのままに描かれているからこそ、観客それぞれのありのままの立場を問い質される。
 エンタテインメントとしての映像技術、音楽の使い方については流石にリドリー・スコット、今更言うことはない。今年日本で公開されたイスラエル映画『キプールの記憶』と共に、近年の映画史で決して見逃してはならない戦争映画の傑作と言い切ろう。2時間25分は決して短くないが、殆ど時間を意識させることはない。
 唯一の弱点は、元々頭髪を剃った同じ髪型の人々が、熱に浮かされたような戦場を東奔西走する様をあまりにリアルに描いてしまったために、途中まで一部のキャラクターの見分けがつかないことだ、がそれすら戦場の現実を反映した――極限まで「個」が抹殺される――と捉えれば傷とはならない。寧ろ、幾度も丹念に見直させる魅力を付与したと考えればそれすら利点なのである。名作といいながら監督や役者の評価に悩みが付きまとうのは、そうした理由による。

 ――正直なところ、あのジェリー・ブラッカイマー製作と聞いた段階でかなり引いていたのだが、あとで思い返せばトニー・スコット(リドリーの実弟)監督の代表作『クリムゾン・タイド』『エネミー・オブ・アメリカ』でも製作を行っており、寧ろスコット兄弟とは相性がいい、と考えるべきだったようだ。なんにしても、見直しました、はい。

(2002/04/14・2004/06/22追記)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る