cinema / 『ぼくんち』

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ぼくんち
原作:西原理恵子(小学館・刊) / 監督:阪本順治 / 脚本:宇野イサム / 製作総指揮:三宅澄二、畑利明 / プロデューサー:塚田有希、妹尾啓太 / 撮影:笠松則通 / 美術:小川富美夫 / 編集:荒木健夫 / 音楽:はじめにきよし / 音楽プロデューサー:谷奥孝司 / エンディングテーマ:ガガガSP『卒業』(Sony Records) / 出演:観月ありさ、矢本悠馬、田中優貴、真木蔵人、濱口 優、今田耕司、新屋英子、志賀 勝、岸部一徳、鳳 蘭 / 配給:micott inc.、Asmik Ace
2002日本作品 / 上映時間:1時間55分
2003年04月12日公開
公式サイト : http://www.bokunchi.jp/
シネスイッチ銀座にて初見(2003/04/19)

[粗筋]
 関西の海にぽかんと浮かんでいる水平島は、何もない島だ。観光名所なんかないから商売は殆ど寂れている。住んでいるのは年寄りと貧乏人ばっかりで、いつの間にか小学校も中学校もなくなってしまった。
 一太(矢本悠馬)と二太(田中優貴)の兄弟は、半年前に母の今日子(鳳 蘭)が買い物に出かけたきり戻らなくなって以来、ふたりだけで一所懸命暮らしていた。自動販売機の下に転がり込んだ小銭を掻き出して足しにしたり、貧乏であることを免罪符にただで銭湯に入れてもらったり。
 そんなある日、唐突に母が帰ってきた。一太も二太も逢ったことのない、ふたりの姉・かの子(観月ありさ)を連れて――と思ったら、ちょっと用足しに行くと行って出ていったきりまたしても母は戻らず、この日から三人の共同生活が始まるのだった。
 逢った覚えのない姉にどうしても馴染めない一太に対し、二太は早くもかの子に懐いてしまった。ピンサロで働いていたといい、二太の知らなかったことを色々と話してくれて、猫を大量に飼っているねこばあ(新屋英子)に年がら年中刑務所入りしている安藤くん(今田耕司)、子供や年寄りの世話からシンナーの密売まで本当に手広くやっているコウイチくん(真木蔵人)とも面識があるらしい彼女は、二太にとって謎の多い人物だった。
 だが、かの子がやって来て間もなく、兄弟を思いがけない悲劇が襲った。いつの間にか母が権利書をくすねていったようで、家が他人のものになってしまい、追い出される羽目になったのだ。かの子の対応は早く、すぐに地元のピンサロで働きはじめ、マネージャーの世話で前の家よりもずっとましなマンションの一室に移り住んだ。
 一太はこのすっかり姉に頼り切った暮らしに自分で納得がいかず、独自に商売をして生計を立てていこうと考える。盗んだシンナーを水増しして売り捌こうとするが、いきなりコウイチくんに見つかってこっぴどくどやされる。だが、その根性だけは認めたコウイチくんは一太を舎弟にし、集金やガソリンの調達など自分の仕事の手伝いをさせるようになる。その為に、一太がマンションに戻る機会は少しずつ減っていった。
 かの子の登場と共に、次第に変化していく一太と二太の周辺。彼らの生活はどうなっていくのか、そしてかの子の秘密とはいったい何なのか……?

[感想]
 鑑賞前に予習として原作の再編集版を読み、「そのままでは色々と難しい部分があるのではなかろうか」と感じていたのだが、案の定、改訂した部分や省いた箇所がかなりある。
 際どい言動はかなり削られているし、原作ではいちばんのインパクトを放つ、終盤の放火シーンも省かれている。原作ではやったら火が燃えさかっていた印象があったのだが、映画では一箇所でしか使われていない。
 設定でいうと、原作ではただ謎の逞しいねーちゃんだったかの子にある設定が付加されて、ちょっと高みにいた印象の彼女に地に足のついた人間として描くように替えているあたりがいちばん顕著だろう。もうひとり、かなり違った描き方をしているのはコウイチくんである。演じた真木蔵人のチンピラぶりは相変わらず素晴らしいのだが、原作における「コウイチくん」の最大の特徴、丁寧な言葉で相手を罵倒する技はきちんと再現して欲しかった、出来ることなら。
 元々西原氏の強烈に簡略化された漫画を実写で再現しようというのだから結構困難なのは間違いなく、全体としては頑張った方ではないだろうか。ねこばあや鉄じい、岸部一徳による末吉わたるなどは、行動パターンはほぼ原作を忠実に再現している。特に鳳 蘭演じるかあちゃんは、原作と較べるとあまりにオーラが出過ぎている気はするが、実際に画面で観るとその逞しさ、登場場面の量に反する強烈なインパクトは原作以上と言っていい。
 ただ、キャラクターを極力すべて登場させようという努力のせいか、2時間足らずという映画の尺に収まらないエピソードが多く、「語り捨て」のようなキャラクターやエピソードが頻出してしまい、全体に纏まりを欠いているのが勿体ない。特にラストシーン、基本は原作通りの展開なのだが、心理描写の不足を補おうとしたのかかなり特殊な描写が混ざっているあたり、評価が分かれるように思う。
 とはいえ、泥臭く味わい深いエピソードの羅列の趣があった原作を、お話として筋の通ったものに仕上げている努力は概ね成功しているのではないか。やや軽くなってしまった安藤くんの言動が二太のラストシーンでの決意の伏線となっているとか、オリジナルの設定と原作どおりの設定を噛み合わせたかの子母子の最後の場面などは、原作と印象は違えても近い余韻を齎している。
 原作との比較に終始してしまったが、纏まりの悪さを差し引いても非常に「いい」映画である。古くてごちゃごちゃしたしがらみを描きながらも、全体にポップな感覚が溢れており、不思議と「新しいタイプの日本映画」というイメージがあるのも、いい。「毒」が緩和された分、西原作品に苦手意識があるようなタイプの方には丁度いいかも知れない。
 ……それでも見せ場ではかなりえぐいことを言ってるんだけどね。

 観たあとで知ったのだが、本編にはワンシーンだけ原作者が登場しているらしい。台詞つきで。プログラムの記述によると、中盤ぐらいでかの子にすれ違いざま悪態を吐いたピンサロの女がそうらしいのだが、カメラの位置が遠くしかも後ろ姿だったため顔を覚えていない。これから御覧になる方はその辺で集中してみてくださいませ。

(2003/04/20)


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