cinema / 『カポーティ』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


カポーティ
原題:“Capote” / 原作:ジェラルド・クラーク / 監督:ベネット・ミラー / 脚本:ダン・ファターマン / 製作:キャロライン・バロン、ウィリアム・ヴィンス、マイケル・オホーヴェン / 製作総指揮:ダン・ファターマン、フィリップ・シーモア・ホフマン、ケリー・ロック、ダニー・ロセット / 共同製作:カイル・マン、デイヴ・ヴァロー、エミリー・ジフ、カイル・アーヴィング / ライン・プロデューサー:ジャック・メセ / 撮影監督:アダム・キンメル / 美術監督:ジェス・ゴンゴール / 編集:クリストファー・テレフセン / 衣装:カシア・ワリッカ=メイモン / 音楽:マイケル・ダナ / 出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、クリス・クーパー、クリフトン・コリンズJr.、ブルース・グリーンウッド、ボブ・バラバン、マーク・ペレグリーノ、エイミー・ライアン、アリー・ミケルソン / エイライン・ピクチャーズ、クーパーズ・タウン・プロダクション、インフィニティ・メディア製作 / 配給:Sony Pictures
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間54分 / 日本語字幕:松崎広幸
2006年09月30日日本公開
公式サイト : http://www.sonypictures.jp/movies/capote/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2006/10/14)

[粗筋]
 1959年11月15日、それまで周辺でも名を知らない者がいたほどの閑静な田舎町、カンザス州ホルカムで、地元の名士クラッター家の4人が散弾銃で射殺される、という事件が起きた。
 新聞の小さな記事でこの事件を知った作家トルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、幼馴染みであり長年助手を務めているネル・ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)とともにすぐさま現地に飛んだ。彼が興味を持っていたのは事件の顛末ではなく、静かな街を襲った悲劇が、住民にどんな影響を及ぼしたのか、である。カポーティはこの着想が、文学界に新風を齎すことを確信していた。
 誠実を旨とするカポーティは、まず接触した事件の担当捜査官アルヴィン・デューイ(クリス・クーパー)に率直に自らの意図を告げてしまったために取材を拒まれるが、第一発見者であるローラ・キニー(アリー・ミケルソン)から犠牲となったナンシー・クラッターの日記を入手し、デューイ捜査官には奥方から接触することで懐柔、少しずつ調査を進めていく。
 やがて訪れたクリスマス、遂にクラッター一家殺人犯が逮捕された。違法の小切手を撒いたことがきっかけで発見された男達の名は、ペリー・スミス(クリフトン・コリンズJr.)とリチャード=ディック・ヒコック(マーク・ペレグリーノ)。地元の警察に護送されたふたりを見たとき、カポーティは言いようのない感覚に見舞われた。
 裁判の最中、ペリーはディックと引き離すために、保安官事務所内部に設けられた女囚用の拘置所に入れられていた。保安官夫人から接触したカポーティは、彼らのもとに日参し、次第に信頼を勝ち取っていく。
 だが同時にカポーティは、犯人のひとりであるペリーに、自分と相通じるものを感じるようになっていた。教育こそ受けていないものの、繊細な感性に凡庸ならざる精神の強度を備え、何より恵まれぬ家庭環境に育ったことから言いようのない孤独を孕むペリーを、カポーティはまるで“同じ家で育ちながら、彼は裏口から、自分は玄関から出て行った”人間のように感じはじめる。
 やがて裁判は結審し、大方の予想通りに死刑判決が下された。執行まではさして時間を費やさないと当初は考えられたが――しかし、カポーティの本当の苦悩は、このとき本格的に始まったのだ……

[感想]
 17歳の頃から執筆を開始し、24歳にして初の長篇『遠い声 遠い部屋』を上梓したトルーマン・カポーティは、その才能から“恐るべき子供”と呼ばれ、早くから名声をほしいままにしていた。だが、実際の事件を緻密に取材し、当時の状況や関係者の心情を克明に再現する手法を取り、最高傑作と呼ばれる大作『冷血』を発表したあとは、短篇や実験作の発表はあったものの、とうとう長篇を完成させないまま亡くなった。本編はその、カポーティを苦境に立たせるに至ったきっかけと見られる、『冷血』取材の過程を追った物語である。
 整理整頓が行き届いているので、恐らくは『冷血』という作品の中身を知らなくとも理解は出来るし、その心情に打ちのめされることは出来るが、しかしやはり『冷血』を読んだあとであったほうが本編をより深く味わうことが出来る。『冷血』という作品は基本的に登場人物それぞれの視点から事件を描いており、そこに第三者の意識が介在している形跡はないが、実際にはその重要な場面にきちんとカポーティが存在していたことが解る。完成した“小説”を知っていればこそ、彼がどのように深層に踏み込んでいったのかが窺え、興味深い。
 題名こそ“カポーティ”であるが、その華やかな暮らしぶりや晩年の凋落ぶりには触れることなく、あくまで『冷血』の礎となった取材の様子を中心に追っているのが特徴だ。それ故に浮き彫りとなるのは、ニヒルな態度の背後に覗く彼の真摯さ、生真面目さである。彼が事件に着目した時点で、やがて執筆することになる作品の照準を既に定めていたのは、直後にカンザス州ホルカムを訪れ、まず捜査官に逢うなり「事件が解決するかはどうでもいい。事件が町民にどのような影響を与え、変化を齎したかを調べたい」と告げたことと、実際に上梓された作品とを比較すれば一目瞭然だ。だが、そう言ってしまったことで腹を立てた捜査官に対して、直接ではなく夫人のほうから接触し、少しずつ懐柔していくさまは打算的ではあるものの、相手を傷つけまいとする優しさが覗く。“変わり者”と呼ばれているが、しかしその源泉にあるのは首尾一貫した思考と繊細な意識であることが解るのだ。描く時間を無闇に引き延ばさず、『冷血』取材から執筆のあいだに絞っているからこそ浮き彫りに出来たことであろう。
 しかし、そうして巧妙に関係者のなかに踏み込んでいく手法が、最終的にはカポーティを精神的に追い込んでいく。作品がそうであるように、完全に客観的な視座から事件を追うはずが、いつか犯人に共鳴して、退っ引きならない立場に自らを追い込んでしまうのだが、そこに至る流れを一切説明台詞なしで、自然に伝えていくその話運びが絶妙で、重い。『冷血』の記述を信じるならば、事件の犯人であるペリー・スミスは教育こそ満足に受けられなかったものの頭脳明晰で観察力に優れ、借りた写真をもとにスケッチをするという才能にも恵まれていた。身を寄せる場所があったカポーティよりもより劣悪であったが、しかし幼少期に感じていた孤独といい、相通じる部分が多かった。そうして激しく共鳴したがあまりに、観察者として突き放して観ることが出来なくなってしまう。
 あれだけの犯行であった以上、判決が死刑であることは想像に難くなかったし、ならばカポーティの作品も彼の死によって幕を下ろすしかない。だが、彼の心情に深く分け入り、友誼を結んでしまったカポーティは、弁護士を紹介するなどしてその延命を手助けもしてしまう。加えて、既に執筆を始めていた作品の内容は、そんな“友人”にとって酷な内容であることも自覚しており、だからこそ既に決定した作品のタイトルもその内容も、一切真実を告げられない。前述したような、本質に真摯なところのあるカポーティにとって、これほど耐え難いこともないだろう。『冷血』の執筆には結果的に5年を費やしているが、そのあいだの心痛は、映画のなかで如何に端折られていたとしても、その描写の細部がキリキリと伝えてくる。
 前述の通り、物語は『冷血』の完成をもって静かに幕を下ろし、その後の出来事についてはテロップのみで淡々と語るのみ。だが、既に描かれた幾つもの要素や出来事が、その末路を容易に想像させる。そして語りすぎないがゆえに、静かに深い悲しみを湛えた余韻を留めている。監督・脚本ともにこれが初の長篇映画と言っていいようだが、そうとは信じられぬほど堂に入った、成熟した話運びに唸らされる。
 本編によって、フィリップ・シーモア・ホフマンはアカデミー賞主演男優賞を獲得した。なるほど、と納得させられる人物の完成度と深みのある演技は見物だが、しかしそんな彼と共鳴する犯人ペリー・スミスを演じたクリフトン・コリンズJr.もまた出色であった。この両者がせめぎ合い、互いの言葉に感情を昂らせる場面はいずれも秀逸である。
 ふたつの価値観が衝突して生じた悲劇を客観的に描くはずが、その渦に呑みこまれて抜け出せなくなってしまった男を描くという、深みのある主題を見事に描ききった傑作である。『冷血』を読んだうえでのほうがより深く味わえるのは間違いないが、単独で鑑賞したとしても、その哀しみは間違いなく胸を強く打つはずだ。

(2006/10/14)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る