cinema / 『着信アリ』

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着信アリ
企画・原作:秋元 康(角川ホラー文庫・刊) / 監督:三池崇史 / 脚本:大良美波子 / エグゼクティヴ・プロデューサー:大川 裕 / プロデューサー:佐藤直樹、有重陽一、井上文雄 / 撮影:山本英夫 / 美術:稲垣尚夫 / 編集:島村泰司 / 音響効果:柴崎憲治 / 音楽:遠藤浩二 / CGIプロデューサー:坂美佐子 / 製作プロダクション:角川大映映画 / 出演:柴咲コウ、堤 真一、吹石一恵、松重 豊、筒井真理子、岸谷五朗、石橋蓮司 / 配給:東宝
2003年日本作品 / 上映時間:1時間52分
2004年01月17日公開
公式サイト : http://www.chakuari.jp/
日劇PLEX2にて初見(2004/01/25)

[粗筋]
 突然死んだ後輩の葬儀に参列していて合コンに遅刻した陽子は、化粧室でふたりきりになった由美(柴咲コウ)に後輩が死んだ経緯を話した。ダイビングの最中、何らかのトラブルに巻き込まれ溺れた後輩の死に顔は壮絶なものだったという。そのとき、陽子の携帯電話が鳴り響いた。聞き覚えのない着信メロディ、しかも発信元は陽子自身の携帯電話の番号――薄気味悪いものを感じながら録音されたメッセージを再生すると、そこに吹き込まれていたのは陽子自身の何気ない呟き、それから絹を引き裂くような悲鳴だった。
 彼氏か誰かの悪戯だろう、と由美も合コン仲間も取り合わなかったが、その翌々日、陽子が突然亡くなった。由美と通話の真っ最中に、突如線路上の陸橋から転落、右手右足を切断するという惨い姿で。電話越しに話していた由美は、恐ろしいことに気づいていた。回線越しに彼女の絶叫を聴いた時刻と、陽子の携帯電話に録音されたメッセージの時刻がまったく同じだったのだ。
 葬儀の夜、親友のなつみ(吹石一恵)との帰り道、由美は陽子の後輩の女子高生たちが不気味な噂話をしているところに遭遇した。彼女たちによれば、ダイビングの最中に死んだという陽子の後輩も、自分の携帯からの発信を受け、メッセージが録音されたのと同じ時刻に死んだのだという。死を予告する電話は、そうやって死んだ人間の携帯電話に登録された番号の中から次の犠牲者を見つける。「自分の携帯番号、着信拒否にしておいた方がいいですよ」と言い置いて去っていく女子高生たちを、由美となつみは呆然と見送った。
 行き場のない恐怖を軽くするために、由美は合コンのときに出会ったケンジに後輩たちの噂話を打ち明ける。話を聞いたケンジは無言で自分の携帯電話を操作し、由美に差し出した。それは陽子のときにも似た、ケンジの何気ない呟きと、直後の悲鳴を記録している。着信履歴にある時刻は、僅か二分後――由美の目前でケンジは、まったく常識では説明のつかない死に方をした……
 ショックが隠せない由美を気遣ってか、その夜はなつみが彼女の自宅に泊まることになった。ふたりがようやく寝付いたころ、唐突に電話が鳴った――あの、陽子の死を予告した電話とおなじ着信音が。音源は、なつみの電話だった。怖さにフリップを開こうとしないなつみに代わって由美が電話を取ると、メッセージの代わりに写真メールを受信していて、そこには驚愕の表情を浮かべたなつみの姿と、背後の物陰から伸びる青褪めた腕が写っていた……
 なつみが死の予告を受けた、という噂は瞬く間に伝播した。友人たちに自分の電話のリストから番号を消させる、という自暴自棄とも取れる行動に出たなつみを宥めるため、由美は電話を解約させ機体そのものも廃棄させる。帰宅したふたりを待ち受けていたのは、予告電話の噂を追跡していたテレビ番組のスタッフだった。妨害する由美を押しのけ、既に携帯電話を持たないなつみの手にディレクターの藤枝(松重 豊)はスタッフの携帯電話を無理矢理握らせ、死の予告を着信した電話と偽ってカメラを向ける。そのとき、なつみの持たされた電話が、あの着信メロディを鳴り響かせた。発信元は、内容をリセットし廃棄したはずのなつみの番号、受信していたのはあの悪夢のような写真だった。
 霊能力者に委ねてあげよう、という藤枝によってなつみは連れ去られていった。途方に暮れる由美の姿を、ひとりの男が見つめていた。陽子の葬儀の日にも見た男だ、と気づいた由美は、藁にもすがる心地で彼に呼びかける。山下(堤 真一)と名乗ったその男は、ふたつの携帯電話を操作して、由美に示した。ふたつの電話には、最後の発信履歴として同じ番号が記録されていた。ひとつは陽子のもの、もうひとつは山下の死んだ妹のものだった……

[感想]
 これは思いがけない収穫。たぶん現在の日本で最も多作な映画監督・三池崇史氏が『オーディション』以来に手がけるホラー、しかも携帯電話をモチーフに、中田秀夫監督『リング』や清水崇監督『呪怨』などに類する作品だということで、どうもあちこちに便乗くさい雰囲気を感じてしまい、それ相応の出来だろうと高をくくっての鑑賞だったが、実にいい形で裏切られた。
 先に欠点を挙げておくと、まず全体に怪奇現象がいささか過剰すぎるきらいがある。序盤はまだしも、なつみに死の予告電話がかかってきてからは、ところどころ現象が派手になる。見えない力に弾かれて吹き飛ばされる、という状況が二回はあったし、なつみの最期もちょっと極端すぎる。何より終盤、累が由美に及んでからの現象はおおむね本筋である“呪い”と趣旨が乖離していて、違和感を覚える場面が多かった。
 だが、そうしたことを承知のうえでも、ひとつひとつの出来事が怖い。予告編でも流れる、戸棚から指先と顔を覗かせる女、背後から宙吊りで迫る女などは序の口で、忍び寄る怪奇現象は無論のこと、時折挟まれる長い長い沈黙や、不意をついて立てられる物音に至るまで、徹底的にこちらの裏をかくよう計算されているのがお見事。一方で、丁寧な伏線により恐怖を助長することも、また脅威から抜け出すための鍵を提供することも忘れていない。
 結末近くで幾つものひねりを加えていることにも好感が持てる。どの辺にひねりが、と詳述すると興を削ぎかねないのでひとまず伏せておくが、そのひねり方はさすがに長年娯楽映画を手がけてきたスタッフだけのことはある、とのみ記しておこう。ある程度は読めても、最後まで緊張感を持続させる手管は素晴らしい。
 前述のように、ひとつひとつの現象は本来の“呪い”の方向性と隔たっていることが多く、やもすると興醒めになりかねない危険性をも孕んでいるが、堂に入った演出がそれを助けて、きちんと怪奇現象としての力を与えていることにも好感を持った。間の取り方、CGIの自然な応用、絶妙なカメラワーク。何より、説明不可能な出来事に遭遇する人々を演じた役者たちの巧さが、作品をきっちりと支えている。
 同じ携帯電話を用いたホラーとして、韓国映画の『ボイス』、日本でも『チェーン』があり、心霊番組やクライマックスで廃病院を舞台に選ぶなど、素材そのものはいずれも手垢が付いている。だが、定石をわきまえた上で工夫を怠らなければ、まだ充分に怖い映画が作れると本編は証明している。『チェーン』は未見なので何とも言えないが、少なくとも『ボイス』などより本編のほうが数十倍出来がいい。
 ……でも、さすがにもーしばらくのあいだ携帯電話テーマのホラーは勘弁、という気もする。

(2004/01/25)


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