cinema / 『陽気なギャングが地球を回す』

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陽気なギャングが地球を回す
原作:伊坂幸太郎(祥伝社・刊) / 監督:前田哲 / 脚本:長谷川隆、前田哲、丑尾健太郎 / プロデューサー:福山亮一、和田倉和利 / エグゼクティヴ・プロデューサー:島本雄二、松本輝起 / 撮影:山本英夫 / 照明:小野晃 / 美術:佐々木尚 / 編集:日下部元孝 / VFXスーパーヴァイザー:田中貴志 / VFXプロデューサー:大屋哲男 / 音楽:佐藤“フィッシャー”五魚 / 主題歌:Skoop on Somebody / 出演:大沢たかお、鈴木京香、松田翔太、佐藤浩市、大倉孝二、加藤ローサ、三浦知紘、中山祐一朗、古田新太、大杉漣、篠井英介、松尾スズキ、木下ほうか、三石研 / 製作プロダクション:シネバザール / 配給:松竹
2006年日本作品 / 上映時間:1時間32分
2006年05月13日公開
公式サイト : http://www.yo-gang.com/
池袋シネマサンシャインにて初見(2006/05/25)

[粗筋]
 ――彼ら四人が巡り逢ったのは、銀行だった。「爆弾だ!」という叫びと共に白煙が溢れた行内、逃げまどう人々のなかにあって、彼ら四人だけは泰然としていた。人間のつく嘘を一目で見抜く才能の持ち主・成瀬(大沢たかお)が、叫んだ当の行員の嘘を指摘した。逃げ出した男を追跡するために、雪子(鈴木京香)が車泥棒の技術と傑出したドライヴ・テクニックを駆使した。男を取り押さえたあと、この面々がこれでおさらば、というのを惜しんだ久遠(松田翔太)が三人の懐から財布を掠め取っていた。爆弾魔のお粗末な手口を目の当たりにした四人は咄嗟に、同じ事を考えたのだ――自分たちなら、もっとうまくやれる。
 こうして、四人組の天才的銀行強盗団が誕生した。場所と計画の青写真は成瀬が描き、雪子が天性の体内時計を駆使して的確な逃走時間を算出、車を用意して待機する。襲撃中、口から出任せを言うことにかけては右に出る者のない響野(佐藤浩市)が拳銃とハッタリで行員と客とを支配すると、彼が演説で人々の気を引いているあいだに成瀬と久遠が金の在処を確認し、ケースに詰め込んで脱出する。この間僅かに五分程度、通報する余裕もない。
 こうした鮮やかな手際で犯行を重ねてきた四人組だったが、その日の計画は成功間際でケチがついた。警察の追走も振り切り、ようやく逃げ延びたかと思ったとき、突如はみ出してきた対向車に道を遮られた。停車した成瀬たちに銃口が向けられ、収穫はことごとく持ち去られてしまった。
 成瀬は残念がりながらも諦める心境だったが、久遠が犯人のひとりから財布を掠め取っていたために、一同は金を奪還する手だてがないか探りはじめる。男女のカップルなら不自然さがない、という理由で成瀬と雪子のコンビが財布の持ち主・林(木下ほうか)を尾行したが、ふたりが密かに互いを意識している、と察知していた響野は久遠を伴って、成瀬たちを追うことにする。
 成瀬たちが追跡していると、林は突如何者かによって拉致されてしまった。追うふたりの前で林は山中に連れこまれ、逃げまどう背中に銃弾を浴びて倒れる。成瀬たちは追跡を止め、その場を離れた。
 一方の響野たちは、山中の道路に入って成瀬たちを見失っていたところ、演説に熱中した響野のよそ見運転のために、飛び出してきた男を誤って撥ねてしまう。大事には至らなかったものの負傷した男の家族に連絡するため、所持していた携帯電話にたったひとつ残っていた発信履歴をリダイヤルしてみると、出たのは意外な人物だった――

[感想]
 いま斯界で最も注目されている作家のひとり伊坂幸太郎の長篇第三作を映像化したものである。色々あって、遅れて入った読者である私は初刊当時に手をつけず、今回映画化に当たって発行された文庫版を予習として読み、直後に本編を鑑賞した。
 それだけに、原作にある伏線や構成の妙を崩してしまった本編の脚本にはさすがに厳しい評価をせざるを得ない。原作に登場する要素は随所に鏤められているのだが、まるっきり解体されていて伏線としての効果を成していない。そればかりか、悪党対悪党の知恵比べとして読み解くと、あまりの計画の杜撰さに呆気に取られる。
 終盤で“意外”な真相が明かされるが、その意外性にも無理がありすぎるのだ。あまりに偶然に頼りすぎているし、予定通りに進まない部分が多すぎて、よく破綻しなかったものだと思う。だいいちあの締め括りでは、決してハッピーエンドにはならないだろう。
 但し、実のところそうした非現実性は、はじめから原作と異なる方向性として、映画のなかで色濃く打ち出している点でもある。象徴的なのは、VFXを用いたカーチェイスだ。周辺の実景に溶け込みきっていないのが狙いなのかは不明だが、それ故にパトカーが跳ねまわり、非常識な角度での片輪走行で窮地を脱する、というアクロバティックと言うより無茶苦茶すぎる逃走劇がかなり作品に馴染んでしまっているのも事実である。そしてその漫画的な逃走劇が、そのまま作品全体にある空想的な色彩を予告している。
 本編の良質な点は、それを最後まで貫いていることなのだ。四人組のブレーン役である成瀬の造型を例に取ると、彼は何ヶ月にも亘って強盗犯として活躍する傍ら、昼間は極めて真っ当な公務員として働いている。プライベートではどこか砕けた雰囲気を醸し出しながら、勤務先の光景は笑えるほど規則通りに運営されるお役所の様子を描き、そこでスーツにネクタイというパリッとした姿で勤務する姿を見せる。この極端な裏表のコントラストが、ファンタジー的な作品世界によく馴染んでいる。
 更にこの空想世界を巧みに演出しているのが、色彩豊かな美術と衣装だ。四人が主にたむろしている、響野の経営する喫茶店の非現実的なくらいに極彩色の装飾や、襲撃時のまるで舞台に赴くようなスーツ姿、襲撃に使用する盗難車がやたらと豪華であるのも異様だ。何気ない街の風景の選択にも気を配っており、華やかさは画面の隅々にまで行き渡っている。襲った銀行のお偉方を目隠しするのに、わざわざつむった目を漫画風に書き記したバンドを使用してみせたりといったユーモアもある。
 何より、主要四名のキャラクターの立ち具合と、俳優の嵌り具合が素晴らしい。カリスマ性と滲む影や不器用さなどをうまく表現した成瀬=大沢たかお、凛々しさと儚さとを等しく演じきった雪子=鈴木京香、人間よりも動物を優先させる眩しいくらいの青臭さと才気とを瑞々しく演じた久遠=松田翔太、いずれも秀逸だったが、やはり出色は口から出任せで世の中を渡り歩き、襲撃にあたって被害者相手に演説をぶって煙に巻く変人・響野を強烈な存在感と説得力で体現している。俳優としての巧さもあるだろうが、いったんこれを観てしまったら、以後原作を読んでも佐藤浩市のイメージでしか響野を観られなくなることは確実だろう。恐らくは製作者もそういう自負があったのだろう、もう少し演説を聴きたかった、という誰しも感じるはずの物足りなさを、きちんとラストシーンで補っているのが嬉しい。
 原作における優れた構成力、伏線の妙を敬愛する向きにとっては腹立たしい仕上がりであることは否定しない。だが、キャラクターの特徴をきちんと描き出そうとした話作りと、現代日本を舞台としたファンタジーであることに徹した世界観の構築ぶりは、決まり切った日本映画の枠をいい意味で逸脱しており、娯楽として優秀な作品と評していい。何より、原作者が初刊本のあとがきに記した「九十分ぐらいの映画が好きです」という発言にきちんと応えた尺には、たとえ大幅な脚色を行おうとも原作に対して敬意を抱いていることがきちんと感じられて好もしい。

(2006/05/25)


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