cinema / 『トゥモロー・ワールド』

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トゥモロー・ワールド
原題:“Children of Men” / 原作:P・D・ジェイムズ(ハヤカワ文庫HM・刊) / 監督:アルフォンソ・キュアロン / 脚色:アルフォンソ・キュアロン、ティモシー・J・セクストン、デヴィッド・アラタ、マーク・ファーガス、ホーク・オツビー / 製作:ヒラリー・ショー、マーク・エイブラハム、トニー・スミス、エリック・ニューマン、イアイン・スミス / 製作総指揮:トーマス・A・ブリス、アーミアン・バーンスタイン / 撮影監督:エマニュエル・ルベッキ,A.S.C.,A.M.C. / プロダクション・デザイナー:ジム・クレイ、ジェフリー・カークランド / 編集:アレックス・ロドリゲス、アルフォンソ・キュアロン / 衣装デザイン:ジェイニー・ティーマイム / SFXスーパーヴァイザー:ポール・コーボールド / オリジナル楽曲“Fragments of a Prayer”:ジョン・タヴナー / 出演:クライヴ・オーウェン、ジュリアン・ムーア、キウィテル・イジョフォー、チャーリー・ハナム、ダニー・ヒューストン、パム・フェリス、ピーター・ミュラン、クレア=ホープ・アシティ、マイケル・ケイン / ストライク・エンタテインメント製作 / ヒット・アンド・ラン・プロダクションズ製作協力 / 配給:東宝東和
2006年アメリカ・イギリス合作 / 上映時間:1時間49分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2006年11月18日日本公開
公式サイト : http://www.tomorrow-world.com/
TOHOシネマズ六本木ヒルズにて初見(2006/12/07)

[粗筋]
 2027年、人類最年少の少年がファンによって刺殺された。彼の誕生以降、人類は新たな誕生を見ていない。緩慢に訪れつつある種の最期を前に世界は破綻を来たし、あちこちで治安が悪化している。比較的安定しているイギリスには移民が大挙しているが、政府は彼らを不法入国者として排除、その施策に異を唱える反体制派によるテロが日々繰り返され、人々は絶望の淵にいた。
 最年少の座が移った翌日、エネルギー省に務めるセオ・ファロン(クライヴ・オーウェン)は覆面の一団に拉致される。連れこまれた場所で彼を待っていたのは、かつての妻ジュリアン(ジュリアン・ムーア)だった。政治活動を通して知り合いながら、いまや運動を離れたセオに対し、彼女は“フィッシュ”という組織のリーダーとして精力的に活動を続けている。久々に再会したジュリアンは、セオの従兄弟が文化大臣として中枢にいることを恃んで、ひとりの少女を移動させるのに必要な通行証を確保して欲しい、と依頼する。
 報酬も用意する、というジュリアンの懇願に、最初は首を横に振ったセオだったが、結局文化大臣を務める従兄弟のナイジェル(ダニー・ヒューストン)と面会し、どうにか通行証を手に入れた。但し、同伴者としてセオ自身が付き添う必要がある。
“フィッシュ”はその少女――キー(クレア=ホープ・アシティ)を、“ヒューマン・プロジェクト”に保護してもらうことを画策していた。崩壊に近づきつつある世界を救うために優秀な頭脳が結集し、国境を越えて秘密裏に活動を続けているという組織である――が、その実在は疑問視されている。しかし、ジュリアンたちはキーをそこへ送り届けることで、世界に希望が齎されることを信じて止まなかった。
 当初、移動はさほど困難なものとは感じられなかった。ジュリアンは久々にかつて愛した男と行動を共に出来たことではしゃぎ、セオも他の同行者も気持ちが浮き立っていた。だが、その浮かれ気分は、山中の道を走っているあいだに暗転する。忽然と現れた暴徒の襲撃を受け、銃弾を浴びたジュリアンはあっさりと絶命した。折悪しく、駆けつけた警官に身許がバレることを恐れた“フィッシュ”の一員ルーク(キウィテル・イジョフォー)は、あろう事か警官を射殺してしまう。
 どうにか“フィッシュ”のアジトまでたどり着いた一同だったが、ジュリアンの死は早くも報道され、セオたちは瞬く間に追われる身となったことを自覚する。しかし、セオにとってより衝撃的な事実があった――キーが“ヒューマン・プロジェクト”からの保護を求めていた本当の理由である。
 キーは、妊娠していたのだ。しかしイギリス国民でない彼女が政府を頼って出産すればどんな扱いを受けるか解らない。ジュリアンの死を受け、逡巡の挙句にキーはいちどはアジトでの出産とそののちの保護を希望する。
 しかしその夜、物音に気づいて起きたセオは、更に衝撃的な事実を知る。実はあの暴徒による襲撃は、ルークたちの策謀だったのだ。平和的な解決を模索するジュリアンを排除し、キーの産む子供を政治的に利用することを企んでいたのである。彼らの計画にとって、キーの意志もセオの存在も必要ではない――セオはキーと、助産婦として雇われていたミリアム(パム・フェリス)を起こし、アジトを脱出する。
 ――いま、世界の運命は、セオの手の中にあった。

[感想]
 本編は『女には向かない職業』『策謀と欲望』など、重厚な描写が持ち味のイギリス人作家P・D・ジェイムズが1992年に発表した、彼女としては珍しいSF長篇に基づいている。題名も一緒であるが、しかし実のところ物語の中身はあまり重ならない。“子供の生まれなくなった近未来”という大枠、イギリスが舞台であること、またセオやジュリアン、反政府組織“フィッシュ”の名称など、踏襲している部分は多くあるが、辿る道程はまったく異なっている。
 にも拘わらず、原作を読んだあとで本編を観た私は、あまり違和感を抱くことがなかった。最大のアイディアが共通していることもそうだが、教条主義的になることを避け、崩壊していく世界の有様をセオの目に見える範囲内でのみ表現する、という趣向が一致していることも大きいのだろう。
 近年は多視点で、非常に細かなカット割りで無数のアングルから同じ情景を捉える手法が主流となっているが、本編はストイックなまでに、“セオの目から見える出来事”に拘って描いている。人類最年少の少年の死を報じるテレビに釘付けになる人々の姿、それには無関心にコーヒーを買い、舗道で酒を注ぎ足していたセオの背後で、彼がコーヒーを買ったその店がテロにより吹き飛ばされる――この衝撃的で象徴的なひと幕を、本編は僅かなカット数で表現している。この短い繋がりのなかに、世界の退廃ぶりとセオの諦観とが厚く織りこまれている。
 そして本編ではこのスタイルが終始貫かれている。郊外の道を行く一同のはしゃいだ姿から暴徒の襲撃、ジュリアンの死、警察への銃撃に至る流れ。アジトからの惨めな脱出の様子。そしてクライマックス、政府と反体制派が入り乱れての銃撃戦のなかをかいくぐって、“ヒューマン・プロジェクト”と落ち合う場所を目指すくだり。セオの前を行き、或いは後ろへ回り込んで、常にその周辺を絶え間なく動き回るカメラの目線は、観客に否応なく、セオが目にする、彼の世界における現実を突きつけてくる。ドキュメンタリーに準ずる手法ならではのこの臨場感は実にただごとではない。
 そうした手法故だろう、製作者の目配りは細部に及んでいて、恐らくこの作品は観るたびごとに新たな発見があるに違いない。セオの乗った電車に物を投げつける貧民層の姿、駅に併設された檻のなかでひたすら何かを唱え続ける老婆、セオの従兄弟・ナイジェルの傍らにいる恐らくは人類でも年少に属する青年の無感情な態度、などなど。いずれもナレーションはおろか、それらに当たり前のように接するセオたちの口からも説明がされないので投げ出されているように感じられるかも知れないが、細部まで考証を重ねた結果として登場するそれらが、作品の暗さ、何よりも奥深さを強調する。
 物語の流れそのものはシンプルで解り易い。セオがかつての妻に頼み事をされ、請け負った結果として、ひとりの少女と彼女が孕む世界の命運とを背負い込むことになる。絡みあった思惑から逃れるために、自らの分を超えて奮闘する――こうしてざっと説明すると有り体の冒険活劇に聞こえるが、しかしセオは本当に何の力も持たない中年男であり、瀬戸際のところで立ち回る姿は緊迫し、悲哀に満ちている。単純にサスペンスと解釈しても、本編の密度の高さは疑いようもない。
 細部に拘った画面作りは、しかしクライマックスにおいていっそう力強さを帯びる。素晴らしいのは、不法入国者を収容する隔離施設における銃撃戦終盤のくだりである――未見の方の興を削がぬために詳述は避けるが、この一場面こそ、製作者の貫いてきた表現手法が最も活きている。
 本編の舞台は、原因も解らないまま人類が新たな生命を得ることが出来なくなった、いわゆるディストピアとしての世界である。だが、現実にも人類は、次第次第に少子化へと傾きつつある。そうしたことと思い合わせて、本編で綴られる出来事に恐怖を覚える観客もあるだろう。反対に、あまりにも突飛に感じられる基本設定ゆえに、何一つ頼るものを亡くしながら、ひとりの少女と新たな命を救うために、自らの分を超えて奮闘する男の姿に純粋に感じ入ることも出来よう。観るものから何を感じるかによって、作品は姿を変える――当たり前のことであるが、そのパターンを本編ほど多様に提示しようと試みている作品は滅多にあるものではない。その姿勢が確かであるから、何の答も提示しないラストシーンが、しかし尻切れトンボのように感じることがない。その問いかけが物語を超えて、作品の向こうまで伸びているからだ。
 物語がシンプルであるが故に、その精緻さが光る、重厚な作品である。ひとつの画面に提示される情報量が多いので、可能であれば是非とも劇場で鑑賞して欲しい。

(2006/12/07)


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