cinema / 『コールドマウンテン』

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コールドマウンテン
原題:“Cold Mountain” / 原作:チャールズ・フレイジャー(新潮文庫・刊) / 監督・脚本:アンソニー・ミンゲラ / 製作:シドニー・ポラック、ウィリアム・ホーバーグ、アルバート・バーガー、ロン・イェルザ / 製作総指揮:イアイン・スミス / 共同製作:ティモシー・ブリックネル / 撮影監督:ジョン・シール / 編集:ウォルター・マーチ / 美術:ダンテ・フェレッティ / 衣装:アン・ロス / 音楽:ガブリエル・ヤール / 出演:ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー、ドナルド・サザーランド、ナタリー・ポートマン、フィリップ・シーモア・ホフマン、ジョヴァンニ・リビシ、レイ・ウィンストン、ブレンダン・グリーソン、キャシー・ベイカー、ジェームズ・ギャモン、アイリーン・アトキンス、チャーリー・ハナム、ジェナ・マローン、イーサン・サプリー、ジャック・ホワイト、ルーカス・ブラック / 配給:東宝東和
2003年イギリス・イタリア・ルーマニア合作 / 上映時間:2時間35分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2004年04月24日日本公開
2004年09月15日DVD日本版発売 [amazon|コレクターズ・エディション:amazon]
公式サイト : http://www.coldmountain.jp/
日劇PLEX3にて初見(2004/05/08)

[粗筋]
 ノースカロライナ州の長閑な山脈は、とある本の一節にちなんで“コールドマウンテン”と呼ばれている。その麓にある村落に、モンロー牧師(ドナルド・サザーランド)とともに愛嬢のエイダ(ニコール・キッドマン)が転居してきたのは1861年。この地で彼女は、インマン(ジュード・ロウ)に出会った。内向的で口数が少ない彼だったが、エイダの可憐な佇まいに一目惚れし、一方のエイダもまた不器用で素朴なインマンの人柄に瞬く間に惹かれていった。
 だが、愛を打ち明け合うどころか、ろくに言葉を交わす機会もないまま、時代は大きく揺れ動いた。奴隷制廃止を訴えるリンカーン大統領の着任に伴う合衆国の南北分裂に始まった、いわゆる南北戦争である。兵に志願していたインマンは戦端が開かれるとほぼ同時に部隊に合流した。別れ際にエイダから手渡された本と彼女の硬い表情を留めた写真と、一度きりの情熱的な接吻の記憶を胸に抱いて。
 出兵する若者たちの楽観的な予想とは裏腹に長期化し、別れから三年目の夏を、インマンはヴァージニア州ピーターズバーグの宿営地で迎えていた。早朝、迷い込んできたウサギを追いかけていたその時、突如として宿営地の地面が火を噴いた。北軍が地下を経由して仕掛けた地雷が一斉に爆発し、あとには直径400メートルに達する巨大なクレーターが出来上がっていた。だが、混乱に乗じて攻め入ってきた北軍はクレーターによって足止めを食い、逆に銃や砲台によって集中攻撃を受ける。目を覆うような大混戦のなか、親友のオークリー(ルーカス・ブラック)は深手を負い、運ばれた病院で息を引き取った。
 敵味方ともに甚大な被害を被ったなか、インマンたち数名は敵陣へのゲリラ作戦を命じられる。結果、仲間たちは大半が命を落とし、インマン自身も重傷を負った。蠅の飛び交う不衛生なベッドに横たわる彼のもとに、ある日何通めかのエイダの手紙が届いた。「まだ戦っているなら、戦いを止めて。私の元に帰ってきて」彼女との再会を希望に生き抜いてきたインマンは、その言葉で意を決した。脱走兵は銃殺刑という鉄則を知りながら、夜の闇に紛れて彼は病院を抜け出した。はるか数千マイルの彼方にある故郷、コールドマウンテンを目指して。
 一方、コールドマウンテンでインマンの帰りを待ち続けていたエイダの身には、長年温室暮らしをしていた彼女にとって耐え難い不幸が降りかかっていた。収入源の減少で奴隷や召使いを放出し、エイダはひとりで慣れない家事を覚えねばならない状況に追い込まれ、その矢先に父である牧師は急逝、生活はいよいよ逼迫した。衣服や貴金属の類を売り、近隣の人々の心遣いで辛うじて食いつないではいたが、日に日に痩せ細っていく彼女の姿に、教会そばで牧場を営むサリー(キャシー・ベイカー)とエスコー・スワンガー(ジェームズ・ギャモン)夫妻は胸を痛める。
 ある日、そんなエイダの家の門を叩く女性の姿があった。戦争で父を失い流れ者になったという彼女ルビー・シューズ(レニー・ゼルウィガー)はサリーの頼みでエイダの暮らしを支えに来たのだという。寝床と食事を提供してくれれば給金は不要、但しメイドではなく対等の立場で、という条件を逞しく突きつける彼女に、エイダは気圧されるように頷く。
 ルビーのマイペースな物云いと指示に最初は翻弄されるばかりだったエイダは、役立つものを自らの手で作り上げていく、という楽しみに次第に目醒めていく。ルビーとともに柵を作り、農場を開墾しなおし、自らパイを焼いて、侵入者除けの罠を提案する。いつしか二人は、農場経営の夢を共有する刎頸の友になっていった。
 ――そんな彼女の苦境と変化を知るよしもなく、インマンはひたすらに郷里を目指して長い旅を続けていた。道中、奴隷の女に手を出したために追放された牧師のヴィージー(フィリップ・シーモア・ホフマン)と出会いしばらく旅をともにするが、ジュニア(ジョヴァンニ・リビシ)という男に騙され現地の義勇軍に捕まってしまう。移送中に北軍と遭遇したことで義勇軍は殲滅され、インマンはそのどさくさに辛うじて生き残るが、死んだ囚人と両腕を鎖で結ばれた状態で身動きならなくなった。そんな彼を、森の中で山羊を飼ってひとり暮らしている老婆マディ(アイリーン・アトキンス)が救って介抱した。癒えないままの傷と長い逃亡生活で疲れ果てていたインマンは、しばし彼女のもとで身を休める。まだ、道程ははるかに遠い……

[感想]
 いまの英米映画界で屈指の美男美女と言えば? と問われれば、私は真っ先にジュード・ロウとニコール・キッドマンの名前を挙げる。ジュード・ロウはやや古めかしい美男子の顔立ちだが、それ故に精悍な若者も繊細な美形も演じられる。ニコール・キッドマンについては近作『ムーランルージュ!』『めぐりあう時間たち』『ドッグヴィル』と並べるだけでその演技の幅広さが察せられよう。そんな二人が戦争を背景に引き裂かれた恋人同士を演じるロマンスである。期待するな、という方が無茶だ。
 骨子こそ「引き裂かれた恋人の思慕と再会の物語」といった具合に簡単に説明がつく。テーマとしても有り体の部類に入るだろう。だが、それが観客を惹きこむためのいちばんシンプルな手段であると同時に、作り手にとって大いなる挑戦にもなりうる。新奇なテーマであればその物珍しさだけで気を惹くことも出来るだろうが、ありがちな話ほど底が見えてしまい、容易に飽きられかねないという難しさがある。
 本編はその点、実にオーソドックスな話運びながら、事件の盛り込みや緩急の付け方などが巧妙で、一瞬たりともこちらの注意を逸らさない。男女二人の主人公がそれぞれ、南北戦争という悲劇によって翻弄された人々との出会いと別れを繰り返し、哀しみと悪意を痛感しながら人間的に成長していく様に、意外なタイミングでの再会と、余韻嫋々たるラストシーンに至るまで、観客の目を釘付けにしてしまう。よく選び抜かれたエピソードの力強さもさることながら、映像美と呼吸を弁えた演出手腕の賜物でもあるだろう。
 各所に登場する人々の個性も作品に深みを齎している。奴隷の女に手を出したために追放されたこの上なく人間くさい牧師、徴兵されなかった鬱憤を義勇軍における“裏切り者”の討伐で晴らすかつての名士、森の中で超然とした生き様を見せる老婆、脱走兵となりながら最後は憎まれていた娘のもとに帰ってきた父親――いずれも登場シーンは少ないのに鮮烈な印象を齎すが、最も強烈だったのはやはり、この演技によって念願のオスカーに輝いたレニー・ゼルウィガー演じる流れ者のルビーだろう。エイダを悩ませていた雄鳥をあっさりと捕まえるなり首をねじ切って「鍋はある?」と訊ねる剛胆さ、何かにつけてナンバーをつけて物事を箇条書きにしようとする妙な律儀さ、エイダの気品にも物怖じせず、彼女に生きる力を与えた影響力。彼女だからこそこの過酷な時代を生き延びたのだ、と納得させてしまう逞しさが確かにある。
 常套を辿るメロドラマは、決着もまた常套的だが、それを御都合主義と感じさせないのは、そうした練り込まれた構成ゆえだ。作中、主人公たちが苦しみ抜く冬の季節を思わせる曇り空は、ラストシーンで雲を残した晴天に変わる。その空を背景にしたヒロインのモノローグが、本編の顛末を安易なハッピーエンドにせず、苦くも甘い余韻を齎している。
 この映画、実に2時間35分もある。そうだったっけ、と思わせてしまうほどに濃密で一瞬たりとも逸らさない、圧倒的なメロドラマ。最近映画らしい映画を観ない、と感じている人にはお薦めです。化物『ロード・オブ・ザ・リング』と同年に製作されたのでなければ、もっと多くの栄冠に輝いただろーに。

(2004/05/09・2004/09/16追記)


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