cinema / 『ウェルカム・トゥ・コリンウッド』

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ウェルカム・トゥ・コリンウッド
原題:“WELCOME TO COLLINWOOD” / 監督・脚本:アンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソ / 製作:スティーヴン・ソダーバーグ、ジョージ・クルーニー / 製作総指揮:ハント・ロウリー、ケイシー・ラスカラ、ヘンドリック・ヘイ、ベン・コズグレーヴ / 共同製作:スコット・シフマン / 撮影監督:リサ・リンズラー、チャールズ・ミンスキー / 編集:エイミー・ダドルストン / 音楽:マーク・マザーズボウ / プロダクション・デザイン:トム・マイヤー / 出演:サム・ロックウェル、ウィリアム・H・メイシー、マイケル・ジーター、アイザイア・ワシントン、アンドリュー・ダヴォリ、ルイス・ガズマン、パトリシア・クラークソン、ゲイブリエル・ユニオン、ジェニファー・エスポジート、ジョージ・クルーニー / 配給:CLYDE FILMS
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間26分 / 字幕:石田泰子
2003年08月23日日本公開
公式サイト : http://www.clydefilms.co.jp/collinwood
銀座シネパトスにて初見(2003/08/29)

[粗筋]
 ことの発端は、とある悪党の不幸だった。コジモ(ルイス・ガズマン)は長年の相棒トト(マイケル・ジーター)とともに車泥棒をしているときつまらないヘマをやらかして投獄された。我が身を呪うコジモだったが、同じ房に収監されていた終身刑の囚人はもっと嘆いていた。この男、大きなヤマの下拵えをしたところで妻を殺し、フイにしてしまったのである。
 その大きなベリーニ(儲け話)を譲られたコジモは、面会に来た愛人のロザリンド(パトリシア・クラークソン)に、靴箱に隠した一万五千ドルを元手にムリンスキ(替え玉)を探してくるよう要求する。結婚したさに替え玉探しに奔走するロザリンドだったが、協力を求めたのがトトだったのがまず間違いだった。トトから若い小悪党のベイジル(アンドリュー・ダヴォリ)に、ベイジルからもと芸術家のレオン(アイザイア・ワシントン)に、レオンから貧困に喘ぐカメラマンのライリー(ウィリアム・H・メイシー)に、微妙に依頼額を膨らましつつ伝達し、ようやくヘボボクサーのペロ(サム・ロックウェル)を替え玉に調達できた。
 だが所詮小物の考えることで、法廷の場で自分が主犯だと訴えたものの変に色を付けたために、自分だけどころかコジモの罪も重くしてしまった。あまりの悲嘆ぶりにコジモは諦め加減で計画の骨子を打ち明ける。終身刑の囚人はとあるビルが建てられたとき、宝石店の二階に隣接する部屋の壁の煉瓦に水を混ぜ、通常より脆くしていたのだ。宝石店の二階は質屋の金庫があり、その隣室は空き家のままになっている。こっそりと侵入し、壁を破壊して侵入すれば、30万ドルは硬い――そこまで聞いたところで、ペロは監獄から連れ出された。実はこいつ、初犯のため執行猶予がついていたのである。
 コジモの罵倒も柳に風と帰宅し、儲け話に胸躍らせていたペロだったが、当然のように残る面々にぶちのめされ、やむなく計画の詳細を打ち明ける。こうして、最初に話を仕込んできたコジモ抜きの、すこぶる頼りないチームは結成されたのだった。
 事故で足が不自由になり引退した金庫破りの名人ジャージー(ジョージ・クルーニー)の指導を仰ぎつつ、一同は犯罪計画を進めていくが、あとからあとから予想外の展開が現れて、事態はどんどん妙な方向に転がっていく。果たして、彼らは無事に大金を掴むことが出来るのだろうか……?

[感想]
 これは意外な掘り出し物でした。当初はスティーヴン・ソダーバーグ&ジョージ・クルーニーコンビの製作によるクライム・ムービーという頭しかなかったが、それだけで説明しきることは不可能です。
 この作品のどの辺が魅力で、どれだけ素晴らしいかは実はひとことで言い表せる。が、それを言ってしまうと後半の楽しみが損なわれてしまうだろうから、書くことを躊躇ってしまう。とにかく、ハリウッドでこの製作コンビでクライム・ムービー、と言われて固定したイメージを思い浮かべると裏切られること確実で、それが快感であるから素晴らしい、というタイプの作品である。やや前半が緩く、人によっては飽きそうだが、元々尺が短いので、そこを我慢すれば中盤以降は話のなかで積み上げたものがどんどんととんでもない方向に転がっていき、楽しめること請け合いだろう。
 この楽しさは、いずれもある程度のキャリアを持ったキャストが、いずれも妙に小さな人間をごく自然に、説得力たっぷりに演じている点も奏功している。ジャージーなど、たぶんにジョージ・クルーニーというビッグネームを使うために用意された役柄っぽいが、これまたクルーニーらしからぬ“小物”を愛らしく演じていて、役者としての気概を示しつつきっちりと作品に溶け込んでいる。なかでもとりわけサム・ロックウェルはインディペンデント系の作品で活躍してきた役者だが、本編での活躍をクルーニーに見こまれて、同時期に日本で公開された『コンフェッション』の主役に抜擢されたというくらいで、実にいい味を出している。
 いちおう舞台は現代のはずだが、不況に喘ぐ街を設定したために、妙に年代不詳になっているあたりも独特の魅力を醸し出している。施しを働くふりをするペロの足に唾を吐いたり、引退したと言いつつ未だ怯えるジャージーを「警察が来たぞ」と言ってからかってみる子供が山といる、実に殺伐とした状況が微笑ましく映るというのも面白い。
 非常に丁寧な枠組みを作った上で、それを極限まで活かした、意欲に満ちた娯楽映画。よくよく観れば社会的なメッセージも汲み取れるだろうが、ひとまずそんなことは忘れて純粋に楽しみましょう。
 ……ただ、人によっては許せないかも知れません、あのオチは。私は大好きだけど。

(2003/08/30)


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