cinema / 『カンパニー・マン』

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カンパニー・マン
原題:“CYPHER” / 監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ / 脚本:ブライアン・キング / 撮影監督:デレク・ロジャース / プロデューサー:ポール・フェダーブッシュ、ウェンディ・グリーン / 編集:バート・キッシュ / 美術監督:ジェームズ・フィリップス / 音楽:マイケル・アンドリュース / プロダクション・デザイン:ジャスナ・ステファノヴィッチ / 出演:ジェレミー・ノーザム、ルーシー・リュー、ナイジェル・ベネット、ティモシー・ウェッバー、デヴィッド・ヒューレット / 配給:GAGA-HUMAX
2001年アメリカ作品 / 上映時間:1時間35分 / 字幕:太田直子
2003年01月18日日本公開
2003年06月18日DVD日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.companyman.jp/
ニュー東宝シネマにて初見(2003/01/26)

[粗筋]
 モーガン・サリヴァン(ジェレミー・ノーザム)は脳神経グラフの緻密な審査を乗り越えて、デジコープ社に採用された。彼に与えられた仕事は、他企業の議会に出席し、その様子を小型モニター経由でデジコープ社に送り届けること。モーガンは産業スパイとして採用されたのだ。
 義父の職場への転勤を強く薦めていた妻にはフリーランスの仕事を一時的に引き受けたと言い訳し、モーガンはジャック・サーズビーという新しい名前と共に勇躍任地へと飛び立った。モーガン=ジャックは初めての諜報活動に興奮し緊張を隠せない。
 自らのイメージに従って、スコッチ、シングルモルトをロックで呷り、愛煙家でゴルフを嗜む、という人物像を作り、半ば楽しみながら人々の間に溶け込もうとする。柄にも似合わず、バーで見かけた赤毛の東洋人女性リタ・フォスター(ルーシー・リュー)に声をかけてもみるが、結婚指輪を指摘されて首尾は良くなかった。
 帰途、機中からの電話連絡ではデジコープ社の警備主任に当たるフィンスター(ナイジェル・ベネット)に褒められるが、しかしモーガンは自分がそれ程大した役割を果たしたようにも思えない。その日以来眠っては異様な夢に悩まされ、かけらの興味もなかったはずのゴルフ番組に見入ったりと自らも変調を来している。
 義父の会社に就職するため義父の面接を受けるよう告げる妻に捨て科白を残して新たな任地に赴いたモーガンは、逗留したホテルでリタの姿を見つけ、反射的にあとを追う。屋上に出た彼を待ち受けていたのは、銃口だった。
 拳銃を構えた部下らしき男ふたりを連れたリタは、モーガンに発信器を手渡させ、会議中オンにするな、と言う。そして瓶詰めのカプセル剤を渡し、これを飲んでおけば頭痛は無くなる、と保証した。混乱するモーガンを後目に、リタたちはヘリでその場を立ち去っていった。
 ふたたび奇妙なかたちでモーガンに接触してきたリタは、注射を受けるように告げる。彼女が言うには、会議の席上で供される水には無色無臭の薬物が混入しており、注射を受けておけば薬物に冒されることはない。そしてもうひとつ付け加えて言った。何が起きても動揺するな、平静を保て、と。
 退屈な会議が終盤に差し掛かったとき、それは起きた。講師が平然と語りかけるなか、背後のモニターに奇妙な紋様が踊り、聴講者たちは画面を正視したまま喪心状態に陥っていた。ただひとり覚醒したままのモーガンが自失の演技をしている目の前で、更に衝撃的な出来事が展開する……

[感想]
 ……あとは劇場或いは映像ソフトにてお楽しみください。
 記憶の迷宮、という惹句を用いていたがまさにその通り、冒頭から複雑な設定が繰り出され、あっと言う間に混乱のなかに引き込まれる。幾何学的なモチーフを多用した、それでいて往年のスパイ映画を彷彿とする郷愁的な美術を背景に、敵味方・真偽の彼我を曖昧にしながら物語はスピーディに魅惑的に展開していく。
 はっきり言ってガジェットは変である。大仰な探知システムがある段階でまっったく役に立ってないとかその階段になんの意味があるんだとかいったい誰がどーいう資金によってそんな巨大な代物を作ったんだ、とかツッコミたいモチーフが随所に登場する。
 しかしその一部はきちんと物語の展開に奉仕しているし、結末への精妙な伏線の役をも果たしているし、何より観ていて単純に「愉しい」気分にさせられる。全ての場面で色彩を絞り、独特の間や急テンポのカットバックなど緩急を交えた演出で、アクションなど僅かしかないのに強烈なサスペンスを演出しており、複雑かつ難解な物語にも拘わらず飽きをまったく感じさせない。知的な絡繰りとある種子供っぽいとも言える遊び心が交錯し、物語を一級のエンタテインメントに仕立てているのだ。
 本筋とは無縁のところでも細かい仕掛けや遊びがあり、即座にもう一度観たいという気分にさせられるのもお見事。凝りに凝りまくった逸品である。

 私自身映画が始まって初めて知ったことだが、この作品のタイトル『カンパニー・マン』、実は邦題だった。原題は“CYPHER”、記号のゼロ、取るに足らないもの、暗号(の鍵)を意味する。作品の多義性をよく捉えたタイトルではあるが日本人には解りづらく、まあ正解と言える変更だろう。
 面白いのはこの邦題、きちんと本編で使われた台詞に基づいているのだけど、字幕ではこの単語が無視されていたのだ。邦題が決まっていない時期に字幕を作成したからなのか、敢えて避けたのか、ただ単に使いようがなかったのか。

 ルーシー・リュー演じるリタが初登場時に身に着けていた和服に似た衣裳の意味がよく解らないんだがそれはさておき。
『CUBE』で話題を攫った監督の新作ということで前々から注目を浴びていた本作だが、しかしスタッフもキャストも日本では無名の人物ばかりということもあり(結構曲者揃いなのだが)、プログラムの記事がやや少な目である。だが、それでも個人的に評価したいのは、あの北川歩実に作品評を寄せてもらっていること。この人選をした編集者、なかなかのミステリ通とみた。

(2003/01/26・2003/06/19追記)


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