cinema / 『コンフェッション』

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コンフェッション
原題:“Confessions of a Dengerous Mind” / 監督・製作・出演:ジョージ・クルーニー / 原作:チャック・バリス(角川文庫・刊) / 製作総指揮:スティーヴン・ソダーバーグ、ランド・ラヴィッチ / 脚本:チャーリー・カウフマン / 製作:アンドリュー・ラザー / 撮影監督:ニュートン・トーマス・シーゲル、A.S.C. / 美術:ジェームズ・D・ビッセル / 衣装:レニー・エイプリル / 編集:スティーブン・ミリオン、A.C.E. / 音楽:アレックス・ウルマン / 出演:サム・ロックウェル、ドリュー・バリモア、ジュリア・ロバーツ、ルトガー・ハウアー、マギー・ギレンホール / 配給:GAGA-HUMAX
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間53分 / 日本語字幕:岡田壯平
2003年08月16日日本公開
公式サイト : http://www.confession.jp/
丸の内ピカデリー2にて初見(2003/09/15)

[粗筋]
 幼少のころから無類の女好きだったチャック・バリス(サム・ロックウェル)は大学卒業後、様々な職を転々としたあと、その将来性にかけてテレビ業界へと足を踏み入れる。まずテレビ局の案内係から身を起こしたチャックは、「制作局の管理職なら将来性有望」という女性社員の噂話を真に受けて製作業務を志願するが、狭き門はそうそう簡単にくぐれない。プロデューサー候補という肩書を使ってナンパするのがせいぜいで、自分の番組を持つのも容易ではなかった。
 同僚のデビー(マギー・ギレンホール)と寝た夜、たまたま彼女の部屋を訪れたペニー(ドリュー・バリモア)と意気投合、さっそく深い仲になり、ペニーの言葉をきっかけに男女の恋への渇望を利用した視聴者参加企画「デートゲーム」の想を得るが、テレビ局への持ち込みを繰り返してもなかなか放送実現に至らない。苛立ちに任せてバーで喧嘩をし、いいようにあしらわれたチャックに、一人の男が声をかけた。ジム・バード(ジョージ・クルーニー)と名乗ったその男は、チャックの素質を見こんで仕事を頼みたい、と持ちかけてくる。番組の企画も宙に浮いたままで手持ち無沙汰だったチャックは軽く頷くが、CIAエージェントであるジムが斡旋したその仕事は、組織に属さない工作員として、暗殺を行うこと。
 数ヶ月に及ぶ暗殺教程ののち、メキシコシティで実際に暗殺を行ったチャックの自宅に待っていたのは、ABC社長からのメッセージ――『デートゲーム』を昼間の空き時間に放送したい、という要請だった。準備期間は充分なものではなく、上層部のチェックも過酷だったが、それでもチャックは欣喜雀躍して番組の製作を行った。
 電波に乗った『デートゲーム』はチャックの予測を超えた好評を得、視聴者からの応募も膨大な量に上り、チャックは新たな悩みを抱えることになった。そんな矢先、チャックの前にふたたびジムが姿を現す。もう金には困っていない、と断ろうとしたチャックに対し、民主主義の繁栄に貢献するためだ、とジムは強硬な姿勢を取る。あまつさえジムはこんな提案をしてきた。『デートゲーム』の賞品を近所の公園の散歩で使い果たせるような額ではなく、海外旅行に切り替えてみたらどうだ、と。チャックはその同伴者となり、同時に滞在先でジムからの任務をこなせばいい、と――
 口車に乗せられる形で訪れた任地で、しかしチャックは思いもかけない災厄に巻きこまれることになるのだった……

[感想]
 虚実の判然としないプロットは、本編の脚色担当チャーリー・カウフマンのお家芸と言ってもいい。だが、そもそも原作からしてとんでもない代物であったのも確かだ。昼間はテレビ番組製作者、夜はCIAの秘密工作員という設定は、本当に原作に書いてあるまま、なのである。当然下手物扱いされ、発売当初は十万部近い発行部数に対して売れたのは七千五百部と惨憺たる有様だったらしく、以来著者はアメリカに見切りをつけてヨーロッパで隠居生活を送っていたらしい――映画公開を機に復活を画策しているようだが。
 あの『アダプテーション』で自らを話のタネにしてしまったチャーリー・カウフマン脚本だけあって、冒頭から時制が入り乱れ、気を抜いているといま何について語っているのか解らなくなる。この独特の呼吸が、何故か唐突にCIAに目をつけられて秘密工作員にスカウトされる、という非常識な展開に疑いを容れさせず、あっと言う間に観る側を呑み込んでしまう。
 暗殺の成り行きや、対象について何の説明もないのも、或いは原作通りなのかも知れないが異様に効果的だ。理由も何も説明されず、この場所に行ってこいつを殺してこい、と言われわけも解らず(とりあえず見つからない程度の努力はして)仕事を片づけてくる、という手続が、なまじ説明があるよりも真に迫っていて、余計に物語の虚実が判然としなくなる。
 いっぽう、テレビ製作者としてのチャック・バリスの顔を、多く存在するプロデュース番組のなかから出世作「デートゲーム」と「ゴングショー」のふたつに絞って、詳細に描いているのも巧い。番組の製作過程と、裏の仕事に対するチャックの意識や行動とを重ねて見せていくことで、最後まで緊張感と妙な滑稽味を繋いでいる。と同時に、双方の展開に仕掛けやリンクが施されているのも憎い。あらかじめ原作を読んでから鑑賞するつもりが間に合わず、果たしてどこまで原典通りなのかが不明だが、原作にあるエピソードだとしてもその抽出と繋ぎ方の巧さは評価していい。
 どこかセピアに近い色調に、往時の音楽を随所に盛り込んだ演出は決して珍しいものではないが、実に冷静で初の仕事にはしゃぎも慌てもしていない監督の姿が垣間見える。脚本の仕上がりを信頼しているのだろう、必要以上に突飛な真似をしなくても観客を惹きつけられることが解っているからこそ、演出が落ち着いている。軽薄だがクレバーな男を気負いなく体現したサム・ロックウェルも素晴らしかった。
 チャック・バリスが実際にCIAの仕事を請け負っていたかはどうでもいい。本編にはものを作る仕事に携わる人間が多かれ少なかれぶつかる類の苦しみが、極端な形ではあるが実に巧みに描かれている。それをスタイリッシュながら冷静なタッチで、娯楽映画に仕立て上げたジョージ・クルーニーの手腕、侮れないものがある。今回に限って言えば魅力的な題材に最適な脚本家、これ以上ない主演俳優などなど優れたスタッフが集ったからとも考えられるが、いずれにしても第二作以降に注目する価値はあるだろう、と感じさせる堂々たるデビュー作。
 惜しむらくは、カウフマンの他の作品にも言われる結末の弱さが本編にも残っていることだが――個人的には、ラストシーンのモノローグだけでも充分だと思う。

 大スターの監督デビュー作ゆえ、当然と言えば当然だが、脇をやっぱり大スターが固めているのも本編の特徴である。ドリュー・バリモアにジュリア・ロバーツ、さらにルトガー・ハウアーという面々が、どこか地味な役柄を淡々とこなしている。最近頭角を顕してきたマギー・ギレンホールが、サム・ロックウェルのうえで腰を振っていたとこぐらいしか印象に残らない役柄をやっているのも妙に可笑しい。
 しかし、はっきり言っていちばん強烈だったのはブラッド・ピットとマット・デイモンである。彼らがカメオ出演している、という記事をプログラムに見つけて注目していたら、“デートゲーム”の席でふたり並んで黙然と座っていた。しかも、特に目立たないメイクをするでもなく、まるでパーティ会場に顔を出すときのままといったいでたちで、憮然とカメラの方を眺めているのである。一言も台詞がなく、それだからこそ活きてくるポジション。実に素敵な使い方でした。

(2003/09/16)


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