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『light as a feather』トップページに戻るクラッシュ
原題:“Crash” / 監督・原案:ポール・ハギス / 脚本:ポール・ハギス、ボビー・モレスコ / 製作:キャシー・シュルマン、ドン・チードル、ボブ・ヤリ、マーク・R・ハリス、ボビー・モレスコ、ポール・ハギス / 製作総指揮:アンドリュー・レイマー、トム・ヌーナン、ジャン・コルベリン、マリーナ・グラシック / 共同製作:ベッツィ・ダンバリー / 撮影監督:J・マイケル・ミューロー / プロダクション・デザイナー:ローレンス・ベネット / 編集:ヒューズ・ウィンボーン / 衣装デザイン:リンダ・バス / 音楽:マーク・アイシャム / 挿入歌:バード・ヨーク“In the Deep” / エンディング:ステレオフェニックス“Maybe Tomorrow” / 出演:サンドラ・ブロック、ドン・チードル、マット・ディロン、ジェニファー・エスポジト、ウィリアム・フィットナー、ブレンダン・フレイザー、テレンス・ハワード、クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、サンディ・ニュートン、ライアン・フィリップ、ラレンツ・テイト、ノナ・ゲイ、マイケル・ペニャ、ロレッタ・ディヴァイン、ショーン・トーブ、ビヴァリー・トッド、キース・デヴィッド、バハー・スーメク / 配給:MOVIE EYE
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間52分 / 日本語字幕:林完治 / PG-12
2006年02月11日日本公開
公式サイト : http://www.crash-movie.jp/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2006/02/16)[粗筋]
ロスアンジェルスには未だ黒人に対する根強い差別意識が残っている。たとえば学生然とした服装をしたふたりの黒人青年アンソニー(クリス・“リュダクリス”・ブリッジス)とピーター(ラレンツ・テイト)の姿を見た途端、一歩避けた夫人の行動をどう説明する? ふたりは隠し持った拳銃で脅し、車を強奪するターゲットにその女性と夫の二人組を選ぶ。
被害にあった夫婦の憤りは、それぞれ車を強奪されたことよりも、そこから派生する事柄に向けられた。妻のジーン(サンドラ・ブロック)は恐怖のあまり帰宅するなり自宅玄関の鍵の付け替えを要請するが、訪れた鍵の修理工ダニエル(マイケル・ペニャ)がヒスパニック系の男性であり、スキンヘッドと首筋にタトゥーという姿をしていることに猜疑心を抱き、もういちど鍵をすべて付け替えるよう夫に要求する。一方の夫リック(ブレンダン・フレイザー)は、検事という立場ゆえに今回の出来事を嘆いていた。平等な価値判断基準ゆえに黒人・白人の双方から指示を集めて現在の地位に就いたリックにとって、黒人に襲われた、という事実そのものが失墜の要因となりうる。救助者を表彰しよう、と提案するが、黒人だと思いこんでいたその英雄がアラブ系である、と助手に諭されて、危うく踏み止まる。
先の同時多発テロ以来、アメリカにおける中東系人種に対する風当たりは強い。ドリ(バハー・スーメク)はガン・ショップでその認識を新たにしていた。自衛のためにと銃の購入を決意したドリの父ファハド(ショーン・トーブ)だったが、店主の差別的な対応に腹を立て、あとを娘に任せて店を出てしまう。ドリはとにかく買い物だけ済ませ、銃はファハドの経営する店のカウンターに仕舞われた。ファハドは更に店の裏口の鍵を付け替えるよう手配したが、訪れたダニエルに「扉を修理しなければ駄目だ」と言われ、なら直せ、でも自分は鍵屋で扉屋ではない、という押し問答になり、腹を立てたダニエルは鍵代も徴収せずに去っていった。
リックの盗まれた車の特徴は、巡回中だったライアン巡査(マット・ディロン)とハンセン巡査(ライアン・フィリップ)のパトカーにも伝えられた。だが、尿道炎に悩む父の件で保険維持機構の調査官であるアフリカ系黒人女性シャニクア(ロレッタ・ディヴァイン)と口論したばかりのライアン巡査は、特徴が似ており、黒人が乗っている、というだけの理由で一台の車を追った。車に乗っていたのは、TVディレクターという地位のあるキャメロン(テレンス・ハワード)とその妻クリスティン(サンディ・ニュートン)――ただ走行中の車内で濃厚なラヴシーンを演じていたということ以外に罪のないふたりに、権柄ずくな態度で迫り、ライアン巡査はクリスティに対してあからさまなセクハラを働いてキャメロンを追い込む。やがてキャメロンは屈服し、自分の失態を詫び、注意だけで勘弁して欲しい、と懇願する……
LAPDの警部であるグラハム(ドン・チードル)もまたこの夜、厄介な事件を抱えこんだ。白人の警官が黒人の同業者を射殺したのである。白人警官は正当防衛を主張するが、彼にはそれ以前にも黒人を射殺した前歴がある。職務中の出来事のため罪には問われていないが、その思想背景に黒人蔑視があることは明白だった……
……ゆるやかな繋がりをもって繰り広げられる幾つものドラマは、やがて彼らが思いも寄らぬ形で交錯し、それぞれの魂を揺さぶる出来事へと発展していく……[感想]
粗筋を読んでも何の話かよく解らないのではないかと思う。
実際、統一された筋と呼べるものはこの作品にはない。存在感に満ちた無数の登場人物の物語は、基本的にそれぞれ単独で存在する。だが、それがある瞬間、思わぬ形で交錯する。題名が象徴する“衝突事故”によるものもあれば、強奪犯と被害者という関係であったり、修理工とその依頼者という関わりであったりと、その交錯の仕方も実に様々だ。
特筆すべきは、これだけ多数の登場人物がいるにも拘わらず、手を抜いた造型をされている者がひとりとして見当たらない点だ。いまなお地域に残る差別的なものの見方に憤るあまり犯罪に走り、弟分に独善的な自説をしばしば開陳してみせる黒人青年。ロス市警としては珍しく、黒人でありながら高い地位にあるものの、ドラッグ中毒の母と家を出たきり戻らない弟、という不幸を抱える警部。ショウ・ビジネスにおいて優れた成功を収めながら、それ故に世間の目を何よりも気遣わねばならず、妻を辱める警官に頭を下げねばならなかったTVディレクター。ペルシャ人であるにも拘わらずアラブ人と誤認され、謂われのない迫害に悩まされた挙句に自衛のため銃を買う決意をする男。経歴ゆえに偏見に凝り固まり、ことあるごとに差別的な言動を繰り返す警官。そんな相棒に対して嫌気が差している、正義感溢れる若き同僚。いずれも行きすぎた装飾はなされず剥き身のまま提示されているのに、確かな存在感を以てスクリーンに描き出されている。
そんな多種多様な人々の生活が絡みあうことで、鏤められた伏線が思いも寄らぬ形で突如意味を為していくさまこそ、本編の胆である。序盤一時間ほど、ときとして交わりながらも全体では無軌道に綴られていたように見えるエピソードが、夜が明けたあたりを境に急激に収束し、まったく違う意味合いを帯びていくさまは圧巻の一言に尽きる。
まさにこの作品は題名通り、異なる地位・思想・人種にある様々な人々の運命が思いもかけぬ場所で“クラッシュ”し、感情的に対立し、傷つけあい、或いは初めて理解し合っていくさまを描いている。結果として浮き彫りにされるのは、多民族国家であるアメリカ、とりわけ未だ差別意識の根強く残るロスアンジェルスという都市のいびつな実像であり、そこに暮らす人々それぞれが抱える悩みや苦しみである。
ただ、わたしはこの作品を観ていて、他所の国の縁遠い出来事、というふうにはどうしても思えなかった。それぞれの信条や生活背景はむろん、日本に暮らすわたしには馴染みのないものだが、彼らの抱く劣等感や憤り、哀しみなどが立ち現れる事情を要約していけば、実のところ国や街の別を問わず、どこにでもありうるものばかりなのだ。普通に暮らしてきた大人であれば、観ていて必ずどこかしらに思い当たる節があるはずだ。だからこそ、本編はかくも重く衝撃的で、かつ深い感動を導くのだろう。
あまりに劇的なクライマックスに、少々出来すぎではないか、という感想を抱く向きもあるだろう。だが、その“出来過ぎ”た運命を見事に演出しているからこそ、本編にはフィクションであることへの誇りを窺うことが出来る。本来は別個に存在し、互いの繋がりなど認識されるはずもないドラマが、ひとかたまりとなって大きな運命を演出し、観ているものの胸に深い衝撃を齎す、こういう表現は映画、というよりもフィクションでしか成し得ない。
フィクションであればこそ可能な世界の拡がりを見事に表現しきった、傑出したドラマである。しかもこれほど重い現実を描き、様々な不幸を綴りながら、結末に希望の火を灯し、余韻が爽やかでさえあるのが更に凄い。現時点でまだアカデミー賞の結果は出ていないが、幾つの栄冠に輝くか否かに拘わらず、本編は映画史に残る大傑作である、とわたしは信じる。(2006/02/17)