cinema / 『0:34 レイ_ジ_34_フン』

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0:34 レイ_ジ_34_フン
原題:“Creep” / 監督・脚本:クリストファー・スミス / 製作:ジェリー・ベインズ、ジェイソン・ニューマーク / 共同製作:マーティン・ヘイグマン、カイ・クーナマン / 撮影監督:ダニエル・コーエン / プロダクション・デザイナー:ジョン・フランキッシュ / 衣装デザイン:フィービー・デ・ガィエ / 音楽:ザ・インセクツ / 出演:フランカ・ポテンテ、ヴァス・ブラックウッド、ケン・キャンベル、ジェレミー・シェフィールド、ショーン・ハリス、ポール・ラットレイ、ケリー・スコット / 配給:GAGA Communications
2005年イギリス・ドイツ合作 / 上映時間:1時間25分 / 日本語字幕:アンゼたかし
2005年07月16日日本公開
公式サイト : http://www.0-34.com/
シネカノン有楽町にて初見(2005/07/17)

[粗筋]
 その夜、ケイト(フランカ・ポテンテ)は友達と一緒に、ある俳優を訪ねてサインを貰うつもりでいた。接触ルートにあてがあるというその友達と落ち合うつもりでパーティーに顔を出したが、いつの間にか彼女はタクシーで出てしまっている。追うつもりでタクシーを捕まえようにもこんなときに限ってままならず、ケイトは地下鉄の駅へと駆け込んだ。終電が来るまであと八分ほど余裕がある。慌てたあまり疲れた躰を、ベンチに深く沈める。
 ――気がついたとき、廻りには誰もいなかった。とうに終電は出たあとで、エスカレーターは停止し出入り口は完全に施錠されている。人気はなく、警備員の姿も見当たらない――途方に暮れたケイトの耳に、電車がホームに入る重々しい音が聴こえてきた。まさか、と地下へ降りていくと、終電を過ぎたはずのホームに本当に電車が停まっている。疑いを抱きもせずケイトは車内に駆け込んだ。
 ほっと一安心するケイト――だが、車内には他に人気がなく、異様な空気が漂っている。すると、数分と経たずに電車は急停止、照明までが落ちてあたりは暗闇に包まれた。運転席まで駆けつけても扉は開かず、大声で中に呼びかけても応答はない。代わりに奥の車両からふらっと姿を現したのは、前々から彼女に秋波を寄越していた同僚のガイ(ジェレミー・シェフィールド)であった。クスリで常軌を逸したガイはパーティーの席から密かにケイトのあとを追ってきて、この期に乗じて彼女をレイプしようとする。抵抗するケイトを押し倒し、のしかかってきたガイは、だが突如、何者かに引きずられて車外に転落する。一瞬這い上がってきたガイは、頭から血を流し、辛うじてケイトに「逃げろ」と言ったあと、また“何者か”に引きずり下ろされた。
 恐慌に陥り、犯行方向と反対側の車掌室から出て、電車に乗り込んだチャリング・クロス駅へと舞い戻ったケイト。相変わらず人気のない駅構内で、ひょんなことから普段は使用されていない区画を発見、そこを根城にするホームレスのジミー(ポール・ラットレイ)と恋人のマンディ(ケリー・スコット)と遭遇する。自分たちは警備員たちと接触しない約束になっているから、と拒むジミーに金を渡し、どうにか警備室へと案内させるケイト。ホームに戻ったふたりは、大怪我を負いながら這って辛うじて駅まで辿りついたガイを見つける。ケイトとジミーが怪我人をホームへと引き上げたとき――階上から、静寂を引き裂くような悲鳴が響きわたった……

[感想]
 都市圏の地下鉄というのは、巨大な地下迷宮である。現在使われているラインや駅はいいが、使われなくなった路線や駅はどうなっているのか。たとえば工事途中で止まったまま放置された路線の扱いはどうするのか。そういう人の監視の目の届かぬ領域に“何か”が棲みついていたら……廃坑や廃校、廃病院、日本人に馴染みのところでは防空壕などにありがちなそういう“都市伝説”に想を得た作品であるらしい。
 ――と書くと聞こえがいいが、その意味ではあまりに支離滅裂になってしまった気がする。作中登場するのはひとりの“化物”であり、随所に彼の生活背景や出生の秘密らしきものが匂わされているのだが、整理すればするほど平仄が合わない。確かにロンドンは世界でも最も古くから地下鉄が存在しており、廃線や廃駅の数は恐らく日本の比ではあるまい(データがないので正確なところは解らないが)。それだけに、作中においてヒロインに手を貸すことになるホームレスや捨てられた動物類、更にはそれこそ物語の主題となる“化物”が住み着いていたとしても不思議はないのだが、それならそれで、地下坑内でどのように打ち棄てられたのか、どんな風に生活しているのか、背景をきちんと組んだうえでストーリーを構築する必要がある。本編の“化物”は、それらしいものが描かれながらも辻褄を合わせていないのである。
 たとえば、彼はかなり前から地下鉄の路線内に棲みついていて独自に“食料”を調達していたと見えるが、いままではどうしてそれが些少な“噂”程度に留まっていたのは何故か? どうしていまになって、終電後に車両を奪って走らせ、ちょっとでも関わったものを殺害していくという暴挙に出たのか? 後半で描かれている出来事からすると、屍体を放置したりしていくのは本来彼の目的とそぐわなかったのではないか? その説明として挿入されたような要素も見受けられるが、検証していけばいくほど却ってギクシャクしていく。
 思うにこの作品、はじめに「地下鉄にあって不気味に感じる要素」を羅列、それをひとりの怪物の存在に合わせて継ぎ接ぎしていったのではなかろうか。終電後に取り残された女性、それなのに何故かやって来た電車、見えない脅威、随所で側道によって繋がれる路線や地下道、そこに棲息している化物の嗜好や生活ぶり、といった諸要素を先に組み立てていって、それをとりあえず表面的には繋がるように並べ替えていっただけと見える。故に、冷静に検証していくとあちこちで破綻していくのだろう。
 そう考えると却って納得出来るのだが、個々のシチュエーションはかなりよく出来ている。表面の取り繕われた印象とは正反対の、裏口や線路脇に拡がる空間の湿った不気味さを湛える美術、またそこに迫りくる“何者か”の気配を窺わせる音響効果や、空間の広大さ或いは閉鎖性を生々しく伝えるカメラワークはなかなかに芸術的で、記憶に厭な残像を留める。本当に残酷な場面は直接映さずに、ただそれらしい状況を設定することでその残虐性を印象づけるのもちかごろでは常套的な手法だが、本編がそれをかなり効果的に用いているのも間違いなく、こと演出面ではかなりの水準にある作品と言っていい。
 とりわけ出色なのは肝心な“化物”のキャラクター性と、いわば観客の代わりとなって恐怖の渦中に陥れられるヒロイン・ケイトに扮したフランカ・ポテンテの存在感と演技力である。“化物”の造型そのものが恐怖のポイントとなっているため前者については詳述を避けるが、ジェイソンや『ジーパーズ・クリーパーズ』などとは方向性の異なる外貌と特徴は、ありがちなようでいてあまり類例のないもので、インパクトは強い。またフランカ・ポテンテは決して個性の強くない、どちらかというと凡庸な女性を丹念に演じることで、異様な現実に追い詰められていくさまにリアリティを付与し、破綻している背景に一本強い芯を通している。このふたりのキャラクターの相克がなければ、全篇に漲るアート性も陳腐なものになっていただろう。結局のところ、この両者のために、両者に依存して製作された作品なのである。
 そして個人的にいちばん評価したいのはラストシーンである。本当に終わりか? と思わせたところで、序盤のあるシチュエーションをひっくり返したような出来事を持ってきて、物語全体を円環として完成させる――そうすることで、いまいちど垣間見せる異様な気配に説得力を齎す。かなり支離滅裂になっている物語にあって、この締め括りのセンスは抜きん出ている――但し、かなり通好みの趣向ではあるが。
 地下鉄というものに潜んでいると感じるような悪意、或いは現代社会の病理というものを丁寧に拾い上げていく、といった生真面目な恐怖を求めると失望する。ツッコミどころが多々あることを承知のうえで、場面場面の恐怖を堪能するのが本編の正しい見方だろう。

(2005/07/18)


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