cinema / 『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち
原題:“Les Rivieres Pourpres 2 - Les Anges de l'Apocalypse” / 監督:オリヴィエ・ダアン / 製作:アラン・ゴールドマン / 脚本:リュック・ベッソン / 製作総指揮:エクトール・マクレオード / 撮影:アレックス・ラマルク / 美術:オリヴィエ・ラウ / 衣装:シャトゥーヌ / 編集:リジャール・マリジ / 録音:ローラン・ジリグ / 音楽:コリン・タウンズ / 演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 / 出演:ジャン・レノ、ブノワ・マジメル、クリストファー・リー、カミーユ・ナッタ、ジョニー・アリディ、ガブリエル・ラズール、オーグスティン・ルグラン、セルジュ・リアブキン、アンドレ・ペンヴルン / スタジオ・レジェンド製作 / ヨーロッパ・コープ共同製作 / 配給:Asmik Ace、GAGA-HUMAX
2004年フランス作品 / 上映時間:1時間40分 / 日本語字幕:松浦美奈
200年05月29日日本公開
公式サイト : http://www.cr2.jp/
日劇PLEX3にて初見(2004/05/29)

[粗筋]
 ロレーヌ地方にある修道院に、新たに派遣された修道士が絶叫した。迷信は信じない、と彼が選んだ13の番号が振られた部屋の壁に、キリストの像を掲げるために釘を打つと、その穿った穴から血が滴り落ちたのだ。
 捜査のために派遣されたのは、ゲルノン大学での酸鼻を極める事件を解決に導いたニーマンス警部(ジャン・レノ)。特殊な装置で釘の打たれた壁を調べると、そこには磔刑に処されたキリストのような格好で埋め込まれた屍体があった。フィリップというその人物は、生前ある男に師事していたという。その男を、フィリップの係累は“光”――即ち、イエスと呼んだ。
 イエスによく似たその男(オーグスティン・ルグラン)の自宅を訪ねるが、彼の姿はなかった。代わりに彼の妻が、救い主と酷似した容貌から彼が何らかの出来事に巻き込まれていたことを知る。部屋には彼を中心として、最後の晩餐の図柄を模した写真が残されていた……
 一方、麻薬捜査に携わっていた若き刑事レダ(ブノワ・マジメル)はその帰途、襤褸切れのような服を纏い体に大怪我を負った男を発見し保護する。身許を探るものの前歴者リストに名前はなく、回復を見計らって事情聴取に出かけるが、そこに待ち受けていたのは男を手にかけようとしていた修道服姿の人物。逃げ出した修道服をレダは必死で追いかけるが、屋根を伝い高所から跳躍する人間離れした運動能力を前に、あえなく取り逃がしてしまう。
 その頃ニーマンスは、フィリップの関係者であるトマという石工を訪ねて、第二次世界大戦中にドイツとの国境際でフランス側の城塞の役割を果たしたマジノ線に向かう。だが、既にトマは殺害され、扉のひとつにやはり磔刑のような格好で封じ込められていた。後手後手に回っている自分に苛立ちを覚えるニーマンスのもとに、本部から「イエスが見つかった」という連絡が届く。イエスとは他でもない、かつてニーマンスが教官として接していたレダが保護した、あの人物だったのである。
 キリスト教の造詣が必要だ、と直感したニーマンスは宗教学に明るい人物を要請、それに応えて登場した宗教学の専門家でもある刑事マリー(カミーユ・ナッタ)も加わって、捜査は佳境を迎える。この不気味な連続殺人の裏に隠されているのは、いったい……?

[感想]
 ……要するに、前作のセルフ・パロディです。
 かなり大規模な仕掛けと大胆かつ派手なアクションとを採り入れて好評を博した前作の続編として構想するにあたり、既に完結してしまった物語をどのように踏襲するか、と考えれば、前作のいい部分をなぞり、或いは捻って導入するのは確かにひとつの方法である。ニーマンス警部と相棒となる若い刑事との関係に捜査に協力する女性、歴史的事実を用いた衒学的なストーリーと、ところどころに登場する強烈なアクションと、クライマックスでのカタストロフィ――見事に前作の傑出した要素を再構築し、雰囲気の点では完璧に前作から繋げている。
 が、ミステリとして鑑賞した場合、あまりに破綻しすぎている。登場する要素が結末と明確に繋がっていないし、そのくせ犯人像にはほとんど意外性が感じられない。そもそも犯人たちがあんな込み入った殺害方法を選択し、その際にあんな様々な小道具を用いた必然性がまったく解らないままなのが問題だ。前作の壮大さを超えるためにあれもこれも、とよく研究したうえで様々な史実や宗教的知識を導入していったその努力は認めるものの、それが謎解きに直結していききちんとカタルシスを齎した前作とは比べものにならない。寧ろ、決着したときに何とも言えないトホホ感が漂ってさえいた。
 では詰まらなかったのか、と訊かれると……これはこれで面白いのだ。宗教や歴史的事実を用いたストーリーは先読みが難しく、また随所に盛り込まれたアクションシーンは迫力充分で見応えがある。謎解きを主体にアクションを絡めた作品、と捉えるのではなく、謎解きめいたプロットを導入した冒険もの、といった心構えで鑑賞すれば、かなり素直に楽しめるのだ。謎めいた展開をリズミカルに見せる演出、ハンディカメラを多用し、焦げついたような色彩によって作り上げられた芸術的な画面など、見せ方は巧く、物語の整合性をさておいても映像作品としてはなかなかのクオリティーに仕上がっている。
 まあ、それにしても、ジャン・レノ演じるニーマンス以外のキャラクターがいずれも薄っぺらで、クリストファー・リーが演じた役柄など役者本人の希有な存在感のみに依拠しているあたりなど、シナリオ面での弱さは否定しがたいものがある。あくまで前作のいい要素をなぞり、一種のセルフ・パロディ的な発想で作り上げたもの、と解って鑑賞するのが無難だろう。そうすれば、本筋以外のところに色々な楽しみどころが見いだせるはず。
 或いは、本編の意義は、前作一本で消えるところだったジャン・レノによるニーマンス警部をシリーズ・キャラクターとして復活させた、その点に尽きるのかも知れない。ただ――個人的には、それならあの設定はそのままで残しておいて欲しかった。

 毎回記念兼映画感想執筆の助けとして作品のプログラムやプレスシートを購入してくるのが習いです。ミニシアター系の作品だとやたら凝りまくったデザインにした挙句、見辛かったり壊れやすかったりという問題が生じがちですが、こうしたロードショー作品については、中身のデザインは兎も角少なくとも造本はオーソドックスな体裁にするのがほとんどなので、今日も特に何も考えずに購入したのですが、買ってリュックに入れて、あちこち買い物してから帰宅して、改めて確認してみると。
 既に表紙の加工が端っこから剥がれかけていました。中でほんの少し曲がっていたようなのですが、その部分の外装に早くもムラが出来てます。ここ数年で三百近いプログラムの類を購入してきましたが、こんなにも速やかに壊れかかったものは初めてです。基本的に映画感想を書く際の資料としてしか使わないのでそんなことはありませんが、もし仮に一週間ほど、毎日熟読重ねたとしたら、次の週末には外装が完璧に剥がれているような気がします。
 これから映画を御覧になる方、もしプログラムを購入するのでしたら、まず状態を確認することをお薦めします。これはあんまりだー。

(2004/05/29)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る