cinema / 『黒の怨』

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黒の怨
原題:“DARKNESS FALLS” / 監督:ジョナサン・リーベスマン / 製作:ジョン・ヘゲマン、ジョン・ファサーノ、ウィリアム・ジェラック、ジェイソン・シューマン / 原作:ジョー・ハリス / 脚色:ジョン・ファサーノ、ジェームズ・ヴァンダービルト / 製作総指揮:デレク・ドーチー、ルー・アーコフ / 撮影監督:ダン・ラウストセン / 美術監督:ジョージ・リドル / 編集:スティーヴ・ミルコヴィッチ,A.C.E.、ティム・アルヴァーソン / クリーチャー・デザイン制作:スタン・ウィンストン・スタジオ / 音楽:ブライアン・タイラー / 出演:チェイニー・クレイ、エマ・コールフィールド、リー・コーミー、グラント・パイロ / 配給:Sony Pictures
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間25分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里
2003年12月06日日本公開
公式サイト : http://www.sonypictures.jp/darknessfalls/
シネマメディアージュにて初見(2003/12/06)

[粗筋]
 約150年前、港町ダークネス・フォールズに“歯の妖精”と呼ばれる老婆がいた。彼女――マチルダ・ディクソンは、町の子供が抜けた乳歯を持ってくると一枚の金貨と交換し、誰からも慕われる心優しい人物だったが、火災のために顔を奪われ、闇夜に磁器製の仮面を付けてでしか外出の出来ない体となって以来、世間の風当たりは一転した。ある日、ふたりの子供が行方をくらます事件が発生すると、町の人々はそれをマチルダの犯行と決めつけ、彼女の顔から仮面を剥ぎ、絞首刑に処した。翌日、行方不明だった子供達は無事町に戻り、人々はこの惨劇に口を噤んだという。以来、ダークネス・フォールズには、最後の乳歯が抜けた日の夜、訪れた“歯の妖精”を見た者は死ぬ、という伝説が巣くうようになった……
 ……そして、現代。
 マイケル・グリーン少年(リー・コーミー)はある日を境に、極度に“闇”を恐れるようになった。CTスキャンなどの精密検査を経ても器質的な異常は目撃されず、医師もただ夜驚症といった精神疾患の病名を並べて説明するしかない。マイケルを気遣う姉のケイトリン(エマ・コールフィールド)は別の想いを胸に秘めつつ、12年振りに所在を掴んだカイル・ウォルシュ(チェイニー・クレイ)に連絡を取って、救いを求める。カイルもまたかつて夜驚症と診断され、とある晩にただひとりの肉親である母が惨殺されたことを契機に里親に預けられたという経緯があったからだった。どうやって病を克服したの? というケイトリンの問いに、電話線の向こうのカイルは暗い声で応える――まだ、克服していない。彼は夜の訪れを恐れるあまりに、不夜城ラスベガスに居場所を求めたほどだった。
 助けにはならない、と言いながらも、かつて想いを寄せ合ったケイトリンからのSOSを無碍にすることはカイルには出来なかった。マイケルと面会したカイルは、僅かな会話でこの少年が自分と同じ境遇に追い込まれていることを悟る。カイルが言えるのは、検査や治療がなんの役にも立たず、暗闇から遠ざける以外にマイケルを守る術はない、ということだけだった。
 いい思い出のない町をすぐにでも離れたがったカイルだったが、幼馴染みのラリー(グラント・パイロ)に捕まって、夜の町に連れ出されてしまった。案の定、カイルの昔にまつわる噂を知っている酔漢に絡まれて、カイルはどうにかその場を逃れようとするが、カイルを狂人扱いする酔漢は夜の森まで彼を追い込んでくる。よもや、未だにあの“女”の影がカイルにまとわりついているとは知らずに……

[感想]
 スタン・ウィンストン・スタジオがクリーチャー・デザインを手がける、という記事を読んだ時点で内実に気づくべきだったような。
 和製ホラーの湿った恐怖を引き継いだ、という惹句からは正直、ほど遠い。冒頭、カイルの少年時代に起きた悲劇を綴った場面の「気配」の演出は確かにその雰囲気があるが、いわば本番である現在の、マイケル少年とカイルが出会って以降の出来事は寧ろ、同じホラーでも『13日の金曜日』とか『ジーパーズ・クリーパーズ』のような、ハリウッド映画の常套的なスタイルを踏襲している。あまりにパターン化していて、肝心のマチルダが登場する場面よりも、無関係な人とか猫とかが突然姿を現す箇所の方がよっぽど怖かったりする。
 怖くない原因として、“歯の妖精”という設定よりも“光を忌み嫌う”という性質のほうが特化しすぎて、それを巡る描写が冷静に客観的に眺めるとけっこー滑稽であることが挙げられる。なんでそこまで乳歯にこだわるのかがいまいち理解できないのもそうだが、わざわざ懐中電灯を大量に買い込んだり、暗いトンネルで非常照明の点るところから次の光源の射す位置へ懸命に移動したりといった描写が、一瞬でも冷静になるとかなり傍目に笑えるのがいけない。
 だが、恐怖を無理に求めようとしなければ、実は結構楽しめる作品でもある。かねてより高い評価を受けているスタン・ウィンストン・スタジオが制作を担当した“マチルダ”の外見もそうだが、視覚効果は全般によく出来ている。何より、音響効果が絶品なのだ。襲われている当事者の視点で表現する場面が幾つかあるのだが、まわりを蠢く怪しい気配と物音が、本当に劇場内にあるような心地がする。背後から呻き声が聴こえたときなど、観客の誰かが本当に呻いたのではないかと思って振り返ったほどだった。
 和製ホラー的な雰囲気は、岸田今日子のナレーションによるTVCMのほうがずっとよく出ている。故に、そういうものがお望みの方は、どうにか問題のCMを録画するなりしてリピート再生した方が楽しめます。本編そのものは、割り切って化物映画として鑑賞するか、その先端技術を駆使した怪奇現象の演出と、傑出した音響効果を堪能しましょう。そういう意味では、劇場で観るだけの価値はある。

 次は『黒の怨2 マチルダ婆ちゃんラスベガスへ』でお会いしましょう(大嘘……のはず)。

(2003/12/06)


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