cinema / 『ダーク・ウォーター』

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ダーク・ウォーター
原題:“Dark Water” / 原作:鈴木光司『仄暗い水の底から』(角川ホラー文庫・刊) / 監督:ウォルター・サレス / 脚本:ラファエル・イグレシアス / 製作:ビル・メカニック、ロイ・リー、ダグ・デイヴィソン / 製作総指揮:アシュリー・クレイマー / 撮影監督:アフォンソ・ベアト,A.S.C.,A.B.C. / プロダクション・デザイナー:テレーズ・デプレス / 編集:ダニエル・レゼンデ / 衣装デザイン:マイケル・ウィルキンソン / 音楽:アンジェロ・バダラメンティ / 日本版イメージソング:Crystal Kay『涙があふれても』(Epic Records) / 出演:ジェニファー・コネリー、アリエル・ゲイド、ジョン・C・ライリー、ティム・ロス、ピート・ポスルスウェイト、ダグレイ・スコット、パーラ・ヘイニー=ジャーディン、カムリン・マンハイム、デブラ・モンク / タッチストーン・ピクチャーズ提供 / パンデモニウム/ヴァーティゴ・エンタテインメント製作 / 配給:東宝東和
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間45分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2005年11月12日日本公開
公式サイト : http://darkwater.jp/
日比谷みゆき座にて初見(2005/12/01)

[粗筋]
 長雨の続くある日、ダリア・ウィリアムズ(ジェニファー・コネリー)は娘・セシリア(アリエル・ゲイド)と共に、ニューヨークに隣接するルーズベルト島に建つ中古マンションへと引っ越した。ダリアは別居から離婚へと至った夫・カイル(ダグレイ・スコット)とセシリアの親権をめぐって争っており、子育てに最適な環境と財政状態を整えるために、中心部からやや離れた土地を選んだのである。
 下見の時の印象は決して良くなかった。築三十年近いマンションは老朽化が著しく、管理も決して行き届いていないようで汚らしい。部屋の狭さも気に掛かったダリアは検討しなおそうかと考えていたところだったが、セシリアの薦めで借りることを決める。ルーズベルト島に着いた当初は薄汚れた印象の街や建物に不平を唱えていた娘は、下見の途中で屋上に迷い込んだあたりで急に気分を変えたらしい。屋上で拾ったハロー・キティのバッグをいちど管理人のヴェック(ピート・ポスルスウェイト)に預け、一週間経って誰も引き取りに来なかったら自分のものになる、という話に気を取られたわけでもないらしいけれど。
 転居早々、いきなりトラブルが発生した。寝室に決めた部屋の天井にあった妙な染みから、水が滴ってきたのである。管理人のヴェックに修理を頼むと「自分の仕事ではない」と言い、不動産会社のマレー(ジョン・C・ライリー)に相談すると「それはヴェックに頼んでほしい」と言う。責任の押し付け合いに翻弄されて、しばし放置するしかなかった。
 一方、カイルとの親権争いも微妙な段階に来ていた。夫が弁護士を頼んだため、対するダリアも弁護士を雇わねばならない状況に追い込まれる。しかし、どうにか放射線クリニックの原稿整理という安い仕事を見つけたばかりの自分に、ついてくれる弁護士がいるのだろうか? ルーズベルト島の学校に通い始めたセシリアだが、ダリアの意図に反してなかなか友達を作ろうとせず、教師のフィンクル(カムリン・マンハイム)の話によれば、どうやら“想像上の友達”と一緒に遊ぶ方を選んでいるらしい。このような状況で、向こうの弁護士に理詰めで責められれば、最後の希望である娘を奪われてしまうかも知れない……プレッシャーからか、ダリアは持病の偏頭痛を悪化させた。
 セシリアが父のもとに泊まっていた日のこと、ダリアは人の気配を追ううちに、自身の借りている9−Fの真上にあたる10−Fに辿り着く。鍵のかけられていない扉を開くと、部屋の中は一面水浸しになっていた。
 異常事態にようやくマレーもヴェックも重い腰を上げた。ヴィックは、マンションに住んでいる悪ガキふたりが忍び込み水道を開け放していったのだと断じ、天井を通る水道管の工事と補修を行う。だが、それで奇妙な出来事は収まらなかった……

[感想]
 スタッフ・キャスト一覧にも記した通り、本編は『リング』シリーズで知られる鈴木光司の短篇集『仄暗い水の底から』を原作としている――が、より正確に言えば、同作を膨らまして映像化した中田秀夫監督による同題映画のリメイクである。
 製作者がよほどこの日本の『仄暗い水の底から』に敬意を払ってくれたと見え、舞台も登場人物もすべてアメリカ・ニューヨークに置き換えられているが、原作の大まかな骨格と、底に流れる主題はまったく手を入れていない。冒頭、母親に待ちぼうけを食う幼い女の子の描写に始まり、朽ちかけうらぶれた印象のマンションの表現、母親と娘との絆の描き方など、『仄暗い〜』を彷彿とさせる描写が随所に認められる。
 一方で、そうした根っこの部分をきちんと押さえるために、日本版では不充分だった説明や感情表現を補い、或いは過剰な部分を削ぎ落とす工夫もなされているのに好感を抱く。たとえば、オリジナルではかなり早い段階から怪異の正体が判明しているため、何処からどういう格好で異様な出来事が起きるのか察しがついてしまう、という欠点があったが、本編では異様な出来事それ自体を恐怖として描くのではなく、主人公であるダリアを心理的に追い込む材料としてのほうに比重を置いて用いている。また、怪異の正体が判明していく過程にもちょっとした工夫が施されているため、不可解で脈絡のない出来事にも筋が通り、緊迫感を持続させる役を果たしている。
 作品の、決してあからさまではないけれど、皮膚にまとわりつくような悪意を醸成するのに、特に効果を齎しているのが、ほぼ全篇にわたって降り続く“雨”だ。マンションの破損した箇所から漏れ落ちる水滴を正当化し、行動を制約される主人公を精神的に追い込んでいく。
 主人公の設定についても、ちょっとした捻りを利かせている点に注目したい。彼女の過去にしても、娘が“空想上の友達”と戯れているとされることにしても、昨今のハリウッド映画では決して珍しいシチュエーションではないが、それを物語に絡めていく手管のさりげなさがいい。特に冒頭で描かれる場面の意味合いの違いと、中盤以降の物語への絡め方は、原作のプロットをよく咀嚼した上で解体し、より効果的に用いることを考慮していることが窺われる。ありふれた手でも、丁寧に処理すれば幾らでもその意味を深めることが出来る、というお手本であろう。少しずつ常軌を逸していくさまを見事に体現したジェニファー・コネリー渾身の演技にも賞賛を送りたい。終盤での、僅かに見開き焦点の微妙にずれた目の様子など、並のショッキング・ホラーでは醸し出せない、沁みてくるような狂気を感じさせる。
 しかし何より本編の優れているのは、結末に施した微妙なアレンジである。オリジナルに対して徹底した敬意を払う本編、クライマックスの流れも基本的には『仄暗い〜』のそれを踏襲しているが、状況を変えることでより効果的にし、心の動きに説得力を齎している。おぞましいほどの執念と無償の愛の深さとを同時に伝えるクライマックスの印象は、一筋縄では行かない。
 ラストシーンもオリジナルとは状況を違えているが、その意図は守り、また異様ながらも別種の深い印象を齎す。オリジナルの主題と展開とをよく消化し、ニューヨーク及びルーズベルト島に馴染むように細部をアレンジしながら、その主題をより強く観客の心に刻みつける演出に腐心した、極めて理想的なリメイクである。はっきり言って、わたしはオリジナルよりもこちらのほうをより高く評価する。

(2005/12/01)


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