cinema / 『デビルズ・バックボーン』

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デビルズ・バックボーン
英題:“The Devil's Backbone” / 監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ / 製作:ペドロ・アルモドヴァル / 製作総指揮:アグスティン・アルモドヴァル、ベルサ・ナヴァロ / プロダクション・ディレクター:エステル・ガルシア / 撮影:ギレルモ・ナヴァロ / 音楽:ハビエル・ナヴァレッテ / 編集:ルイス・デ・ラ・マドリード / 衣装デザイン:ホセ・ビーコ / メイク:ホルゲ・ヘルナンデス / 3D効果:テルソン / 出演:マリサ・パレデス、エドゥアルド・ノリエガ、フェデリコ・ルッピ、イレネ・ヴィセド、フェルナンド・ティエルヴ、イニーゴ・ガルセス / 提供:Asmik Ace / 宣伝:PHANTOM FILM / 配給:ザナドゥー
2001年スペイン作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:?
2004年08月28日日本公開
公式サイト : http://www.akuma-no-sebone.com/
池袋シネマサンシャインにて初見(2004/09/01)

[粗筋]
 1930年代末、内戦と第二次世界大戦の影に喘ぐスペイン。
 12歳の少年カルロス(フェルナンド・ティエルヴ)はある日、荒野にある孤児院に置き去りにされた。両親が亡くなっていることも知らないまま、カルロスは孤立した共同社会に投げ込まれる。
 初日からカルロスは不可解な体験をした。宛がわれていたベッドで横になっていると、誰かの呼ぶ声を聞いたように感じる。起きあがったカルロスは、水差しが自然と倒れ、濡れた床に足跡がついているのを見つけた。
 騒動に起きてきた子供達にけしかけられる格好で、カルロスは孤児たちのリーダー格ハイメ(イニーゴ・ガルセス)とともに水差しの水を汲みに厨房に向かう。まだ起きているらしい管理人ハチント(エドゥアルド・ノリエガ)と女教師コンチータ(イレネ・ヴィセド)に気づかれぬよう用心しながら、鎖で閉ざされた厨房に侵入したカルロスだが、部屋の奥から感じた気配に誘われるように、地下にある貯水池に足を踏み入れる。そこでふたたび聞こえた呼び声と、確実に存在する何者かの気配に、カルロスは遁走する……
 夜中わざわざ水を汲みに行ったのは、カルロスに弱音を吐かせようとしたハイメらの陰湿なイジメ行為だったけれど、カルロスは老教師のカザレス(フェデリコ・ルッピ)と院長のカルメン(マリサ・パレデス)に詰問されても、その夜の出来事にハイメたちが関わっていることは口にしなかった。老獪なカザレスの手管でけっきょく悟られてしまったけれど、カルロスのその姿勢はハイメを除く孤児たちの態度を軟化させる。
 あのときは恐怖に尻尾を巻いて逃げ帰ったけれど、どうしても気になったカルロスは時間を改めてふたたび地下の貯水池に近づく。すると、やって来たハイメたちに難癖をつけられ、もみ合いになった拍子にハイメが貯水池に転落してしまう。すぐさま飛び込んだカルロスがハイメを助けるが、騒動を聞きつけてやってきたハチントに激しく叱られる。俺が責任を問われるからこのことは黙っていろ、と念を押すハチントの態度に、カルロスはただならぬものを感じた。
 この一件を契機に、カルロスはどうやら完全に孤児院の子供達に受け入れられた。ハイメは相変わらず反抗的だったが、それでも必要以上に目の敵にすることはなくなった。そうしてカルロスは、自分が訪れる前に姿を消した、サンティという少年のことを知ることとなる……

[感想]
 粗筋が実に書きにくかった。あくまでメインはカルロス少年、という観点から彼の視点のみで綴ったが、実際は作品全体を老教師カザレスが語っているという形式だし、もうひとりのキーマンであるハチントや、ハイメの淡い心情を窺わせる描写も絡み、それらが随所で登場する。エピソードが一続きになっておらず、点綴されるような形なので、全体で語るのが難しいのだ。
 その構造が、本編からホラー映画本来の恐怖感を奪ってしまっているように感じる。基本に忠実ながらムードあふれる怪奇描写は独特の魅力を湛えているのだが、オーソドックスすぎてさほど恐ろしいとは感じられないし、現象の裏付けや方向性、制約といったもの(見たものに何らかの障りがあるとか、はじめから何かを伝えたがっているとかいったもの)が定まっていないので、その要求が見えないこと、或いはそこから逸脱するといった演出もされず、印象にも残りづらい。
 怪奇描写に用いられた視覚効果は独創的で面白い。ゾンビ映画の影響が見られる少年の幽霊の外観や、彼が現れ、姿を消すときの表現は類型がない。終盤ではまた新たな霊が出没するのだが、その登場を示唆する表現あたりは非常に巧い。
 また、ホラー映画である、という観点から離れると、一見バラバラに感じられる描写や設定が後半で静かに意味を持ち、終盤での展開に力を齎すプロットの完成度が高いことに気づくはずだ。たとえば、横暴なハチントの謎めいた行動の意味、そんなハチントとコンチータに向けるハイメの眼差しの理由、またカザレスの複雑な言動など、怪奇現象とは別のレベルで終盤の怒濤のような展開を支え、作品世界のおぞましさを増幅させる描写が随所に細々と鏤められている。ハチントの企みとそれを巡る出来事の顛末など、実に良く計算されており、結末に不自然なところがない。
 怪奇現象よりも、全体の構造でおぞましさをじわじわと醸成する種類の作品である。映画としては良質だが、描写個々の恐怖感をも重視するホラー映画としては物足りない、と言わざるを得ないのがちょっと残念。

(2004/09/02)


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