cinema / 『ディナーラッシュ』

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ディナーラッシュ
原題:dinnerrush / 監督:ボブ・ジラルディ / 脚本:リック・ショーネシー、ブライアン・カラタ / 製作:ルイス・ディジアイモ、パッティ・グリーニー / 撮影:ティム・アイヴス / 美術:アンドリュー・バーナード / 編集:アリソン・C・ジョンソン / 音楽:アレクサンダー・ラサレンコ / 出演:ダニー・アイエロ、エドアルド・アエリーニ、ヴィヴィアン・ウー、マイク・マッグローン、カーク・アセヴェド、サンドラ・バーンハード、ジョン・コルベット、ジェイミー・ハリス、サマー・フェニックス / アクセス・モーション・ピクチャーズ・グループ提供 / 配給:シネマパリジャン
2001年アメリカ作品 / 上映時間:1時間39分 / 字幕:石田泰子
2002年09月14日日本公開
2003年04月25日DVD日本版発売 [amazon]
2004年07月10日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.cinemaparisien.com/dinner_rush/
劇場にて初見(2002/10/26)

[粗筋]
 ニューヨーク、トライベッカ。イタリアン・レストラン《ジジーノ》はこの地で親子三代に亘って受け継がれてきた老舗である。クリスマスを2週間語に控えたある日、《ジジーノ》のオーナーであるルイス(ダニー・アイエロ)は長年の親友たちに、留学から帰った跡継・ウード(エドアルド・アエリーニ)との経営方針の食い違いと、25年来続けてきた賭けの胴元稼業が最近順調でないことへの悩みを打ち明けた。それから間もなく、先に辞去した友人のひとり、エンリコ(フランク・ボンジョルノ)は路地裏で二人組のギャングに撃ち殺される。直前までエンリコと一緒だった彼の孫娘ルーシーと娘のナタリー(ポリー・ドレイパー)に事情を告げに行くルイスの足取りは重かった。ナタリーは内心、祖父やルイスたちがダークサイドに属する仕事に手を染めている、という
 一方、ウードはウードで様々な問題に頭を悩ませていた。素朴な家庭料理としてのイタリア料理に固執するルイスに対し、ウードは“ヌーヴェル・キュイジーヌ”と銘打った革新的かつ批評家受けを狙った料理を中心にしたメニューを展開させ、著名な料理評論家であるジェニファー・フリーリー(サンドラ・バーンハード)とベッドを共にしたりと熱心な裏工作も行い、右肩上がりに店の業績を向上させているのだが、依然ルイスは彼を経営のパートナーとして認めようとせず、いちいち御注進に窺わねばならない。加えて女癖が悪いウードは、腕は立つが家庭的な食材を用いた料理を得意とすることでルイスの寵を受けるダンカン(カーク・アセヴェド)と、ウェイトレスのニコーレ(ヴィヴィアン・ウー)を挟んで三角関係にも陥っており、女関係のバランスにも苦慮する始末。
 そして更に問題を紛糾させ、危機的な状況に追い込んでいたのは、ダンカンのギャンブル癖。既にルイスにも少なからぬ借金を作っているダンカンだったが、思うように融通してくれないルイスに業を煮やし、最近はギャググループである“ブラック&ブルー”にも賭けを依頼し借金を膨らませていたのだ。
 そして、運命の夜がやって来た。ウードの戦略が功を奏しその夜も店は大盛況、多くの予約に加えて飛び込みの客も途切れず、厨房は戦争状態となっていた。ひねくれ者の美術評論家は来るわジェニファーは友人と共に来るわ飛び込みの金融マンは居座るわ、ウェイトレスのニコーレもマルティ(サマー・フェニックス)もてんやわんやの大忙し。そんな中でダンカンは一発逆転を目論見、“ブラック&ブルー”の胴元に借金と同額の賭けを依頼していた。しまいには“ブラック&ブルー”の使者でありエンリコを殺害した当人でもあるカーメン(マイク・マッグローン)と巨漢の義兄弟が来店し、同時にニューヨーク市警の刑事までが同席するという狂った様相を呈する《ジジーノ》――さて、シャッターを下ろすまで、店は持ち堪えることが出来るのだろうか?

[感想]
 粗筋書くのが大変なのですわ。
 プログラムを参考にどーにか書いてみたものの、実際はこんなに整然としていない――いや、本当にこれでもまとめた方なのだ。
 ほとんど説明らしい説明もなく、物語は淡々と、しかし非常に多くのカットを用いて進行する。冒頭10分程度はまだいい。本番であるその夜に突入すると、本編は群衆劇としての真価を発揮し始める。縦横に行き交う人々を次々と映し出し、どれが本筋なのか解らない。独特のウイットに富んだ会話や仕種になんとなく見入っているうちに、どんどん店の中が戦場のようになっていく。
 とは言えこれは欠点ではない。ニューヨークの人気料理店が盛況の晩にいったいどんな様相を呈するのか、その状況を生々しく体感できる。何の繋がりもない出来事がひとつひとつ重ねられることで、異様な活気を再現しているのだ。中盤も過ぎると、スター・シェフとして自ら厨房に立つウードの料理の芳香さえ漂ってくるように思える。
 多くの描写がそこにあるだけで終わり、顛末もそれほど捻ったものではない(とはいえ、この描き方の中では恐ろしく効果的だ)が、圧倒的な臨場感と、それこそイタリア料理のように深い余韻を残す幕引きはお見事。際立ったキャラクターたちの皮肉に満ちた遣り取りも愉しく、大仰ではない小粋な娯楽としてお薦めの一本。
 最大の欠点は、観賞後本物のイタリア料理にありつきたくなることだろうか。

 たぶんよほど熱心に映画情報をチェックしている人でもない限り知らないであろう(つうてもミニシアター系では大ヒットの部類なんだが)本編、私自身「ニューヨークのイタリアン・レストランを舞台に、世代交代の一夜を描いた群衆劇」ぐらいの予備知識しか持たずに劇場を訪れた。結果期待を上回る面白さだったので問題は全くなかったのだが、考えようによってはこういう冒険こそ映画道楽の醍醐味かも知れず。
 で、実際のところ本編を作ったのはどういう人々だったのかと言うと。俳優陣も多く名前を知らない人ばかりだったが(ちなみにサマー・フェニックスは故リバー・フェニックス、『サイン』のホアキン・フェニックスらの妹で、インディペンデント系を中心に活躍)、いずれもテレビや各種有名作の脇を固める形での出演が多い役者ばかりで、若手はブレイクの予感がある人々中心となっている。
 だが、監督のボブ・ジラルディは結構大物だったらしい。長編映画こそ本編を含めても2作しかない(しかも前作は14年前)、そういう意味では新人同然だが、実はマイケル・ジャクソンの“ビート・イット”をはじめ、ミュージック・クリップや各種CMで高い評価を得ている映像作家なのだった。言われてみれば音楽の使い方や本筋と直接繋がりのないカットの多様などなど、それらしい手癖が随所に見られた。
 更にこの監督は自ら11店ものレストランを経営しており、本編の舞台となった《ジジーノ》も彼が経営する店のひとつであり、実際全く同じ場所に存在し、ロケーションも実際の店内で行われている。同時に料理店情報の提供や、料理関係者のコミュニティとしても機能するウェブサイトStarChefs.comを運営するなど、料理業界の発展・向上にも貢献している人物でもある――なるほど、この監督にしか作り得ない作品であったわけだ。

(2002/10/26・2004/06/19追記)


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