/ 『ドメスティック・フィアー』
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『light as a feather』トップページに戻るドメスティック・フィアー
原題:“DOMESTIC DISTURBANCE” / 監督:ハロルド・ベッカー / 脚本:ルイス・コリック / 製作:ドナルド・デ・ライン、ジョナサン・D・クレイン / 撮影:マイケル・セレシン / 音楽:マーク・マンシーナ / 出演:ジョン・トラヴォルタ、ヴィンス・ヴォーン、テリー・ポロ、マシュー・オリアリー、スーザン・フロイド、スティーヴ・ブシェミ / 配給:UIP
2001年アメリカ作品 / 上映時間:1時間29分 / 字幕:古田由紀子
2002年04月06日日本公開
2002年10月25日DVD日本版発売 [amazon]
2003年09月05日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.uipjapan.com/domesticfear/
日比谷映画にて初見(2002/04/25)[粗筋]
ダニー(マシュー・オリアリー)は問題児だった。母親にも学校にも警察にも嘘をつき、言動を信じる者はいない――ただひとり、離婚によってダニーと別の家に暮らしている、船大工の父・フランク(ジョン・トラヴォルタ)を除いては。毎週土曜日の面会日、セイリングに連れて行ってもらうことを心から楽しみにしていた。
そして、少年にとって目下最大の悩みは、母親スーザン(テリー・ポロ)の再婚話である。相手は2年前に町にやって来て、瞬く間に町の顔とまで言われるようになった資産家のリック・バーンズ(ヴィンス・ヴォーン)――だが世評とは裏腹に、いまいち底知れない雰囲気の彼にダニーは心を開けない。しかし、スーザンの願いで二人を打ち解けさせようとすフランクに免じて、ダニーは母と新しい父の結婚式に参列する。
リックはフランクの助言に基づいてダニーにグローブを贈り、休日にキャッチボールに興じるが、リックの態度はどこか威圧的だった。家庭内にぎこちなさの漂うある日、スーザンはリックとの子を身籠もったという一報を持って帰宅する。どうしようもない不安に襲われたダニーは父に電話して、「話し合いましょう」とダニーを部屋に押し込んだ母の目を盗み、リックの車に隠れる。ただ、父の家の近くまで便乗するだけのつもりだった。
リックの車は郊外のモーテルの前に停まり、一人の男を乗せた。結婚式に突如現れ、リックはフランクに対して「仕事相手」と説明し、当人は「学生時代の友人」と語ったレイ(スティーヴ・ブシェミ)という人物だが、ダニーはそのことを知らない。二人は何やら「隠した大金」について話し合い、それを取りに煉瓦工場へ向かっているようだった――だが、レイが一瞬隙を見せたそのとき、リックは彼にナイフを突き立てた。息絶えたレイをリックは工場の釜に運び、荷物ごと焼き払ってしまう。
リックが車から注意を逸らしているあいだにダニーはその場から逃れ、フランクのもとに身を寄せて、一部始終を打ち明けた。だが、釜の火力では科学捜査研究所の力を借りないことには犯罪の痕跡を確認することはできない。ましてダニーは札付きの問題児であり、警察もスーザンも少年の言葉を鵜呑みにしてはくれない。――ただ一人、フランクを除いて。
得体の知れない殺人犯と一つ屋根の下に暮らす羽目になった息子を救うため、フランクは奔走する――[感想]
粗筋はダニー視点から描いたが、基本はトラヴォルタ演じるフランクの視点である。映像作品特有の頻繁な視点移動をそのまま反映するとわやになるので、一番分かり易いところから描かせていただいた御了承を。
しかし、いろいろと問題の多い作品である。題名からしても、掲げられたテーマにしても、近年社会問題と化している“ドメスティック・バイオレンス”を想起させるし、プログラムでもこの問題との関連を謳っているが、本編で語られている事件をこの問題と同一視することはできない。リックの犯行には彼の過去が絡んでいるし、確かにダニーとの関係性には家庭内暴力を予感させるような傾向が随所に窺えるが、即直結するものではないし現にリックはクライマックス付近までダニーに直接の危害を加えてはいない。それ以前はダニーの心の支えを盾にとって、心理的な恐怖で少年を支配することに努めている。少年にとって危険な状況に変わりはないが、“ドメスティック・バイオレンス”という表現をそのまま適用できるような物語ではないのだ。
ただ、この辺は当初から家庭内暴力をテーマと謳いながら充分に達成できなかった制作者や、そういう出来を無視してまんま広報に利用している宣伝担当者の失策であって、作品そのものを評価する上では本質的に無視して構わないと思う。単純に“身近に犯罪者がいる”という恐怖を描いたサスペンスとして捉えれば、1時間半足らずという短めの尺でテンポよく描ききった佳作として評価することも可能だろう。トラヴォルタはじめ役者陣がまたその役割を着実に演じきっているために、少なくとも飽きることはない。やたらあとを引く重々しい作品ではなく、2時間程度の空き時間を潰したい、という考えであれば間違いなく満足できる仕上がりである。
必見とは言えない。一度観れば充分だと思う。トラヴォルタらの円熟した演技を何度も堪能したい向き、或いはマシュー・オリアリーという今後の活躍に期待できる子役のフィルモグラフィーを押さえておきたい、という方のみ気に懸けていればいい作品だろう――悪い作品ではないんだけど、ね。(2002/04/25・2004/06/22追記)