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『light as a feather』トップページに戻るコーリング
原題:“Dragonfly” / 監督:トム・シャドヤック / 原作:ブランドン・キャンプ、マイク・トンプソン / 脚本:デヴィッド・セルツァー、ブランドン・キャンプ、マイク・トンプソン / 製作:マーク・ジョンソン、トム・シャドヤック、ロジャー・バーンバウム、ゲイリー・バーバー / 製作総指揮:ジェームズ・D・ブルベイカー、マイケル・ボスティック / 撮影監督:ディーン・セムラー、ACS / 美術監督:リンダ・デセンナ / 編集:ドン・ジマーマン、ACE / 視覚効果監修:ジョン・ファーハット / 衣装デザイン:ジュディ・ラスキン・ハウエル / 音楽:ジョン・デブニー / 音楽監修:ジェフ・カーソン / 出演:ケヴィン・コスナー、スザンナ・トンプソン、ジョー・モートン、ロン・リフキン、キャシー・ベイツ、ロバート・ベイリーJr、ジェイコブ・スミス、リンダ・ハント、ジェイコブ・ヴァーガス / 配給:東宝東和
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間45分 / 字幕:柴田京子
2003年05月31日日本公開
公式サイト : http://calling.eigafan.com/
ニュー東宝シネマにて初見(2003/06/17)[粗筋]
ベネズエラ・ボリバル共和国に銃声が鳴り響いたとき、エミリー・ダロウ(スザンナ・トンプソン)は赤十字のボランティア医師団の一員として、ヤノアマ族の医療支援活動を行っていた。アメリカにいる夫のジョー(ケヴィン・コスナー)と豪雨の中に電話で話した直後、彼女と避難民を乗せたバスは地滑りのために川に転落、遺体の一部が回収されないまま、全員死亡という判断が下された。
妻の屍体と逢うことも出来ず、失意のまま帰国したジョーは、何もかも捨てるようにERの仕事に没頭した。が、自殺未遂の少女の処置を別の医師に任せ、危篤状態となった妊婦のお腹から強制的に胎児を採り上げるなど、手早いが乱暴な措置が多くなり、傍目にも神経を尖らせすぎている。見かねた上司のキャンベル(ジョー・モートン)は休暇を取るように薦めるが、ジョーは聞く耳を持たない。心配して飲みに誘ってくれた友人たちには感謝しながらも、早々に席を立って自宅に戻っていった。
妻の記憶を弄びながら眠れぬ夜を過ごしていたジョーは、奇妙な物音に気づいて起き上がる。その正体は、サイドテーブルに置いてあった、エミリーが自分の象徴として慈しんできたトンボをあしらった円形の文鎮だった。テーブルから落ちて床に転がる文鎮を見て、ジョーは奇妙な感覚に見舞われる。
翌日、改めてキャンベルから休暇命令を出されるが、ジョーはそれを固辞して小児ガン病棟の見舞いに訪れる。ボランティアとして現地に向かう前、留守にする自分の代わりに子供達の様子を見てやって欲しい、と頼まれていたことを今更ながら思い出したのだ。だが、重病を患った子供達の出入りは激しく、退院した子も多ければ、死亡した子も稀ではない。壁に貼られた妻の写真に喪失感を新たにするジョーに、ガラス窓越しに手を振る子供の姿があった。
相変わらず体力の限界を無視して仕事を続けていたジョーは、疲れのせいか病院の一画で書類に目を通しているうちに寝入ってしまった。そんな彼を目醒めさせたのは――他でもない、妻の声。驚き立ち上がってあたりを見回すと、緊急外来の窓口から担架に乗せられた男の子が入ってくる。咄嗟に集中治療室まで追いかけていったジョーだが、男の子の心臓は完全に停止しており、電気ショック治療にも反応を示さない。処置の継続を諦めた医師たちが離れた隙にジョーがその少年の顔を覗き込むと――本当に突然に、少年は息を吹き返した。慌てて処置を再開した医師たちに邪魔者扱いされ追い出されたジョーに、看護婦が話しかける。明日になったら、たっぷりと臨死体験の話を聞かされますよ――
翌日、問題の少年を見舞ってみると、点滴やモニターのケーブル類などを体に取り付けられながらも彼は元気そうだった。ジョーが名乗ると、少年は驚いた顔で、「エミリーのジョー……?」と聞き返してくる。少年は死の淵でエミリーに会い、何かを言付かったというのだ……
繰り返される、エミリーの意志を匂わせるようなメッセージの数々。果たしてそれは本当に死んだ彼女の言葉なのか、もしそうなら、一体妻はジョーに何を伝えようとしているのか……?[感想]
昔はケヴィン・コスナーのファンでした。まだ字幕つきの映画というものに抵抗を覚えていた頃、劇場に連れて行かれて観た『フィールド・オブ・ドリームス』に感銘を受けて、以来他の洋画まで観るつもりにこそならないまでも、コスナー主演作品はなるべく観に行くように努力していました。元々大した映画熱でもなく、『ウォーターワールド』の撮影が延び延びになった頃から情熱は薄れ、映画鑑賞が毎週の習いになってしまった昨今は出演作品が減ったこともあってすっかりご無沙汰となっておりました。
が、そんな中で日本公開の情報を二年くらい前から(本当)掴んでいたのが本編です。いい機会だから久し振りにスクリーンで拝見しよう、と待ち構えていたのに、本国での業績があんまり震わなかったり日本でも色々あったりで、完成しながらもなかなか公開が決定せずやきもきしていたところ、ようやくこの五月末に公開。これで観られるー、と安心していたら僅か三週間で上映終了の運びとなり、慌てて鑑賞しに行きました。この紆余曲折を経て期待などどこへやら、予備知識なども満足に仕入れないままの鑑賞だったのですが。
案外、それがよかったのかも知れない。思いのほか面白く、快い秀作と感じた。
ホラーを標榜するには、恐怖感の演出はいまいち振るわない。音楽で予め気配を感じさせているうえに、実際の異様な出来事が予想の範囲内なので、びっくりすることはあっても本気で怖い、と思うような場面は少なかった。演出そのものもシンプルで、特に際立った印象もない。
が、そのシンプルな演出が、ドラマ部分には非常に合っていて、心地よい。超自然の恐怖といったものよりも、いまいち判然としない妻の死に戦き心のバランスを失っていく男の姿と、彼の前に立て続けに現れるメッセージの数々をスリリングに、謎めいた筆遣いで描く方に重点が置かれているため、ホラーやスーパーナチュラルなどといったものをあまり意識せずに物語に没頭できるのだ。
出来事や謎の提示の仕方も巧い。流れがすっきりしているので、物語を把握しやすくなっている。観ながらそれぞれのメッセージの意味を観客のほうでも検証しているうちに、巧いタイミングで新しい事実や展開が提示されるので、飽きが来ることもない。
何より、ラストが秀逸である。あまりに超自然を信奉しすぎるような結末なら辟易していたところだが、それまでの伏線を見事に活かした、綺麗な着地を披露してみせた。敢えて謎や不可解な点を多く残していることから否定的な見解を示す向きもあるだろうが、作品の方向性からすれば間違った処理ではないだろう、と私は思う。
怪奇表現でも感動の演出でも一切奇を衒わず、オーソドックスな手法に終始しているため、全体に地味な印象を与えるのがやや勿体ないが、超自然を扱ったドラマとして堅実な佳作に仕上がっている。
丁寧な伏線による骨組みを、やはり古風だが淡々とした味わいのある演技で支えたケヴィン・コスナーもいい。久々に、彼の良さを見せてもらった気分である――それだけに、三週間で終わってしまうのはどーにも勿体ない。ケヴィン・コスナー以外、主要な登場人物は事実上奥さんひとり、という内容のため、言及する余裕はなかったのだが、実は脇が結構贅沢である。何せ、相談相手となる隣人役であの『ミザリー』ことキャシー・ベイツが出ているし(普通すぎて逆に驚いた)、嫌味な上司役のジョー・モートンはデンゼル・ワシントンらの登場以前から多くの映画・舞台に出演した渋めの黒人俳優だし、終盤役名もないパイロット兼案内役として登場するジェイコブ・ヴァーガスなどジェニファー・ロペス相手に主演した経歴の持ち主だ。いずれも目立ちすぎることなく、コスナーの引き立て役に徹した仕事ぷりがいい。
(2003/06/18)