/ 『エターナル・サンシャイン』
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『light as a feather』トップページに戻るエターナル・サンシャイン
原題:“Eternal Sunshine of the Spotless Mind” / 監督:ミシェル・ゴンドリー / 原案:チャーリー・カウフマン、ミシェル・ゴンドリー、ピエール・ビスマス / 脚本・製作総指揮:チャーリー・カウフマン / 製作:スティーヴ・ゴリン、アンソニー・ブレグマン / 製作総指揮:デヴィッド・ブシェル、グレン・ウィリアムソン、ジョージス・ベルマン / 撮影:エレン・クラス,ASC / 美術:ダン・リー / 編集:ヴァルディス・オスカードゥティル / 衣装:メリッサ・トス / 音楽:ジョン・ブライオン / 出演:ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、イライジャ・ウッド、マーク・ラファロ、キルスティン・ダンスト、トム・ウィルキンソン、ジェーン・アダムス、デイヴィッド・クロス / 製作 / 配給:GAGA-HUMAX
2004年アメリカ作品 / 上映時間:1時間47分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里
2005年03月19日日本公開
公式サイト : http://www.eternalsunshine.jp/
丸の内ピカデリー2にて初見(2005/03/19)[粗筋]
……その朝、ジョエル(ジム・キャリー)は奇妙な不快感を覚えながら目醒めた。駅までの移動に使っている車には覚えのない傷がついていて、苛立ちは頂点に達する。だが、ホームまで辿り着いたところで突如出勤するのを止めて反対方向への電車に飛び乗ったのは、苛立ちとは直接関係のない衝動だったかも知れない。終点モントーク駅で下車して、まだ春には遠い海辺を散歩する。
途上、自分と同じような道を辿る女性がいた。こんな昼日中に辺鄙な場所を彷徨いている者同士の親近感でも湧いたのか、彼女は帰りの車中で気さくに話しかけてきた。彼女はクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)と名乗った――実はジョエルが良く訪れる書店で働いていたらしい。
駅を出たあと、ジョエルは彼女を車で家まで送っていった。不思議なほど寛いだ気分でいたふたりは意気投合、翌日、凍った湖へと一緒に赴いて、星空を見上げて、一夜を共に過ごした。こんなに幸せな心地を味わったのは、一生で初めてかも知れない――
※ ※ ※
バレンタインを間近に控えたある日、ジョエルは衝撃的な場面を目にした。喧嘩別れしたあと気不味いままでいたクレメンタインに謝るために彼女の働く書店を訪れると、クレメンタインはまるで見知らぬ人と話すような対応をする。更には、横からやって来た男を“ベイビー”と呼んで、人目も憚らずに何度もキスをした。絶望に見舞われて、ジョエルはその場をあとにする。
共通の友人夫婦の話で事情を知った。クレメンタインはジョエルと喧嘩別れしたあと、衝動的にラクーナ社という会社を訪れていた。そこは、思い出したくもないような哀しく絶望的な記憶を機械的に消してくれるところ――クレメンタインはそこでジョエルに関する記憶をすべて抹消してしまったのだ。
納得できずにラクーナ社を訪れたジョエルは、やがて意趣返しの決意をする。自分も、クレメンタインに関する記憶を消してもらおう、と。施術はすべての準備を終え、彼が自宅で眠りに就いたあと行われることになった。眠りに入ったジョエルの枕元にはラクーナ社のスタッフであるスタン(マーク・ラファロ)とパトリック(イライジャ・ウッド)、そして遅れてメアリー(キルスティン・ダンスト)が駆けつけた――
※ ※ ※
付き合いはじめて月日の経ったふたりは、ありがちな倦怠期のいちばん酷い下り坂にいた。お互いの悪い点が目に付き、いちいち罵りあってしまう。思い出すのも辛い記憶が、やがて霞の向こう側に消えていく。一枚一枚と、スケッチブックを破り捨てていくように。
けれど、同時にジョエルは思い出していた――忘れるには惜しいような、宝石のような記憶も沢山残されていたことに。だが、それは取り戻そうとした瞬間にふい、と姿を消してしまう。この記憶だけは残してくれ、やめてくれもう沢山だ、と叫ぼうとしても、横たわる彼の傍らで自分勝手に騒いでいる連中には届かない。想い出のなかのクレメンタインはちょっと焦れったそうに提案する――目醒めてみれば?
同じころ、メアリーが異変に気づいた。しばらくのあいだだが、眠っているはずのジョエルが目を開いたのである。加えて、記憶のどこに消去するべきポイントがあるのかを記録したアンカーが役に立たなくなっており、作業が進まない。スタンは意固地に独力で解決する、と言い張ったが、遂に根負けしてボスであり記憶消去技術の開発者でもあるハワード博士(トム・ウィルキンソン)を呼び出す。
ハワードはあっさりと処置を完了させたが、ジョエルは諦めなかった。自分の記憶のなかにいるクレメンタインを守るために、彼女もろとも過去の記憶――クレメンタインと巡りあう以前の想い出に潜りこんで抵抗を試みる……[感想]
書き始める前は「まーた粗筋を作るのが厄介な……」と思っていたのだが、いざキーボードを打ち始めてみたらそうでもない。取っかかりが多いので、書かない方がいいポイントを避けても結構な分量になってしまう。寧ろどこで止めたらいいのかに迷ったくらいだ。
それはつまり、想像力を刺激するポイントがひたすらふんだんにある作品である、という証明でもあると思う。もともと本編の脚本家チャーリー・カウフマンは時間軸を縦横無尽に動き回るアクの強い作風が特徴なのだが、本編では記憶を消す過程を描く、という一風変わった観点からの描写が大半を占めるため、入り組み方が更にただごとではなくなる。そのうえ、記憶消去作業中に自分の周辺で起きている騒動も一部入力され、なおかつ過去の出来事を辿りながら“別れ”という現在の約束づけられた状態を知っている主人公の心理が不意に絡んでくるので更にややこしい。
が、実際に鑑賞すると、こうやって説明されたほどに小難しくは感じないはずだ。モノローグや途中経過を敢えて端折っているところが多いので、いささか晦渋に感じはするだろうが、最小限の状況描写でいま過去のどのあたりにいるのかはだいたい解る。
また、観ているうちに描写されているのがどの時点であろうとあまり関係なくなってくるはずだ。点綴される記憶の痛ましさと切なさ、折々に聞こえる何気ない会話のウイットと含意の豊かさ、それらを表現する映像の一風変わったムードが実に魅力的なのである。たとえば、口論になったクレメンタインから目を逸らしたジョエルの横顔越しに彼女を含む背景に靄がかかっていくさま。ベッドでじゃれ合っていたはずが、いちどシーツの下に隠れたかと思うと次の瞬間、なかにはジョエル一人きりになっている。想い出の背景にいる人物が次々と消えていくなかを懸命にクレメンタインの手を取って逃げていくシーン……などなど、記憶が消されていく過程を表現するシークエンスは切なくも作り手の遊び心が大いに反映されて見応えのある場面が無数にある。そうした表現上の遊びを用いない場面であっても、ジョエルとクレメンタインの何気ない触れ合いや、消されていく記憶を巡る会話など、いちいちが秀逸なのである。
本編の優れているのは、そうした細かな描写がチャーリー・カウフマン独特の時間軸を輻輳させる構成と相俟って、終盤に思いもかけない形で活きてくる点である。但し、かなり注意深く鑑賞していれば、その企みに気づくことは難しくない。かなり早いうちに違和感は覚えるはずだし、けっこう大胆に伏線を張っている。だが、この構成を用いることで、本編のテーマや個々の描写がより深みを増しているのも事実なのだ。想い出を実際に辿りながら消去していく、という手続はその記憶に付随する感情を呼び起こし、否応なしに現在の境遇及び想いと対比させられる。結果として、もともとワンシーンごとにあった情感がより深く、切なく強調されていく。と同時に、恋愛というものの不快な現実をも常に意識させられるのだ。凡庸な描写を時間軸に添って辿っていくだけの恋愛物語では、ここまで痛烈に胸の奥を衝かれるような想いをすることなどない。
そうしてジョエルとクレメンタインの恋の遍歴を辿ったあと、現実でもういちど描かれる、恋というものの生々しい側面。それを踏まえたうえで出される解答の切なくも潔いことといったら。カウフマンはインタビューに答えて、これがハッピーエンドかどうかは観客の判断に委ねるしかない、と言っている。実際、物語のあとに待ち受けているのは悲痛な日々なのかも知れない、と感じさせる。だが、きっちりと現実を見据えたうえで出した答は、それ自体胸を打つ。ひねくれ者のカウフマンと、その脚本に遊び心いっぱいで応えたミシェル・ゴンドリー監督という組み合わせだからこそ出来たラヴストーリーの結末として、これ以上に相応しいものはあるまい。
物語を支える俳優陣も素晴らしかった。特に気を吐いたのは、役者としての個性に相応しくカメレオンのように髪の色も表情も目まぐるしく変わる、エキセントリックで捉えどころのないキャラクター――しかも、ジョエルの記憶のなかでその時点にそぐわない台詞を吐く、という難しい状況での演技を迫られながらも完璧にこなしたケイト・ウィンスレットであることは間違いない(実際、俳優として各賞でノミネートされた数はジム・キャリーよりも多かった)が、従来とは異なる地味で目立つところがなく恋人からも“退屈”と非難されるような、しかし内面には人並み以上の繊細さを孕んだキャラクターを好演したジム・キャリーも、またアクの強いラクーナ社の面々を演じたイライジャ・ウッドらもそれぞれに印象深かった。
加えて、映像作家としてのキャリアの原点が音楽のPVにある監督らしく、BGMとの調和も見事に取れている。劇中では使用されていないE.L.O.による楽曲『Mr. Blue Sky』を用いた予告編も素晴らしかったが、本編では何気ないシーンでの音楽の使い方が実に巧みだった。何よりラストシーン、白く溶けていく映像に被さるBeckの『Everybody's Gotta Learn Something』の余韻嫋々たる美しさは、思わず見蕩れてしまうほどだ。
展開はスピーディで知的、随所で遊び心を忘れることなく、しかし場面のひとつひとつは情感豊かで、ラストシーンは現実を見据えながらも静かな感動を呼び起こす。強いて欠点を上げるなら「凝りすぎ」ということだが、だからこそただの傑作ではなく、“愛すべき傑作”の域にまで到達しているのだろう。事前情報から内心自分でも期待しすぎているのでは、と危惧していたが、まったくの杞憂でした。まだ四分の一しか経過していませんが、間違いなく今年のベスト・ムービー候補。題名はアレキサンダー・ポープの詩の一節、「真の幸福は罪なき者に宿る」というくだりの原文から取られている。作中でも引用されるフレーズだが、当人はあっさりと「警句事典で知った」と言ってのける。その細かなユーモアとのバランスの保ち方も実に巧い作品なのです。
(2005/03/19)