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EXIT
監督・オリジナル脚本:オリヴィエ・メガトン / 提供:リュック・ベッソン / 製作:エマニュエル・プレヴォスト / オリジナル音楽:ニコラス・ビキアーロ / 出演:パトリック・フォンタナ、フェオドール・アトキン、クロチルド・クロウ、マニュエル・プラン、セルジュ・ブリュメンタル / 配給:K2エンタテインメント
2000年フランス作品 / 上映時間:1時間52分 / 字幕:寺尾次郎
2002年04月27日日本公開
2002年06月21日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.cinemart.co.jp/exit
お台場シネマメディアージュにて初見(2002/05/05)

[粗筋]
 スタン(パトリック・フォンタナ)の苦しみは一体いつから始まったものなのか? 不遇の幼少時代のあと、被害者の舌を切り落とすという猟奇連続殺人の容疑者と目され、逮捕されたあと一時期精神病院に収容された。証拠不充分のために6年を経て釈放されるが、まるで合わせたように被害者の舌を切り取る連続殺人が再び発生した。担当の精神科医オルベック(フェオドール・アトキン)はスタンの無実を確信していると言い、判事に紹介されたモルグで知り合ったレオン(セルジュ・ブリュメンタル)は、お前のようなお人好しにあんな惨い殺しは出来ない、と諭す。しかし、スタンの内側から男(マニュエル・プラン)は叫び続けていた――お前が悪い、全部お前のしてきたことなんだ、スタン。
 自らの存在証明にさえ苦しみながら、スタンは自らの部屋に殺人に繋がる写真や物品をビニールに収め飾り付ける。――果たして、彼は本当に連続殺人犯なのだろうか……?

[感想]
 ――うーん、どうしたもんかな。
 敢えて今回は否から挙げておこう。兎に角、プロットがなっていない。着眼は終盤に発覚するある事実にあるのだが、それ以前の展開が結末に直結していない。それどころか、一個一個の出来事が最後までばらばらのままで、その所為で肝心の着想もインパクト不足に終わっているのだ。各場面で提示されているシチュエーションや台詞は整っており、思わせぶりでそれなりに牽引力はあるのに、いちいちそれを細切れにしたまま放置してしまったために、結局イメージだけは拡大するものの「知的ゲーム」を演出したはずの結末だけが浮かび上がってしまう。
 細切れにしてしまったために、特に一場面ごとに格別な進展のない前半が間延びしてしまっている。後半はむしろ無駄がなく、一気呵成にクライマックスに突入していくためスピード感はあるが、前半とのコントラストが激しすぎてただの急ぎ足に見えてしまうのもいけない。語られる心理学・精神医学の知識は(正確さはさておき)興味深いものがあり、狙いも悪くないだけに、兎に角プロットの杜撰さが勿体ないのだ。
 何より、ヴィジュアルイメージの鮮烈さは素晴らしい。終始思わせぶりなカメラワーク、素材そのものにも意欲を感じる。しかし、だからと言って作品が監督の狙うような「観客を作品に入りこませるような」「ゲーム感覚」の物語になったとは正直思えない。恐らくはかなりの高所にあるはずのクリエイターの目標にとって道程たることをはじめから宿命づけられてしまった、そういう意味では不幸な作品である。ただただ勿体ないと言うばかり。恐らくフランスエンタテインメント映画を支える才能の一人となるだろうだけに、ヴィジュアル面の洗練ぶりに賭けてチェックしてみる価値はあると思うのだけど。

(2002/05/06・2004/06/22追記)


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