/ 『エミリー・ローズ』
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『light as a feather』トップページに戻るエミリー・ローズ
原題:“The Exorcism of Emily Rose” / 監督:スコット・デリクソン / 脚本:スコット・デリクソン、ポール・ハリス・ボードマン / 製作:ポール・ハリス・ボードマン、トム・ローゼンバーグ、ゲイリー・ルチェッシ、トリップ・ヴィンソン、ボー・フリン / 製作総指揮:アンドレ・ラマル、ケリー・マッケイ、デヴィッド・マックイルヴェイン、ジュリー・ヨーン / 撮影監督:トム・スターン / 美術監督:デヴィッド・ブリスビン / 編集:ジェフ・ベタンコード / 衣装デザイナー:ティシュ・モナガン / 音楽:クリストファー・ヤング / 出演:ローラ・リニー、トム・ウィルキンソン、キャンベル・スコット、コルム・フィオーレ、ジェニファー・カーペンター、メアリー・ベス・ハート、ヘンリー・ツェーニー、ショーレ・アグダシュルー、ジョシュア・クローズ、ケネス・ウェルシュ、ダンカン・フレイザー、JRボーン / スクリーン・ジェムス提供 / レイクショア・エンタテインメント&ファーム・フィルムズ製作 / 配給:Sony Pictures Entertainment
2005年アメリカ作品 / 上映時間:2時間 / 日本語字幕:伊原奈津子
2006年03月11日日本公開
公式サイト : http://www.sonypictures.jp/movies/theexorcismofemilyrose/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2006/03/11)[粗筋]
その裁判は、はじめから波乱含みであった。
被告はリチャード・ムーア神父(トム・ウィルキンソン)。エミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)という少女を、“悪魔祓い”という行為の過程で死に至らしめたとして、過失致死罪に問われたのである。儀式に至る詳細を明かされることでとばっちりが上にまで及ぶことを望まない教会側と、極めて微妙な事情が存在する裁判の難しさを察知する判事らの懸念を受けて、司法取引による決着が提案されたが、ムーア神父は法廷での証言を望んで提案を固辞する。
彼の説得という役割も含めて弁護を任されたのが、さきごろ死刑確定と言われた人物を無罪放免に導いた辣腕弁護士エリン・ブルナー(ローラ・リニー)である。信仰的には不可知論者に近いエリンは“悪魔祓い”という行為自体に疑念を抱きながら、従来通り依頼人の利益を守るため、追々神父を納得させる段取りのひとつとして、取引を断り裁判に臨んだ。
そして、類を見ない事件の詳細が、少しずつ法廷の場で語られていった。
エミリーは繊細なところがあるが、極めて真面目で勉強熱心な、善良な少女だった。それが突如、恐慌を来したのは、大学の寮でのことだった。深夜3時、なにか焦げ臭い匂いを感じて目醒めた彼女は、突然扉がひとりでに開閉する、机のうえからものが滑り落ちる、シーツが見えぬ手で引きずり下ろされる、そしてベッドがエミリーを呑みこまんとするかのように凹み、エミリー自身も激しい痙攣に襲われる、という立て続けの怪奇現象に見舞われる。
実家に救いを求めて電話をかけ、翌日にエミリーは大学に併設する病院に入れられた。検査の結果、薬物を使用した痕跡がないことから、神経系の疾患に精神障害を併発していた、という風に関係者は推測した。治療に携わった大学病院のミュラー(ケネス・ウェルシュ)や、精神障害に関する著書や論文を発表している専門家ブリッグズ(ヘンリー・ツェーニー)は、エミリーの死の原因が、彼女の異変を病気に起因するものではないと判断し、処方されていた薬ガンバトロールの服用を止めさせたムーア神父にあると指摘する。
最後までエミリーに付き添った恋人ジェイソン(ジョシュア・クローズ)の意見は異なっていた。薬を処方されても、エミリーは改善するどころか悪化の一途を辿ったという。大学の教室でも帰り道でも、すれ違う人の顔に悪魔の面影を見ては怯え、飛び込んだ教会で強烈な痙攣の発作を起こして倒れた彼女を寮に連れ戻し解放したジェイソンは、深夜3時に目醒めたとき、異様な体勢で悪魔のような咆哮を上げる彼女を見て、遂に実家へと連絡した。――そうして初めて、ムーア神父がこの事態に関わることになった。
エミリーの父もジェイソンもムーア神父の行いに後ろ暗いところはなかった、と評するが、検察側が召喚した専門家による証言があるいま、エリンはどうにかしてそれを覆す証言や理論が必要だった。協力者捜しに苦慮するなか、ムーア神父は彼女に対し、不吉な警告をする。それを証明するかのように、ブリッグズの証言が行われたその日、まさに深夜3時、エリンは不可思議な出来事に遭遇する――
果たして、ムーア神父は無実なのか。悪魔など実在するのか。そして、神父が取引を固辞してまで語ろうとしているのはいったい何なのか――前代未聞の裁判は、だが進展に従って、よりいっそう異様な色彩を帯びていく……[感想]
何はともあれ、本編の魅力――というか驚異的なリアリティと迫力は、タイトル・ロールであるエミリー・ローズを演じたジェニファー・カーペンターに尽きる。
そのリアリティを誰よりも解りやすく証明するのは、上に記した粗筋では登場しなかったが、裁判の後半戦において重要な役割を果たす精神科の医師カートライト博士(ダンカン・フレイザー)のひと言である。「患者の発作を目の当たりにしても怖いと思ったことはなかった、だが彼女は……」この台詞に、観ているこちらが共感できてしまうのだ。
むろん、凄まじいのは“悪魔憑き”となったその狂態の演技であり、常人の骨格に可能な限界まで異様な動きを披露し、常軌を逸した少女を表現した姿はまさに熱演と言っていいが、しかし彼女の場合重要なのは、冷静な思考が出来ている時点の表情の組み立てである。最初の兆候、「焦げ臭い匂い」を感じた時点では、怯えながらも余分な色を付けずにごく普通の女子大生の表情を繕い、矢継ぎ早の怪奇現象で動転するさまへ持っていく上でメリハリをつけている。この緩急の巧みさは、のちの大学のシーンや実家に連れ戻された直後、更にクライマックスにおける一番重要な場面でも活きており、ジェニファー・カーペンターのただごとではない演技力と、それを信頼した構成とが物語の力強さを支えている。
そんなエミリーを見舞った悲劇を軸とするホラーとして捉えれば、その解釈の舞台として法廷を選んでいることが特色だが、だが本編はその実、法廷ドラマとしても着実で丁寧な構成を整えている。法廷の進行に従って事件を再構築する、という格好で徐々に全容を描き出していくテクニック、まず検事側が医学的見地から神父の非を炙り出し、弁護側はそれに対抗する証拠を探し、或いは戦術を選択していく。特にこの作品では、まずのっけから事件が世間の好奇の目を惹くことを嫌った教会側・裁判所側の提案によって司法取引が提案されながら、裁判での証言を望む神父が断ったことにより、その説得を委ねられる格好で、直前に辣腕ぶりを示したエリンが抜擢される、という経緯を用意している。けっきょく彼女はその場で説得するのではなく、法廷の進行を睨みながら神父を納得させる道を選ぶのだが、この制約がまた物語の展開に動きを大きくさせている。ついでに言えば、糾弾する側の検事にメソジストとはいえ敬虔な信者である人物を配し、神父を弁護する立場であるエリンを逆に不可知論者というキャラクターに設定したねじれの構成を用いた点がまた、法廷劇としてもドラマとしても深みを齎している。
そうしてシンプルながら法廷ドラマとしての堅実な筋を辿りつつ、その随所に怪奇描写を織りこんで全体の異様さを演出していき、ホラーとしての様式美もきちんと押さえている。個人的には、音で脅かす類の演出がやや目立ったことが鼻についたが、同時に間や沈黙、独特な構図を駆使したオーソドックスな手法による恐怖感の醸成も丁寧に行っており、全般としては好印象を受けた。とりわけ、他の何よりも恐怖感を煽っているのが怪奇描写そのものではなく、それに対する周囲の人々の反応である点に注目して欲しい。「あの経験は悪夢だけど、忘れたくない」と語るジェイソン、神父を救うため弁護士に連絡を取るカートライト博士の怯えきった態度、エリンに対しても本意をなかなか打ち明けようとせず、ひたすら受難を耐え忍ぶ神父。それらがエミリーの身に起きた想像を絶する出来事を裏打ちしているのである。
これほど怪奇現象を多数盛り込みながら、しかし物語は、どこかに決して超常現象などではない、医学的・科学的に説明の出来る症状や現象である、という解釈を施す余地を留め、敢えてどちらとも明確にしないままクライマックスを迎える。そのあたりの公平な視点と、そしてラストにおける判決も絶妙だ。こんな厄介な評決を委ねられた陪審員、判事としては、恐らくこれ以上に適当な評決は下せないだろう、と納得のいくものになっている。
その結末は、曖昧であるがゆえに空恐ろしく、また奇妙にも極めて美しい。語られたことを噛みしめると、その信仰や信念を改めて問い質されているような感覚さえ沸き起こってくるはずだ。観ている人間がどんな答を用意するにせよ、その重みは否定できまい。
“悪魔憑き”となったエミリーのあまりの迫力と、怒濤のような展開に観ているだけでもかなり体力を消耗するが、しかしホラーや法廷劇を好む人のみならず、重厚なドラマを欲する向きにもお勧めしてみたい。ただのホラーと甘く見られぬよう。(2006/03/11)