cinema / 『the EYE』

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the EYE
監督・原案・脚本・編集:オキサイド&ダニー・パン / 製作:ピーター・チャン、ローレンス・チェン / 製作総指揮:エリック・ツァン、アラン・フォン、ダニエル・ユン / 共同脚本・共同編集:ジョジョ・ホイ / 撮影:デーチャー・シーマントラー / 美術監督:クリッタパット・スッティネート、サイモン・ソー / CG:セントロ・デジタル・ピクチャーズ / 音楽:オレンジ・ミュージック / 出演:アンジェリカ・リー、ローレンス・チョウ、チャッチャー・ルチナーノン、キャンディ・ロー、エドムンド・チェン、ワン・スーユエン、コウ・インペン、ソー・ヤッライ、フォン・ジンファッ / 配給:KLOCKWORX
2001年タイ・香港作品 / 上映時間:1時間39分 / 字幕:金丸美南子
2003年03月29日日本公開
2003年10月24日DVD日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.the-eye.jp/
シネクイントにて初見(2003/03/29)

[粗筋]
 マン・ウォン(アンジェリカ・リー)の目が光を失ったのは、彼女が二歳の頃。以来、視覚のない世界での生活に順応してきたマンだったが、20歳になって待望の角膜移植手術を受けることになった。
 物心ついてからずっと映像のない世界で暮らし、今では盲人によるオーケストラの一員としての活動も立派にこなせるようになっていたマンにとって、目に見えるものは新鮮で、しかし同時に未知の恐怖を伴うものだった。初めて覗き込んだ鏡に映る自分の姿を喜び、入院中に知り合った脳腫瘍で何度も手術を受けている少女インイン(ソー・ヤッライ)と一緒に写真を撮り、父が撮っておいてくれたという自分の昔の姿に見入り。初めての体験に戸惑いながらも、担当のロー医師(エドムンド・チェン)に紹介された、彼の甥で心理療法士のワー・ロー(ローレンス・チョウ)のカウンセリングを受けながら、マンは少しずつ目に見える世界に馴染んでいく。
 だが、慣れていくに従って、奇妙なことに気づきはじめた。マンの目には時折、視覚的な知識のない彼女にとっても異様なものが映った。入院中、隣のベッドにいた老婆が何者かの面会を受けてそのまま立ち去っていく姿。高速道路のど真ん中に佇むスーツ姿の男。
 また同時に、マンは目が見えるようになったことで、自分が住み慣れた世界から追放されてしまった現実をも知ることになる。いつものように盲人によるオーケストラの練習に参加した彼女に、指揮者は別の形での参加を求めた。見えるようになったマンをこのまま参加させるわけにはいかない、というのだ。
 そして目撃したのは、食堂に吊されたチャーシューに執着する、足のない母子。紫色の舌を出してチャーシューを舐めようとする異様な姿に瞠目するマンに、店員の女性はそっと「あなたにも見えるの?」と訊ねた。
 マンが祖母(ワン・スーユエン)と一緒に暮らしているアパートで、ときどきひとりの奇妙な少年と出逢うことがあった。通信簿を失くしてしまった、と呟くその少年と会話しているマンの姿をスコープ越しに眺めた祖母は、一瞬慄然とする。祖母の目に見えるのは、マンひとりだった――

[感想]
 正直に言うと、ちょっと期待しすぎてました。なにが悪いって、未鑑賞の方に冒頭とエンディングにある趣向を話さないように、という宣伝文句なのですが、まあそれでもなにも知らない方がいいような気はするので、批評のために詳細を記すことは止めておきます。ただ、期待していたのとは全然違っていた、とだけ。
 しかし、ホラーとしての出来は非常にいい。些か音楽と音響による虚仮威しが過ぎるきらいがあるが、それ故に時折挟まれる静寂が異様な効果を発揮している。
 怪奇現象ひとつひとつの演出も、ホラーずれしている目には使い古された手と映るが、常道を踏まえながらそれらがきっちりと活きるように配置しており、無駄がない。特に、ヒロイン・マンを決定的な恐慌状態に陥れることとなる出来事の緊張感は出色。
 幼い頃に視力を失い、手術によって恢復したばかりの女性、という微妙な設定をリアルに描きだし、鍵として全体に活かしたストーリーも秀逸。人生の大半を闇の中で過ごし、聴覚・触覚など他の感覚に頼って生きて来た人間が、突然視覚を与えられたときどんな態度を取るのか、どういった混乱を来すのか、といったことを視覚のある人間にも解りやすく描きながら、そうした条件を活かした仕掛けすら用意しているあたり、『RAIN』で見せたプロット構成の才能が一過性のものでなかったことを証明している。こと、物語のターニングポイントにある仕掛けは、実は前例を一つ挙げられるのだけれど、そういうものを抜きにしても巧い。
 名前を出したついでに触れると、本編には『RAIN』と通底する要素がある。最たるものは感覚障害だが、他に「凌礫」「タイと香港」「ヒロインが美人」などなど。これを悪癖と取るか作家性と取るかは人によって立場が分かれると思うが、私には却って興味深かった。こういうアプローチをテーマのなかにきっちり組みこむ作家は、ハリウッドにも日本にも、近年隆盛を誇る韓国・香港のアジア圏にも存在しない。
 ただ、ストーリーがきっちりしている反面、決着がすぐに腑に落ちないのが難点となっている。観賞後あーだこーだと考えているうちに、決して不自然ではない結末だと頷かされるのだが、心理的な伏線が物足りないし、果たしてあの顛末からすぐさまそういう方向に切り替わるか、という疑問も残ってしまう。
 しかしそれ故に、普通のホラー映画とは一線を画した切ない余韻を齎しているのも、再度鑑賞しようという気にさせる仕上がりになっているのも事実だ。広告などで期待させられたものとはだいぶ印象が異なるものの、監督であるパン兄弟の前作『RAIN』に惚れ込んだ私には納得の秀作である。

 ところで、本編の広告などで「Based on a True Story」というフレーズを御覧になった方はあるだろうか。プログラムによると、その実話というのは「角膜移植を受けた少女が、その一週間後に自殺した」という痛ましいエピソードであり、その間に彼女が本編のマンと同じ体験をした、などという事実は確認されていないらしい。あくまで原案のパン兄弟がその事実から想像を拡げ物語として膨らませていったものということなので、流石にこの文句は謳いすぎだし、これから御覧になる方はあまり意識されない方が賢明だろう。
 ただ、パン兄弟はこれ以外にももうひとつ、実際にあった出来事を作中で効果的に用いている。実話かどうかなどというのは些細な問題で、そうしたものにインスパイアされ、社会的な事実に絡めつつ作中に活かしていく姿勢には敬意を表したい。

 以下余談。本編の広告でもうひとつ大きく掲げられているのが、トム・クルーズがリメイク権を獲得したという事実。
 個人的にはトム・クルーズの鑑賞眼やプロデュースの手腕は認めているのだけど、作品を見たあとだとどーにも首を捻りたくなる。いや確かにいい作品なのだが、決して突出して出来のいいシナリオではなく、あくまで映像表現や演出、舞台設定があってこその完成度であり、別の監督・シナリオ・主演で欧米圏のどこかに舞台を移して制作した場合、無惨な出来になるよーな気がしてならない。
 まあ、そこをどうにかするのがプロデューサーとしての手腕の見せ所ではあるのだけど。期待せずに待とう。

(2003/03/29・2003/10/23追記)


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