cinema / 『ザ・ファン』

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ザ・ファン
監督:トニー・スコット / 原作:ピーター・エイブラハムズ / 脚本:フォフ・サットン / 製作:ウインディ・ファイナーマン / 音楽:ハンス・ジマー / 技術指導:カル・リブキンJr. / 出演:ロバート・デ・ニーロ、ウェズリー・スナイプス、エレン・バーキン、ジョン・レグイザモ、ベニチオ・デル・トロ / 配給:日本ヘラルド
1996年アメリカ作品 / 上映時間:1時間57分 / 字幕:戸田奈津子
1996年10月26日日本公開
1998年11月18日DVD日本発売 [amazon]
DVDにて初見(2003/05/18)

[粗筋]
 サンフランシスコ・ジャイアンツにボビー・レイバーン(ウェズリー・スナイプス)が移籍する。その一報は、熱心なジャイアンツファンであり、地元の出身であるボビーの帰還を待ちわびていたギル・レナード(ロバート・デ・ニーロ)を興奮させた。昨年は高打率とともに打点王の地位に就き、最善のコンディションでの入団。昨年は優勝を逸したが、今年は最大のライバルでもあったボビーがいる。優勝は確実に思えた。開幕の前日にはスポーツ・レポーターのジュエル・スターン(エレン・バーキン)が司会を務める番組を介してボビーと直接会話することも出来て、ギルは有頂天になっていた。
 だが、現実はギルにとってもボビーにとっても理想通りとはいかない。ギルは父親が職人として創設したナイフの制作販売会社で営業として働いているが、強引かつルーズな性格が災いして成績は落ち込む一方。野球中心の生活は家庭をも圧迫し、離婚した妻に引き取られた我が子は妻の新しい恋人に懐きつつある。
 かたやボビーは、愛着のある背番号11ではなく33をあてがわれたことに苛立っていた。ジャイアンツの11番は先に在籍していたホアン・プリモ(ベニチオ・デル・トロ)が占有しており、ボビーのエージェント・マニー(ジョン・レグイザモ)の交渉に異常な高額での取引を要求してくる。そのうえ、ジュエルら辛口の業界人には高額の契約金や離婚問題を追求され、公私ともに穏やかならぬ状況に陥っている。更に悪いのは、マニーに連れられて見舞いに訪れた重病の少年が、我が子と同じ名前だったことだ。
 そして待望の開幕日が来た。ギルは息子を連れてジャイアンツの開幕戦を訪れるが、途中商談のために抜け出す必要があり、試合に熱狂しながら平静でいられない。ボビーは一回表、微妙な位置に飛んできたボールを捕球する際にプリモと衝突、鎖骨を痛めてしまうが、前日に会った少年との約束を果たすため痛みをおして出場する。
 果たして、ギルは商談に間に合わなかった。それどころか、ひとり残してきた息子は善意の観客によって別れた妻の元に連れ戻されていて、憤った妻によって拘束命令が出されてしまう――ギルは息子に100メートルより近づくことさえ許されない身分になってしまった。加えて、取引先への粗暴な態度が咎められて、遂に会社まで解雇されてしまう。
 ボビーは病身の子供との約束通りホームランを打つが、少年はとうに息を引き取ったあとだった。プリモと衝突した際にお守り代わりのペンダントを紛失し、更にその時負った傷もあって完全に調子を崩してしまう。一方のプリモは好成績を持続し、ボビーとの差は拡がっていくばかりだった。
 仕事も家庭も失ったことで、ギルの拠り処はジャイアンツ、そしてこよなく愛するボビー・レイバーンだけになった。ボビーの不調に自らを重ね合わせ、執着を深めていったギルは、やがて一線を踏み越えてしまう……

[感想]
 トニー・スコットという監督はどうも「ふたつの視点」がお好みらしい。潜水艦ものの代表的傑作『クリムゾン・タイド』では上官と部下の双方の葛藤を並行して描き、2001年の『スパイ・ゲーム』ではスパイ師弟の関係の変遷と現在進行形の事件を折り重ねて描いている。本編では、バット一本でスターダムにのし上がった男と、野球への夢が捨てきれないまま凋落しつつある男、ふたりの出来事を絶妙に同調させている。
 タイトル・ロールとも言えるデ・ニーロの熱狂的なファン像は、細かなヒネリを加えてやや特殊な職種、環境を構築しながら、見事に真に迫ったキャラクターとなっている。一方のウェズリー・スナイプス演じるスター選手の造型は若干類型に属するが、類型であるというだけでデ・ニーロ演じるファンといい対照を成している点、寧ろ狙い澄ました感がある。
 社会的な地位という意味では格段の差がある両者だが、それぞれの悩みを似通ったものにしているのも巧い。似通っているからこそ、すべてを失いつつあるギルはボビーに更なる執着心を覚えていく。元々、乗り気でない我が子にジャイアンツへの憧憬を植え付けようとしたり、ホームランボールを拾うのに夢中になって我が子の足を踏んだりと常軌を逸した(が、或いはアメリカではさほど珍しくもない人物像なのかも知れない)行動の散見されたギルだが、この幾つかの共通項が破滅的な狂気へと向かっていくギルの様を自然なものにしているのである。決定打となる場面の説得力も凄まじい。あの状況でああ言われたら、道を誤っても不思議ではないだろう。
 クライマックスもまた一筋縄でなく、展開を予測することは最後まで難しい。ただ、ギルが最後に登場する場面は些か不自然に感じられた。常識的に言って他人が潜りこむには困難な場所であろうし、もっと早い段階で誰かが気づいて然るべきだったように思う。
 そしてもうひとつ惜しむらくは、クライム・サスペンスの様相を呈していく終盤、それまでの伏線がいい感じで活きる様にはなかなか興奮させられるものの、折角の構図で知性的に活躍している人物がいない点だ。ギルの最後の暴挙以外に不自然な点はないのだが、出来れば解決に至る過程をもっとミステリっぽく、スリリングに描いて欲しかった。
 決してすっきりした結末ではなく、あとに様々な痼りを残すものの、アメリカン・ドリームと英雄願望の現実に容赦ない光を当てており、意味は深い。だが何より、そこに至るまでの物語のスリルと迫力とに本編の真価はある。事件の決着へと自発的に動いている、或いは自覚的に貢献した人物がいないことが若干の問題を感じさせるが、総じて一級のエンタテインメントと評しても構わないだろう。流石。

 ところで。
 この作品を今頃鑑賞した動機のひとつは、脇役ながらベニチオ・デル・トロが出演している、と知ったからだった。思っていたより登場は長かったものの、明らかにスナイプスの役柄を活かすためのキャラクターであり、自己主張はいまいち足りない。とは言え、彼特有の訛りに手を加えて一風変わった口調を身に付け、葛藤するスナイプスを引き立てる役割に専念したその姿には間違いなく役者としての力強さが漲っている。やっぱりいいねえ。

(2003/05/19)


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