cinema / 『エデンより彼方に』

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エデンより彼方に
原題:“Far From Heaven” / 監督・脚本:トッド・ヘインズ / 製作:クリスティーヌ・ヴァション / 製作総指揮:スティーブン・ソダーバーグ、ジョージ・クルーニー / 撮影監督:エドワード・ラックマン / プロダクション・デザイン:マーク・フリードバーグ / 編集:ジェームズ・ライオンズ / 衣装:サンディ・パウエル / 音楽:エルマー・バーンスティン / キャスティング:ローラ・ローゼンタール / 出演:ジュリアン・ムーア、デニス・クエイド、デニス・ヘイスバート、パトリシア・クラークソン、ヴィオラ・デイヴィス、ジェームズ・レブホーン、ベット・ヘンリッツ、スタン・ファイン / 配給:GAGA Communications
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間47分 / 日本語字幕:松浦美奈
2003年07月12日日本公開
公式サイト : http://www.gaga.ne.jp/eden/
日比谷スカラ座2にて初見(2003/08/01)

[粗筋]
 1957年、アメリカ・コネティカット州ハートフォード。マグナテック社重役のフランク・ウィテカー(デニス・クエイド)の妻として何不自由のない、完璧な家庭の主婦としての暮らしを満喫していたキャシー(ジュリアン・ムーア)。子供達が難しい年頃を迎え、夫との性生活が途絶え気味であることを除けば、特に悩みはないはずだった。
 親友のエレノア(パトリシア・クラークソン)らの協力を仰ぎながらパーティーの準備に明け暮れているさなか、最初の事件が起きた。フランクが泥酔状態で警察に逮捕されたのだ。軽犯罪であったため保釈金で済んだが、詳しい事情についてフランクは口を閉ざして語ろうとしない。
 翌日、マグナテック社の理想的な家庭の主婦として雑誌のインタビューを受けていたキャシーは、庭を見知らぬ黒人男性が横切ったことに気づき、中断して様子を窺いに行く。レイモンド(デニス・ヘイスバート)と名乗った彼は、ウィテカー家の造園を手掛けていた庭師の息子であり、父の死を契機に仕事を引き継いだのだという。包容力を感じさせる物腰に打ち解けて会話をしていたキャシーは、後日くだんの雑誌記事に「黒人にも寛容な、リベラルな価値観を持った女性」と書かれるのだった。フランクはそんな妻に、決していい顔はしなかった。
 そして数日後、キャシーは悪夢のような現実を目の当たりにする。フランクから残業するという連絡を受けたキャシーは、メイドのシビル(ヴィオラ・デイヴィス)に夕食を包ませると、手ずから会社に運んでいく。だが、灯りを落とした社内でキャシーが目にしたのは、男性と抱き合い接吻する夫の姿だった。逃げ帰ったキャシーを追って帰宅したフランクは、数年前からかつての性癖が甦ったらしいことを仄めかし、キャシーの薦めによってカウンセラー通いを始めるが、夫婦の間には確実に不協和音が生じ始めていた。
 そんなある日、キャシーはある展覧会の会場でレイモンドと出逢う。美術について、なまじのインテリよりも独創的な見解を持ったレイモンドの言葉に耳を傾けるキャシーだったが、そんなふたりを見つめる周囲の目は戸惑い、あからさまに冷たかった。
 フランクの“病気”は一向に改善しなかった。妻とのセックスもままならず、苛立ったフランクはキャシーに手を上げてしまう。心身共に疲れ果てたキャシーが庭先で涙を流していると、作業中のレイモンドに見つかってしまった。レイモンドは彼女を労って、気分転換のために仕事先の森へと導き、行き付けのレストランに招待する。はじめこそ慣れない世界に戸惑っていたキャシーだったが、いつか心癒されて、レイモンドといっときダンスに興じた。――この出来事が、彼女に最悪の破綻を齎すとも知らずに。

[感想]
 いい意味で、全編「書き割り」のような雰囲気を持った映画である。
 冒頭に描かれるのは、それこそ作り物のような完成度を備えたブルジョア階級の家庭。まさしく往年の名画のように、不自然なほど整った家庭を最初に描いておいて、それが崩壊していく様を、派手な事件や演出なしで滑らかに見せている。
 その一方で、ハートフォードの自然や街並を美しく、詩情豊かに描いているのが巧い。次第に建前が通用しなくなり、人間関係が破綻していきながらも情景の美しさが全く変わらないあたりに、異様な皮肉を感じさせるのだ。
 登場する人物はいずれも、最後まで表面的な品性を崩そうとしない。誰もが紳士・淑女という顔をして日々を過ごしている。だが、それ故に物語が進むにつれて彼らの階級意識や差別意識が浮き彫りとなっていき、表面的な美しさと裏腹の醜さが窺われるようになる。しかも、白人社会の黒人に対する差別意識のみならず、黒人側の差別に対する卑屈とも言える意識を(ほとんど黒人社会を描いていないにも拘わらず)そこここに仄めかしているあたりに、監督の企みの深さが覗く。舞台作りはクラシカルだが、やろうとしていることは極めて先進的、というか現代的なのだ。
 監督自身が「メロドラマ」と呼び、階級を超えたラブストーリーという側面も窺わせる物語だが、その実キャシーとレイモンドの関係は間違いなく恋までには発展していない。お互いに惹かれ合う可能性を感じ始めたところで、容赦なく断ち切っている。「予感」を脱しない、プラトニックなまま消えていく関係というのも、あまり類例を思いつかない。
 原題の“Far From Heaven”は作中でデニス・ヘイスバート演じるレイモンドが引用した詞の一節に基づいている。プログラムにも出典が明記されていないため、実在のものなのか創作のものなのか判断しかねるが、この引用にも作品のシニカルな本質が顔を覗かせている。舞台を「書き割り」のように完璧に設えながら、この世界が「エデン」とは程遠いことを逆説的に表現しているのだ。
 クラシカルな演出と音楽、美術を再現しながら、決して50年代には描かれ得なかっただろうテーマと物語を導入した、意欲的な作品。それでいて押しつけがましさがほとんどなく、(数カ所を除いて)予定調和にも陥らなかったあたりが凄い。主要登場人物すべての暗澹とした未来を想像させておきながら、麗々しく「The End」と大書して作品を締めくくるあくどさまで含めて、一筋縄ではいかない秀作である。

 エリートでありながら自らの性癖によって破綻していく夫を無理なく演じたデニス・クエイド、この時代には早過ぎたリベラルかつ知性と感受性に富んだ黒人を物腰柔らかに演じ、加えて心地よい低音で観客を魅了するデニス・ヘイスバート(奇しくも夫役の俳優とファーストネームが一致しているのが笑える)、そしてほとんどが憎まれ役に転じてしまう脇役まで、いずれも端正な演技を披露しているが、やはり出色なのは各種映画祭でも絶賛を浴びたヒロインのジュリアン・ムーアだろう。
 最近ではジョディ・フォスターに代わってスターリング捜査官を演じた『ハンニバル』の印象が強く、また平凡な主婦やエキセントリックなパニックに直面する人物など役柄の振幅が大きすぎるため、日本ではいまいち評価の振るわないきらいのある彼女だが、本編では完璧と思われながら次第に崩壊していく家庭の主婦を、実に可憐に演じている。彼女がスクリーンでこうも美しく見えたのは初めてのような気がします――いや、褒め言葉ですよ、ほんとに。

(2003/08/03)


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