/ 『機械じかけの小児病棟』
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『light as a feather』トップページに戻る機械じかけの小児病棟
原題:“Fragile” / 監督:ジャウマ・バラゲロ / 脚本:ジャウマ・バラゲロ&ホルディ・ガルセラン / 製作:フリオ・フェルナンデス、ホアン・ヒナルド / 製作総指揮:フリオ・フェルナンデス、カルロス・フェルナンデス / 撮影監督:ジャビ・ヒメネス / 美術:アラン・ベイネ / 編集:ジャウマ・マルティ / 衣装:パトリシア・モネ / 音楽:ロケ・バニョス / 出演:キャリスタ・フロックハート、リチャード・ロクスバーグ、エレナ・アヤナ、ジェマ・ジョーンズ、ヤスミン・マーフィーコリン・マクファーレン、スージー・トレイリング、ダニエル・オルティス / 配給:XANADEUX
2005年スペイン作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:関美冬
2006年07月15日日本公開
公式サイト : http://www.xanadeux.co.jp/kikaijikake/
新宿シネマスクエアとうきゅうにて初見(2006/07/31)[粗筋]
イギリス・ワイト島にあるマーシー・フォールズ小児病院は、老朽化に伴い廃院となることが決定した。入院中の子供達は一律で近接する病院に移るはずだったが、近場で発生した大事故のためにベッドが不足し、一部の子供達が留まるのに伴い廃院もしばし延期された。
エイミー(キャリスタ・フロックハート)はこの急な成り行きに不足した看護師の補充として、小児病院に派遣される。ある事情から現場を離れていたエイミーは久々の仕事に奮起するが、子供達の様子はどこかおかしい。まるで何か、常に恐怖にさらされているかのように神経を尖らせているのだった。
加えてその晩、初めての宿直中に、エイミーは上の階から奇妙な物音を聞く。だが、そんなはずはないのだ――この病院は何らかの事情から二階を完全に閉鎖しており、人がいるはずがないのだ。
子供達のなかでも特に謎めいた言動の多いマギー(ヤスミン・マーフィー)は、シャーロットという人物の存在をエイミーに仄めかす。入院患者にも、病院職員にもそんな名前の人間はいない――孤独な子供がしばしば作りあげる“想像上の友人”という解釈がされているのか、医師のロバート(リチャード・ロクスバーグ)や同僚のヘレン(エレナ・アヤナ)は意図的にマギーの言葉を受け流しているようだが、マギーの境遇に共鳴を覚えるエイミーは無視できない。
やがて、転院先のベッドが空いたため、また新たにサイモン少年が移動することになった。だが、エイミーがサイモンの乗った車椅子を押してエレベーターに入ると、降下するはずの箱は何故か上階を目指した。最終的にエレベーターは急降下し、サイモンもエイミーも大事にはならなかったが、この一件でエイミーは確信を深める。この病院には何かがある――そして、その根っこにはマギーが口にする、シャーロットという名前が絡んでいると。
エイミーは情報を得るために、自分が派遣されるきっかけとなった、急に病院を辞めていった先任の看護師スーザン(スージー・トレイリング)に接触しようとするが……[感想]
『ダークネス』において、ホラー・オカルト映画にありがちな予定調和を脱し、端整なプロットと不気味な余韻を齎す結末を作り、賞賛を浴びたジャウマ・バラゲロ監督の最新作である。それだけに期待が大きかったが――いささか強く期待しすぎたように思う。
そもそも『ダークネス』にしたところで、伏線の緻密さや決着の発想自体は傑出しているものの、基本理念や背景はありきたりのもの、馴染み深いものを援用しており、抜きん出た点はない。本編にしてもそれは同様で、廃院間近の病院という設定はやや特殊ながら、その外観にゴシック様式を採用したり、“想像上の友達”や病院を舞台にした怪談の常道的なモチーフを多用しているために、即目新しさというものは感じられない。
加えて本編は、『ダークネス』と比較すると登場人物たちの交流やそこに漂う謎、或いは生じてくるモチベーションの描き込みが弱く、終盤における主人公エイミーの行動を充分に裏打ちしきれていない厭味がある。伏線の鏤め方もぎこちなく、散見される良質なガジェットも充分に活かしきれていない。
だがしかし、細部の雰囲気や作り込みについてはさすがのクオリティを維持している。BGMを一切断って醸成する恐ろしさ、じわじわと迫ってくる“異物”の気配を醸成する呼吸の巧みさ。また発想としては凡庸ながら、ゴシックを基調とした病院のデザインに、無数に盛り込まれたホラー特有のモチーフ個々の丁寧な作りは、作品の特殊な雰囲気を完璧に支えている。
基本的な骨格や伏線の組み立てについては検討の余地があったと思うが、話の構成と、ガジェットに凝らした工夫によって齎される牽引力は一級だ。前述のように、説得力が充分とは言い切れないが、過去の苦い経験というモチベーションがあることによってヒロインのやや特殊な言動に違和感を抱かせないし、最も重要なアイディアについてはきちんと伏線が張ってある。ハリウッド製のホラー映画が陥りがちな、安易な完全勝利に話を運ぶことなく、しかし快いカタルシスを演出する結末も好印象である。
『ダークネス』が完璧であっただけに、もう一歩か二歩、深くまで踏み込んで欲しかったというのが正直なところだが、間違いなく水準はクリアしている。その辺の流行に乗って作られた安易なホラーとは一線を画した、正統派の良作である。(2006/08/01)