cinema / 『暗い日曜日』

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暗い日曜日
英題:“Gloomy Sunday” / 原作:ニック・バルコウ / 監督:ロルフ・シューベル / 製作:リチャード・ショップス / 脚本:ルース・トーマ、ロルフ・シューベル / 編集:エドゥアルド・クオシンスキ / 音楽:デトレフ・ピーターソン、レジョー・セレッシュ / 出演:エリカ・マロジャーン、ステファノ・ディオニジ、ヨアヒム・クロール、ベン・ベッカー / 配給:GAGA
1999年ドイツ・ハンガリー合作 / 上映時間:1時間55分 / 字幕:関 美冬
公式サイト : http://www.gloomysunday.jp/
2002年05月25日日本公開
2002年11月01日DVD日本版発売 [amazon]
日比谷シャンテ・シネにて初見(2002/07/13)

[粗筋]
 1930年代末のポーランド、ブダペスト。ラズロ・サヴォー(ヨアヒム・クロール)は自らが立ち上げたレストラン『サヴォー』にピアノを導入した。美しい恋人イロナ・ヴァルナイ(エリカ・マロジャーン)とともにピアニストのオーディションを行い、ふたりの眼鏡に適った作曲家志望の青年アンドラーシュ・アラディ(ステファノ・ディオニジ)を雇い入れる。
 イロナの美しさはラズロのみならず、多くの客を惹き付けて止まなかった。端の席から彼女を眺めてはスケッチをしていた画家もそうだし、ドイツからやって来た青年ハンス・ヴィーク(ベン・ベッカー)もそうだったし――アンドラーシュも例に漏れなかった。ただ、彼が他の男たちと違っていたのは、彼がイロナの心を捕えてしまったこと。ドイツに去る直前のハンスがイロナに結婚を申し込んだその夜――奇しくもその日はハンスとイロナ共通の誕生日であった――、イロナはラズロに自らの思いを告げ、アンドラーシュに抱かれる。
 橋の上で困惑する頭を冷やしていたラズロは、イロナの誕生祝いにアンドラーシュが捧げた旋律を口ずさみながら川に飛び込んだハンスを救出し、恋に悩みを抱える同士として慰めると、客と店主という立場ではなく友人として帰郷する彼を見送った。
 ――一方、イロナもまた苦しんでいた。ラズロは彼女を自分には過ぎた女性と捉え、アンドラーシュのついででもいい、という言い方をする。けれど、どう天秤に掛けてもふたりのどちらが重いなどと彼女には断言できなかった。別れるともどっちつかずの関係を続けるとも決断できないイロナに半ば見捨てられた恰好の男ふたりは、痛飲し胸の裡を分かち合った挙句に――3人の関係を続けることをイロナに提案する。ふたりにとってイロナは失くしがたい存在だったし、イロナがどちらかを選ぶことも出来ないなら、この状態が3人にとっていちばんの幸いだった。こうして、奇妙なバランスを保った三角関係が成立する。
 時を同じくして、アンドラーシュに好機が訪れる。レストランを訪れたレコード会社の重役たちが、彼がイロナに捧げた曲――『暗い日曜日』に目をつけ、ウィーンで録音し発売することを提案したのだ。ラズロによる交渉を経て発売された『暗い日曜日』は、その甘さともの悲しさが絶妙に混じり合った美しい旋律が高く評価され、瞬く間に世間に広まった。
 だが、大ヒットと同時に、『暗い日曜日』にはあるレッテルが貼られることになる――聴くものの自殺願望を刺激し、死へと誘う「自殺の聖歌」なる不幸なレッテルが。その存在は、やがてハンガリーを襲った時代の荒波とともに、危うい均衡の上に保たれていたイロナ、ラズロ、アンドラーシュの関係にも暗雲を齎すこととなる……

[感想]
 予告編で観たときからかなり期待していて、訳あってお預けを喰らっていた期間が長引いてしまったこともあり、期待が高まりすぎて失望することになるかと危惧すら抱いていたのだが――杞憂であった。これは名作。
 勘違いをしていたから前置きするのだが、これは実話ではない。『暗い日曜日』が発表当時、実際に「自殺の聖歌」と呼ばれ、一時期イギリスのBBCでは放送禁止の処置を受けていたほど暗い噂が付きまとっていたこと、レストランに雇われていたピアニストが作曲しそこのオーナーが詩を充てたこと、そして今更語るまでもなく当時ドイツのナチズムが世界を席巻しつつあったこと――などの事実を題材として、『暗い日曜日』の悲しげな旋律を背景に築き上げられたフィクションである。
 これらのテーマのバランスが実に巧い。戦争や暗い噂をエッセンスに、3人の男女の不可思議な絆とそれが運命に翻弄される様を、古くささを殆ど感じさせずに描いている。そして、歴史的描写やエッセンスの一部と思わせた描写のひとつひとつが、結末が近付くにつれていずれも伏線として機能するあたりも絶妙である。
 恐らく観客が最も興味を抱いているはずの、何故『暗い日曜日』が人々を死に誘ったのか、という点をはっきりと究明しているわけではないが、終盤に語られる登場人物の想いはその感覚の一端を代弁しているだろう。
 何ヶ所か、シナリオとして稚拙な部分が見受けられるが(終盤近く、ひとりの登場人物が墓参しながら背景の一部を語るあたりはその典型)、全体のイメージは『暗い日曜日』の旋律に引けを取らない美しさを湛えている。“洪水”を乗り越えた「運命の女」イロナ=エリカ・マロジャーンの地に足のついた美貌と、そして予測可能だがそれでも強いインパクトのある結末と相俟って、忘れがたい印象を残す名作。最高。

(2002/07/13・2004/06/22追記)


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