cinema / 『グッドナイト&グッドラック』

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グッドナイト&グッドラック
原題:“Good night, and Good Luck.” / 監督:ジョージ・クルーニー / 脚本:ジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロヴ / 製作:グラント・ヘスロヴ / 製作総指揮:スティーヴン・ソダーバーグ、ベン・コスグローブ、ジェニファー・フォックス、トッド・ワグナー、マーク・キューバン、マーク・バタン、ジェフ・スコール、クリス・サルヴァテッラ / 共同製作:バーバラ・A・ホール、サイモン・フランクス、ジギー・カマサ、二宮清隆 / 撮影監督:ロバート・エルスウィット / プロダクション・デザイナー:ジム・ビゼル / 編集:スティーヴン・ミリオン / 衣装デザイン:ルイーズ・フログリー / 音楽:アラン・シヴィリドフ / キャスティング:エレン・チェノウェス / 出演:デヴィッド・ストラザーン、ロバート・ダウニー・Jr.、パトリシア・クラークソン、レイ・ワイズ、フランク・ランジェラ、ジェフ・ダニエルズ、ジョージ・クルーニー、テイト・ドノヴァン、トム・マッカーシー、マット・ロス、リード・ダイアモンド、ロバート・ジョン・パーク、グラント・ヘスロヴ、ロバート・ネッパー、ダイアン・リーヴス / 本人の映像:マイロ・ラドゥロヴィッチ、ジョセフ・マッカーシー上院議員、アニー・リー・モス / 配給:東北新社
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間33分 / 日本語字幕:佐藤恵子 / 字幕監修:田草川弘
2006年04月29日日本公開
公式サイト : http://www.goodnight-movie.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズにて初見(2006/05/02)

[粗筋]
 1950年、ジョセフ・マッカーシー上院議員の発言をきっかけに、アメリカ全土で共産主義者を排除する運動が盛んになった。真偽を問わず、共産主義者だと疑われただけで職を追われ、或いは自殺する者も現れるという狂った状況を把握しながら、マスメディアはマッカーシー上院議員の報復を恐れ、言及することを避けている。
 CBSにおいて、その傑出した切り口によって存在感を示していたニュース・キャスターのエドワード・マロー(デヴィッド・ストラザーン)は1953年末、デトロイドの地方紙に掲載されたひとつの記事に着目した。空軍に勤めるマイロ・ラドゥロヴィッチという人物が、父親にかけられた共産主義者ではないか、という嫌疑のために、除隊処分にされかかっている、というものである。根拠のない疑いに過ぎず、真相が秘められているはずの告発の手紙は封を施されたままで行われる“魔女狩り”を、マローはマッカーシズム糾弾のためのとば口として、マッカーシー議員への言及抜きで報じることを提案する。
 長年の盟友であるプロデューサーのフレッド・フレンドリー(ジョージ・クルーニー)は乗り気だったが、周辺の反応は芳しくなかった。機会を窺っていた記者たちはともかく、経営陣、何よりもスポンサーの風当たりが強かった。会長のペイリー(フランク・ランジェラ)はふたりを呼び出し、番組の新聞広告のための費用の支出をスポンサーが拒んだことを告る。だが、マローとフレンドリーはふたりで広告費に相当する3000ドルを醵出して急場を補い、遂に放送へと踏み切る。
 マッカーシー議員の反応は早かった。早速、マローが共産党のシンパである、という“証拠”がマローの周囲の人間に届けられる。ベイリーはマローを呼び出し問い詰めるが、マローは些細な事実を誇張しているとして、マッカーシー議員と対決する意思を曲げようとしない。ペイリーは弱みを突かれることを恐れ、記者たちのなかで共産主義に僅かでも関わったものがいないか、調べることを要求する。マローはその提案を受け入れながら、マッカーシー議員を本格的に追求するべく、彼の発言や映像記録の洗い出しを続けていった。
 1954年3月9日、マローがキャスターを務める報道番組“シー・イット・ナウ”で、マッカーシー議員の発言と、そこに存在する矛盾、謀略を追求するレポートが採りあげられた。静かに、いつもと同じ語り口調で、しかし鋭くマローはマッカーシー議員の言動に見え隠れする欺瞞を追求していく。そして、結論を視聴者に預けて、いつもと同じ「グッドナイト、そしてグッドラック」の挨拶で締めくくった。
 放送終了後の反響は、マローたちの予測していたよりも遥かに好感触だった。局への電話は高い比率で番組の内容を応援するもので、新聞各紙の社説も概ね果敢な報道を評価している。ただひとつ――マッカーシズムに同調する『ジャーナル・アメリカン』誌だけは批判的な記事を掲載した。しかもその論調は、攻撃の矛先をマロー本人ではなく、同じCBSのキャスターとして活動するドン・ホレンベック(レイ・ワイズ)へと向けていたのだった……

[感想]
 共同製作として日本の配給会社である東北新社も名前を連ねていたせいか、極めて早い段階からその情報が流入しており、各映画賞での高い評価に、受賞こそ逃したもののアカデミー賞にて6部門へのノミネートという充分な成果を残した本編への期待度は、公開間際にはピークに達していた赴きさえある。好意的なレビューの数々からも自明のことであるが、完成度も期待に充分応えるものであった。但し、正直に言うと、予告編から想像し期待していたものとは、微妙に方向が異なっていたことも言い添えておかねばならない。
 本編で描かれているのは基本的に実話である。一連のマッカーシズムの台頭と、それに伴うレッドパージを、それまで見て見ぬふりをしてきたマスメディアにおいて初めて本格的に採りあげ、一連の主張を繰り返してきたマッカーシー議員の欺瞞を暴いてその影響力を削ぐことに成功した、エドワード・マローと彼の仲間たちの様子を、事実に添って描いている。
 そのタッチに派手さは一切ない。時代の空気を再現するために敢えて全篇モノトーンで撮影し、格別変わったカメラアングルを用いたり視点を激しく動かしたりもしない。舞台は基本的にテレビ局とその周辺に絞られているので、世界の拡がりもあまりない。音楽などほとんど排しており、逆に敢えてノイズを加えて時代がかった雰囲気を強調する。白の強い画面と相俟って人々の発言や行動が明瞭に浮き彫りにされている。そうした環境作りが、いかにも映画好きの作品らしい洒落たこだわりを感じさせながら、物語に強烈な緊張感を付与することに成功している。強いて言うなら、モノトーンの上に舞台を禁欲的なまでに限定したために世界が書き割りじみてみえることが気に掛かるが、それさえも独特の雰囲気作りに貢献しているという見方も出来よう。
 そうして明確なポリシーに基づいて描かれた物語は、だが実のところ、レッドパージの理不尽さ、思想の迫害という民主主義に逆行する世相に果敢に立ち向かう人々の姿としてのみ捉えると違和感を覚えるだろう。確かに物語を要約すると、その点が中心になってしまうのは間違いないのだが、しかし製作者たちが訴えたい主題が別にあることは、話を追うごとに少しずつ明確になっていく。
 それがなにか、は観てご理解いただくとして、この真の主題はマッカーシズムという現代の人々には時代がかって聞こえてしまう素材ではなく、現代にも存在する、ある問題点を抉ろうとしたものである。アメリカを覆うマッカーシズムの脅威を描きながら、本当の主題は冒頭から見え隠れしており、整理の行き届いた脚本によってじわじわと克明にされていく。ほろ苦い決着のあとに演じられる、実際にマローが使っていた原稿を流用したスピーチのひと幕は、非常に耳に痛いと感じる人も多いはずである。なにせ、世界は五十年を経たいまでも、マローの語った水準には遥か遠く達していないのだから。
 社会性に富んだ主題に頓着せずとも、本編は充分に楽しめるだろう。凝りに凝った映像と演出、BGMを排した代わりに、テレビ局で演奏しているジャズをそのまま取り込んでしまう洒落た工夫、そしてよく整頓されて程良い尺に収められたシナリオの牽引力も素晴らしい。ひとつだけ、脇役がいまいち立っていないことが惜しまれるが、作品としての完成度は極めて高い。だが、そうして気楽に眺めていてさえ、恐らくは観た者の心に波紋を齎すであろうほど、メッセージ性にも富んでいる。映画への愛も厭というほど感じさせてくれる、一級の作品である。

(2006/05/04)


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