cinema / 『ゴスフォード・パーク』

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ゴスフォード・パーク
原題:“GOSFORD PARK” / 監督:ロバート・アルトマン / 脚本:ジュリアン・フェローズ / 原案:ロバート・アルトマン、ボブ・バラバン / 製作:ロバート・アルトマン、ボブ・バラバン、デヴィッド・レヴィ / 製作総指揮:ジェーン・バークレイ、シャロン・ハレル、ロバート・ジョーンズ、ハンナ・リーダー / 共同製作:ジェーン・フレイザー、ジョシュア・アストラカン / 撮影:アンドリュー・ダン B.S.C. / 編集:ティム・スクワイアーズ A.C.E. / プロダクション・デザイン:スティーブン・アルトマン / 音楽:パトリック・ドイル / 衣裳:ジェニー・ビーヴァン / キャスティング・ディレクター:メアリー・セルウェイ / 出演:マギー・スミス、マイケル・ガンボン、クリスティン・スコット=トーマス、カミーラ・ラザフォード、チャールズ・ダンス、ジェラルディン・ソマーヴィル、トム・ホランダー、ナターシャ・ワイトマン、ジェレミー・ノーザム、ボブ・バラバン、ジェームズ・ウィルビー、クローディー・ブレイクリー、ローレンス・フォックス、スティーブン・ブライ、ケリー・マクドナルド、クライヴ・オーウェン、ヘレン・ミレン、アイリーン・アトキンス、エミリー・ワトソン、アラン・ベイツ、デレク・ジャコビ、リチャード・E・グラント、ソフィー・トンプソン、ライアン・フィリップ / 配給:UIP Japan
2001年作品 / 上映時間:2時間17分 / 字幕:戸田奈津子
2002年10月26日日本公開
公式サイト : http://www.uipjapan.com/gosfordpark/
劇場にて初見(2002/12/21)

[粗筋]
 1930年代イギリス郊外。
 新米メイドのメアリー・マキーシュラン(ケリー・マクドナルド)にとって、それは何もかも初めてづくしの日だった。仕えたばかりの主人コンスタンス・トレンサム伯爵夫人(マギー・スミス)の付き添いで訪れたのは、ウィリアム・マッコードル卿(マイケル・ガンボン)の所有する邸宅“ゴスフォード・パーク”。道中、同じく招かれた銀幕のスター、アイボア・ノヴェロ(ジェレミー・ノーザム)と言葉を交わす機会があって興奮するメアリーだったが、屋敷に着くと早速執事ジェニングス(アラン・ベイツ)に荷物と一緒に別の入口から入るよう命じられ、古いしきたりから名前ではなく主の名前=ミス・トレンサムで呼ばれて区別され、貴賓たちのくつろぐ階上へは足を踏み入れることも制限される。屋敷付きのメイドで同室となったエルシー(エミリー・ワトソン)は親身になってくれるものの、どうにも居心地は良くない。
 一方、主賓たちのいる階上でも悲喜こもごもの人間模様が展開していた。財産を楯に傍若無人な振る舞いを繰り返すウィリアムを心から慕う者は稀で、まず妻のシルヴィア(クリスティン・スコット=トーマス)にしてからが夫を軽蔑して憚らない。友人のアンソニー・メレディス中佐(トム・ホランダー)はウィリアムを自らの事業に出資させたいが為に体面も顧みず無心に必死だし、金目当ての結婚に失敗したフレディー・ネスビット(ジェームズ・ウィルビー)はウィリアムの娘イゾベル(カミーラ・ラザフォード)を誘惑し、互いの関係を楯に彼女を脅迫して金をむしり取ろうとしている。イゾベルの本当の婚約者候補ルパート・スタンディッシュ(ローレンス・フォックス)も金目当てであることには変わらず、彼女の懊悩は深い。他ならぬメアリーの主トレンサム伯爵夫人もまた、娘婿であるウィリアム卿に生涯の生計を保証されているものの現在の支給額では首が回らず、内心増額を求めようと考えていた。
 ウィリアムの従弟として招かれたノヴェロだけがある意味そうした思惑とは唯一無関係だったが、彼が同行させたハリウッドの映画製作者モリス・ワイズマン(ボブ・バラバン)がゴスフォード・パークの主従と客人たちにちょっとした不協和音を齎す。菜食主義を主張して料理長ミセス・クロフト(アイリーン・アトキンス)を困惑させ、屋敷での観察に基づいていちいちカリフォルニアに電話を繋いではシナリオの改稿やキャスティングの変更を指示し貴族たちにゴシップのタネを提供した。また彼の従者として階下に招き入れられたヘンリー・デントン(ライアン・フィリップ)は常にポケットに手を入れた不貞不貞しい態度で一同を苛立たせ、気は利くのだが些か利きすぎてマッコードル夫人の火遊びに付き合ったり、果てにはメアリーにも襲いかかる始末。すんでの所で、レイモンド・ストックブリッジ卿(チャールズ・ダンス)の従者ロバート・パークス(クライヴ・オーウェン)に救われたメアリーは、彼に気を許すようになる。
 複雑に入り組んだ人間関係は、翌日のキジ猟を挟んで更に凶兆を示す。ウィリアムはメレディス中佐の無心を拒み、あまつさえトレンサム伯爵夫人への仕送りも断つ意志を見せた。夕食の席でワイズマンが得々と新作『チャーリー・チャンのロンドンの冒険』の構想を語ると、果たしてウィリアムが本当に映画に関心を抱いているのか、と嫌味を漏らすシルヴィアに、エルシーは思わず、「ひどい、ウィリアムはそんな」と口走ってしまう。飛び出していったエルシーに続いて、ウィリアムも不機嫌な面持ちで図書室へ籠もる、と宣言する。
 そんな状況でも、貴族たちは暢気にブリッジやお喋りに興じ、召使いたちは屋敷の中を忙しなく走り回った。ノヴェロの歌声に貴族たちは無関心を装い、従者たちは暇を見つけてこっそりと聴き惚れる中、屋敷に絹を裂くような悲鳴が響き渡る。図書室の机に俯せる格好で、ウィリアムは事切れていた――

[感想]
 一回観ただけで理解しろって言うのかこれを――――――――――っ!
 ……頭からちょっとキれてしまいましたが、粗筋を書いてから感想にかかったためで他意はありません。内容自体は高く評価してます、というか完璧です。
 時代にせよ舞台にせよ物語の梗概にせよ、全てが黄金時代の本格ミステリを思わせる設定のためそういう期待をして劇場を訪れたのだが、納得の出来である。但し、本式のミステリを期待すると当てが外れる。何せ、色々と謎めいたシチュエーションや愛憎模様は描かれるものの、登場人物が真っ向切って推理合戦を展開したり一同の前で犯人を告発したりはしない。しかも、サスペンスを盛り上げるような筋立ては用意されず、ただただ人々の行動をランダムに(しかし理知的に)追いかけ会話の端々に伏線を張り巡らせ、終盤でさらっと回収していくだけである。
 主眼は寧ろ、従来のカントリーハウス・ミステリーの枠組みでは充分に描かれなかった、ロンドン上流階級とその召使いの主従関係を見せることであり、双方の温度差と近代に至るうえでの変化を描くことにある、と思われる。実際には食うにも困る窮状にありながら依然虚勢を張る貴族たちと、新しい風俗に触れ変化する価値観の中で自らの境遇とのバランスを計りかねる召使いたち、それぞれの困惑と懊悩をどこかシニカルに、しかし徹底的に活写することこそ主題であって、ミステリはそれを最後に昇華させるためのパーツにすぎない。
 その徹底ぶりが災いして、細かな遊びはおろか本来の謎解きに重要な台詞すら多くの会話に紛れてしまい、恐らく多くの観客に「本当にそんなことあったか?」と思わせてしまうのが難点であろう。だが、古典からきちんと学んできたミステリ・ファンには言わずもがな、それこそ黄金時代の本格ミステリに見られる特徴のひとつ――明かされた真相の鍵を拾うために何度もページを戻したくなる、あの感覚を呼ぶための方法論だ。
 この映画のスタッフがミステリに対する造詣を持ち合わせていることは、作中人物のモリス・ワイズマンが製作しているのが、1934年に実際に公開された『チャーリー・チャンのロンドンの冒険』であることからも窺い知れる(ただしワイズマン自体は創作の人物)。ミステリマニアには、ワイズマンがアメリカのスタッフに対して電話越しに語る言葉の端々に注目していただきたい、という意味でも一見の――というより何度も見る価値のある傑作。アカデミー脚本賞受賞も宜なるかな。
 ……あ、ただし、ごく一部のメイドさん萌え種族は見ない方が賢明です。幻想砕け散ります。

 ……それにしても群衆劇でしかもミステリの粗筋及び作品紹介はしんどい。上の「出演」の項目がえらいことになっているのは、メインキャストほぼ全員の名前を記したからです。騒々しいのはご勘弁ください。

 カントリーハウス・ミステリーときたら絶対にミステリ関係者がプログラムに寄稿しているはず、と期待していたら案の定、若竹七海氏が登場していた。それ自体は予想通りだったのだが、感心したのは劇場にて、いわゆるカントリーハウス・ミステリーの定番と最近邦訳刊行された作品を販売していたこと。クリスティのデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』、セイヤーズ『雲なす証言』ほか全部で4冊ぐらい。……だが、こんな映画観るくらいの人間は既に読んでいるか持っているかしているだろうし、純粋な映画ファンはそもそも置いてある意味自体解らないんじゃないだろうか、とも思ったり。

(2002/12/21)


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