cinema / 『ハードキャンディ』

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ハードキャンディ
原題:“Hard Candy” / 監督:デイヴィッド・スレイド / 脚本:ブライアン・ネルソン / 製作:デイヴィッド・W.ヒギンス、マイケル・コールドウェル、リチャード・ハットン、ジョディ・パットン / 製作総指揮:ポール・G・アレン、ローザンヌ・コーレンバーグ / 撮影:ジョー・ウィレムズ / プロダクション・デザイナー:ジェレミー・リード / 編集:アート・ジョーンズ / 衣装デザイン:ジェニファー・ジョンソン / 音楽:ハリー・エスコット、モリー・ナイマン / 出演:パトリック・ウィルソン、エレン・ペイジ、サンドラ・オー、ジェニファー・ホームズ、ギルバート・ジョン / 配給:KLOCKWORX+PHANTOM FILM
2005年アメリカ作品 / 上映時間:1時間43分 / 日本語字幕:稲田嵯裕里
2006年08月04日日本公開
公式サイト : http://www.hardcandy.jp/
渋谷シネマライズにて初見(2006/08/05)

[粗筋]
 出会い系サイトのチャット。三週間に亘る対話を経て、14歳の少女ヘイリー(エレン・ペイジ)は遂に逢うことを承知した。とあるショッピング・センターの喫茶店で落ち合った彼女に、ファッション・フォトグラファーであるジェフ(パトリック・ウィルソン)は紳士的に、だが甘いタッチで接する。
 前にチャットのなかで彼女が好きだと言っていたバンドのライヴを違法に録音したMP3がある、という口説き文句で、ヘイリーは彼の家に赴くことを承知した。ヘイリーが作った飲み物を口にしながら、甘く擽るような会話をするふたり。
「わたしのことを医者が診たら、確実に“異常”って言うわ」
 壁に飾られた、ヘイリーと同年配の少女たちの美しいがどこか卑猥さのある写真について訊かれながら、ジェフは次第に体調がおかしくなっていくのを自覚する。リヴィングで騒々しい音楽をかけながら、自分を撮って、と要求するヘイリーに対して訳の解らない苛立ちを覚えているうちに、ジェフは遂に昏倒する。
 目醒めたとき、ジェフはキャスター付きの椅子に両手両脚を縛り付けられていた。依然朦朧とした意識のまま、いったい何が目的だ、とジェフが訊ねると、ヘイリーはしばらく待って、と奇妙に優しい口調で言った。
「いま、証拠を捜しているから――あなたが女の子たちにしたことの証拠を」
 ジェフは近所に助けを求めようと大声を上げる。そんな彼の口をガムテープで塞ぎながら、しかし騒いでも無駄よ、とヘイリーは諭した。両隣は留守だということが解っているから、計画を実行に移したのだ、と……

[感想]
 何かのきっかけで、アメリカでの公開直前に情報を掴み、公式サイトを目にして以来ずっと楽しみにしていた作品である。出会い系サイトで頻発する事件を童話の“赤頭巾”に喩え、本来狩られる側である赤頭巾が狼を罠に嵌める、という構図で綴られるスリラー、という着眼点だけで興味を惹かれたのだ。
 率直に言えば、この限られた情報から推測したのとは少し趣が違った。個人的にはもっと終始緊迫感が支配し、目を覆うばかりの残虐さと衝撃が彩るスリラーを期待していたのだが、本編の方向性は微妙にベクトルが異なる。
 こういうテーマを扱っているわりには、画面にも話運びにもさほどショッキングな部分はない。少女が周到な罠を仕掛けたうえで、男に対して行う“報復”の内容は衝撃的であるが、そこまでの話運びに過剰な外連味はなく、視覚的に刺激を与えるような描写も少ない。時として品のない言葉や表現がちらつくが、全体的には、思いのほか品性を感じさせる。
 表面的な衝撃に依存することなく、本編は終始理知的に展開する。メインとなる登場人物は赤頭巾=ヘイリーと狼=ジェフのふたりのみ、しかも舞台は冒頭のカフェとジェフの自宅のみというストイックぶり。必然的に会話中心で話は綴られていくわけだが、この会話が実に奥深い。ジェフのソフトな言葉遣いには少女に対する欲望がちらつき、対するヘイリーの言動には随所に罠と、まるで公平なゲームを望んでいるかのようなヒントとが鏤められている。
 わりとストレートに“狼”という側面を示しているジェフに対し、少女の異様さが凄まじい。彼女の会話のトーンは終始変わらず、幼さと無邪気さ、そしてそれ故に備えている無防備な媚態とが入り混ざっている。だが、それが虚飾であることは、どんな局面にあっても過度に激情を顕わにすることのない表情からも自明だ。既に大抵のことを計算ずくでことに挑んでいるさまは、突出した知性を窺わせる。
 だが同時に、随所で年齢相応の幼さ、計算の至らなさを垣間見せているのが巧妙なのだ。成人男性の体力を侮ってたびたび拘束を解かれているのは決して計算のみとは思えないし、予想通りに証拠品が発見できないことに苛立ちを見せることや、終盤における最も危険な計算外の出来事に際して、実に幼稚な嘘で誤魔化してしまうあたりはやはり子供なのだ。そうして、幼稚さを重ねあわせていることが、計画の凶悪さと少女の異常性とを強調する。漠然と観ていては感じないだろうが、考えれば考えるほど彼女の立ち居振る舞いは怖気を誘う。
 隅々まで巧まれた脚本が秀逸ながら、疑問も幾つか残る。特に思うのは最終的に少女が男を追い込むために用いた“罠”が、果たしてあそこまで劇的な効果を齎すか、という点だ。結果として奏功したわけだが、それを最後に持ってくるほど確信が持てたのかがいまひとつ理解できない。
 但し、このくらいはもう些細な問題だろう。このくだりに至るまでの流暢な筆遣い、そして少女の言動が終始漂わせる不気味さが強烈であり、目的を果たしたあと、しかし快哉を上げることもなく淡々とした足取りで去っていくその姿がいっそう異様で、記憶に深く刻まれる。
 主題こそ社会派ながら、格別なメッセージ性を強調するわけでもない。だが、それでも薄気味悪い余韻を残し、あとに何かを考えざるを得なくなる。一本強い芯の通った、優秀な心理サスペンスである。

(2006/08/05)


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