cinema / 『初恋』

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初恋
原作:中原みすず(リトルモア・刊) / 監督:塙幸成 / 脚本:塙幸成、市川はるみ、鴨川哲郎 / 製作:宇野康秀 / エグゼクティヴプロデューサー:河井信哉、星野有香 / コ・エグゼクティヴプロデューサー:三宅澄二 / プロデューサー:水上繁雄、松岡周作 / アソシエイトプロデューサー:朴木浩美、梅川治男 / 製作エグゼクティヴ:依田巽 / 撮影:藤澤順一,JSC / 照明:上田なりゆき / 録音:山方浩 / 美術:斎藤岩男 / 編集:冨田伸子 / 音楽:COIL / 音楽プロデューサー:穂苅太郎 / 音響効果:神保大介 / VFXプロデューサー:佐藤高典 / 衣装:宮本茉莉 / 装飾:松本良二 / 主題歌:元ちとせ『青のレクイエム』(Epic Records) / 出演:宮アあおい、小出恵介、宮ア将、小嶺麗奈、柄本佑、青木崇高、松浦祐也、藤村俊二 / 制作:ミコット・エンド・バサラ / 制作プロダクション:アン・エンタテインメント / 製作・配給:GAGA Commuinications
2006年日本作品 / 上映時間:1時間54分
2006年06月10日公開
公式サイト : http://www.hatsu-koi.jp/
シネカノン有楽町にて初見(2006/06/17)

[粗筋]
 1968年12月10日。みすず(宮アあおい)の心は今もあの日に釘付けにされたままだ。白バイ警官の服装で現金輸送車を襲撃し、三億円を奪ったあの日に。
 父には早くに死なれ、母は兄だけを連れて出奔し、叔母の家に居候する身分のみすずは、学校でも親しい友達はおらず、孤独感に苛まれていた。
 1966年、みすずはマッチ箱に記された住所を頼りに、新宿ゴールデン街にあるBというジャズ喫茶を訪ねる。制服姿で退廃的な街を歩くのが精一杯で、店の前に佇むしか出来なかったみすずだが、毎日店の前に突っ立っている彼女を見かねたユカ(小嶺麗奈)という女性が手を引いて、みすずを中へと誘った。薄暗く会話も少なく、ジャズの音楽だけが鳴り響く空間に、屯する青年たちにみすずは引き合わされた。リーダー的存在で年齢を問わず女性を惹きつける魅力を持った亮(宮ア将)、作家志望で現在浪人の身で学生運動に熱心なタケシ(柄本佑)、喧嘩っ早いテツ(青木崇高)、みすずと同じ高校生でお調子者のヤス(松浦祐也)、亮の親友で面子に加わりながらも乱暴な行為には手を貸さず、詩集片手にどこか超然とした岸(小出恵介)。
 安易にみすずを受け入れようとした一同のなかで、ただひとり岸だけは「子供が何の用だ」と突き放すような物云いをする。そんな彼に、みすずは「大人になんかなりたくない」と言い放って出て行こうとした。だが、岸は彼女を引き留め、「合格だ」と笑う。
 その日からみすずは毎日のようにBに出入りするようになった。家にいる場所もなく、学校も拠り処ではなかったみすずにとって、Bと仲間たちは初めて得た“居場所”だった。とりわけ、岸に対しては次第次第に淡い思いを募らせていく己をみすずは自覚する。
 だが、時代の変化は、みすずやBの仲間たちにも確実に影響を及ぼしていった。学生運動の波が激しさを増し、対抗する機動隊の策も過激になり、偶然小競り合いに巻き込まれた一同は痛手を負う。特にヤスは二度と歩けないかも知れない、というほどの重傷だった。岸は訴えるべきだ、と主張するが、敵いはしないと亮たちは取り合わない。タケシは過激派のアジトに入り浸るようになり、ユカは傾きかけた家業を救うため見合い結婚の道を選び、郷里へと帰っていった。
 櫛の歯が欠けるように仲間たちが数を減らしていくなか、岸は不意にみすずに、内密な話がある、と言い出した。人目を避け入り込んだラブホテルで、亮たちの“活動”に手を貸さなかった自分も、権力に反発を抱いていたことを岸は打ち明ける。だが、石を投げても角材を振りまわしても権力にとっては痛くも痒くもない。ならば自分は頭脳で勝負したい。その計画のために、どうしてもみすずが必要なのだ、と岸は言った。
 決してみすずでなければいけない話ではなかった。断ることも出来た。だが、初めて人に必要だと言ってもらえた――それも、誰よりも想いを寄せる人に言ってもらえたことが、みすずは嬉しかった。大して迷うこともなく、みすずは頷いた。

[感想]
 原作者がどちらから出発したのかが気になる。三億円事件の実行犯が女性であったという着想なのか、時代を背景にした“初恋”を描きたいという意思なのか。
 いずれにせよ、本編は三億円事件の新解釈にのみ寄りかかった物語ではない。三億円事件を中心にした、1960年代という時代の空気を背景に、ひとりの少女の特異な経過を辿った“初恋”を描くことのほうが主題だと言える。
 とはいえ、三億円事件の一風変わった犯人像にもそれなりの説得力が備わっていることはまずお断りしておきたい。予告編などから類推される通りとはいえ、いちおう未見の方の興を極力削がないために細かくは記さないが、犯人が女性であったこと以外にもこの犯人像には様々な盲点があり、当時の警察が大規模な捜査を行ったにも拘わらず網に捉えられなかったことが頷ける設定となっている。加えて、三億円事件にまつわる幾つかの謎についても、合理的な説明をつけている点も評価したい。特に、五百円紙幣などは番号が控えられていたはずなのに、現在に至っても使用された痕跡がない、という事実に対する解釈は、いささか感傷的であるが、それ故に納得のいくものであった。
 研究家ではないので詳しく検証することは出来ないが、恐らく実際の証拠などと照らし合わせると矛盾は出てくるだろう。あまりに物語的に都合良く話が運んでいる部分もあって、これが正解だとするには弱い。だが、この物語にとっては完璧な屋台骨となっており、本当の主題にこれ以上ないほど貢献しているのは間違いない。論としての強固さよりも、そのことを高く評価すべきだろう。
 基本的に物語は、孤独に苛まれる女子高生・みすずの視点で綴られる。冒頭から、男に襲われそうになって警察に救われ、家族でも友人でも迎えを呼びなさい、という言葉に「そんなの、いないから」とふて腐れたような顔で返す意味深なひと幕が置かれる。以降も終始言葉数は少なく、自分の行動について誰に対しても説明しないので、謎になったままの部分も多い。画面の情報に依存しているぶん、どうしても全般に地味な印象は付きまとうものの、如何にも若者らしい微温な空気を演出している。
 語りすぎない姿勢は終始、作品に節度を齎している。たとえば亮の女癖の悪さにも、岸が自分の計画をひとりで行おうとしなかったことにも、更にはみすずの母が兄だけを連れて消えてしまったことにも多くの理由があるように察せられるが、物語の主題に直接関わらない部分については決して多くを語ろうとしない。それがところどころ、たとえばジャズ喫茶で巡り逢った仲間たちとの日常における交流が描かれていないなどの、掘り下げの甘さという欠点に繋がっているのも事実だが、照準を絞り込んだ描写は、みすずという少女の哀しさ・儚さと共に清々しさといったものも鮮烈に感じさせる。
 結末もまたいい。三億円事件後の出来事を点綴したのち、永遠に続くかと錯覚するようなみすずの執行猶予は、まったく思いもかけない瞬間に判決に辿り着く。その押しつけがましくなく、しかし決定的な結末が静かに、しかし激しく胸に響く。手法は有り体ながら、みすずという少女が物語の中で辿ってきた出来事のうえに置くと、この“判決”はあまりに残酷で、だが喜びにも溢れている、という奇妙な輝きを放つ。
 よく選び抜かれた舞台に考え抜かれた設定、そしてそれらを節度を保って演出した、派手さはないがしかし硬度のある良質な青春映画である。近年、若手としては異例の注目を集める宮アあおいが原作に惚れ込み、十代最後の出演作に決めたという触れ込みの作品だが、そこまで惚れ込むのも宜なるかな、と思う。

(2006/06/17)


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