cinema / 『HERO 英雄』

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HERO 英雄
原題:“英雄” / 監督:チャン・イーモウ / 原案・脚本:リー・フェン、チャン・イーモウ、ワン・ビン / 製作:ビル・コン、チャン・イーモウ / 撮影:クリストファー・ドイル、H.K.S.C. / アクション監督:トニー・チン・シウトン / 編集:チャイ・ルー、アンジー・ラム / 美術:フォ・ティンシャオ、イ・ジェンジョウ / 衣装:ワダエミ / 作曲・指揮:タン・ドゥン / ヴァイオリン演奏:イツァーク・パールマン / 太鼓演奏:鼓童 / 主題歌:フェイ・ウォン / 出演:ジェット・リー、トニー・レオン、マギー・チャン、チャン・ツィイー、チェン・ダオミン、ドニー・イェン / 配給:Warner Bros.
2002年中国作品 / 上映時間:1時間39分 / 字幕:水野衛子、太田直子
2003年08月16日日本公開
2004年01月23日DVD版日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.hero-movie.jp/
丸の内ルーブルにて初見(2003/08/16)

[粗筋]
 紀元前200年、戦乱のただなかにある中国での物語。
 列国がしのぎを削るなか、着実に台頭しつつあったのは秦国であった。飛距離に優れる弓矢を操る秦軍は他国を圧倒し、大陸全土を制圧するのもそう遠い話ではないと思われていた。
 一方、為政者として権力を恣にする秦王(チェン・ダオミン)を亡き者にせんと迫る暗殺者もまた多く存在した。なかでも、秦王が最も脅威に感じていたのは、趙に仕える三人の暗殺者である。槍の達人・長空(ドニー・イェン)、書を通じて剣術の極意を得た残剣(トニー・レオン)、その恋人で秦王を父の仇と憎む飛雪(マギー・チャン)。この三名を討ち滅ぼしたものに対して、金銀財宝の賞与と共に、秦王への拝謁の際に取らねばならない百歩の距離を、その功績に比例して縮めることを許していた。
 その日、ひとりの剣士が秦王の宮殿に召された。剣士の名は“無名”(ジェット・リー)――孤児として育ち、いまは一介の地方官吏である彼は、修行に十年の歳月を費やし、十歩以内であれば敵の帯びた剣を奪い、確実に死を齎すことの出来る必殺剣“十歩必殺”を体得していた。無名はこの必殺剣と謀略を駆使し、三人の刺客を討ったという。無名に目通りを許した秦王は、その経緯を無名に語らせた。
 無明は三人について下調べをし、重要な事実を知る。長空が飛雪と一夜限りの過ちを犯し、それが原因で残剣と飛雪が共に身を隠しながらも仲違いをしている、というのだ。無名はふたりの名剣士の心の隙に付け入るため、まず長空を標的に定める。
 雨のなかの壮絶な戦いに辛くも勝利した無名は、長空の槍を手土産に、残剣と飛雪がそれぞれ高山・流水名を変え身を潜めていた趙城に「高山の書を賜るため」という名目のもと訪れた。折しも秦の大軍が迫り、矢がまさしく雨の如く降り注ぐなか残剣がしたためたのは「剣」の一字。それを受け取った無名は同時に自らの真の目的を明かすと共に、長空からの偽りの遺言を伝える。「自分の仇は、必ずや飛雪が取るであろう」と――秦軍の本営にて待つ、と言い残すと、無名は書を携え城を去る。
 間もなく、悲劇が起きた。幼い頃から彼に仕え、秘かに想いを寄せていると知っていた如月(チャン・ツィイー)を抱き、その姿を飛雪に見せつけた。心を乱した飛雪は、残剣の背に刃を突き立てる。翌日、主君の仇と襲いかかってきた如月をも手に掛け、心千々に乱れた飛雪を倒すのは、無名にとって容易いことだったという――
 三人を討った功績により、いまや無名と秦王とのあいだは十歩――無名にとって必殺の距離に迫っていた。だがそこで秦王は突如、無名の話をすべて嘘だと切り捨てた。三年前、三千の軍勢をものともせず攻め入った残剣と飛雪のふたりと、秦王は刃を交えている。彼らの剣は決して嫉妬に狂うようなものではなく、もっと器の大きなものだった。秦王は問う。お前はいったい何者なのか、と。
 果たして、無名の本当の思惑とは何なのか?――

[感想]
 まさに大陸のエンタテインメント大作、という風格である。
 まず息を呑むのは壮大なセットと、美しいロケーションの数々だ。細部まで作り込まれた宮城に棋館、刺客たちの対峙する単色の砂漠に赤一色に彩られた森、などなど、構図を眺めているだけでも上映時間があっと言う間に過ぎてしまう。撮影監督から身を起こしたチャン・イーモウ監督の面目躍如といったところかも知れない。
 潔く割り切ったような描写も凄い。秦の軍勢や王宮に控える文官をロング・ショットで撮し、その強大さを如実に表現する一方、決闘の場面ではまるで格闘ゲームのように規定された狭い空間を舞台にしながら、雨に木の葉に砂嵐、場面場面で象徴的なものを舞い飛ばし、アクション全体で一幅の絵巻物を思わせるような美を構成してみせる。剣士たちの動きは明らかに非現実的なのだが、それをさほど気にさせないほど画面に溶け込ませ、象徴として納得させてしまうのだ。
 だが、元々様々な手法を用いながら深みのあるドラマを撮ってきた監督の仕事だけあって、アクションは決して中心となっていない。重要なガジェットではあるが、あくまで本編が歴史に取材した武侠物語であるための部品に過ぎない。入り組んだプロットを見てもその事実は明白だろう。
 本編は無名と秦王の会話を基礎に描かれている。あるときは無名の語る決闘の模様を、あるときは秦王が推理した無名たちの画策を、それぞれ再現映像のような趣で見せていくのだが、それらが最終的に目指すところはなかなかに奥深い境地である。その奥深さをわざとらしいものと感じさせないための過剰かつ美しいアクションなのだ。
 こうして幾つもの異なった位置づけをされたアクションとエピソードが乱立しているのに、見ていて混乱しないのは、エピソードごとに色調を統一しているためだ。証言者の存在する最初の無名VS長空の場面を除いて、最初は激情を象徴するかのように深紅に染めぬき、次は冷静と悲しみを象徴するような淡い青の空間を用意して――といった具合に、きちっと世界を分けている。
 舞台や衣装と同様に、場面ごとにキャラクターのトーンが変化する残剣・飛雪・如月(特に如月を演じたチャン・ツィイーの健気さと完璧な愛らしさは絶品)の三人が異様な魅力を放っているが、それらを要として支えているのはやはり語り部たる無名だ。ハリウッド進出後はアクがあったり裏があったり、とアクション主導であっても一筋縄でいかない人物を演じることの多かったジェット・リーが、全編に亘って静謐で不動の覚悟を秘めた“刺客”としての表情を貫くことで、作品に一本の芯を通している。
 予告編などから期待していた身からすると、終盤にもっと劇的なアクションが盛り込まれていれば、という嫌味を感じるが、しかし前述の通り、本編におけるアクションは決してただの見せ場などではなく、あくまで結末を飾るためのガジェットに過ぎない。前半から中盤にかけて繰り返されたアクションが、ラストシーンにおける登場人物たちの行動に深みを与えているのだ。何より、通り一遍の劇的なアクションだけでは、本編に説得力を齎すことは出来まい。
 エンタテインメントを志向しながら、根底にいかにも大陸的な、深甚なテーマを孕ませた卓抜たる作品。構想段階から深く関わってきた監督チャン・イーモウは本編によって中国の興行収入記録を塗り替えることを最初から目標としてきたという。大作であることを自負して嫌味がない、というのが何より凄い。

(2003/08/16・2004/01/23追記)


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